お題 | ナノ



Home
いただきます 02





キッチンのシンク内にはすでに一人分の食器が重なり置かれていた。

弟、のモノだ。

弟という響きを実際本人に向かって口にした事もなければ、自分の中で彼が弟だとは認識されていない。
だって、自分はずっと一人っ子で育ってきたのだから…。

数百メートル離れたお隣さんは、四人兄弟だった。
それが羨ましがったりもしたけれど、そこの長男はとってもやんちゃで暴力的で、すぐに弟を殴っていたのを知っていたから、自分は一人っ子で良いや、と思ったものだった。
遊ぶ時は彼らと一緒だったから寂しいなどと感じることもなく、自分にはその環境が当たり前だった。
なのに自分に実は弟が居ました、などと言われて驚かない分けがない。
納得、行くわけもない。

それは自分だけじゃなく、弟と言われる彼も何一つ納得などしていなかった。
結果、彼は毎朝自分の顔を見ることなく一人で朝食を済ませて会社に向い、夜もそこそこ遅い時間に帰ってくる。それが自分と顔を合わせたくないからなのだと思って早めに宛がわれた部屋に入るようにしていた。
此処に来て一週間。初対面の時に顔を合わせたくらいで、生活の音を少し聞く程度でしか相手の存在を感じ取れていなかった。

シンクに置かれた食器を綺麗に洗う。
お母さんは料理がとても上手な人だった。
お父さんは男は台所に立つものじゃないと口にする人だったので、自然と自分もその言葉から台所へ足を運ぶ事は少なかった。
小学校の頃、お母さんへのお手伝いという生活項目から食器洗いなどは手伝ったものだけど、料理に関して全く手を出した事も無かったので、この弟の住む家に来てからものすごく困るのだ。

俺は、料理が出来ない。

パンですら黒焦げに焼き上げてしまうのだから、弟の為の朝食や夕食など作れるわけもない。洗い物だけは経験済みだとばかりに手を出すのだけれど、洗濯など、からきし駄目だ。そうはいっても洗濯しないわけには行かないので、弟に説明書の場所を書き置きで尋ね、昨日の朝にはダイニングに洗濯機の説明書が置かれていたので、それを片手に洗濯を終えたものだ。

朝はコンビニで買ってきた食パンを焼くのだけど――割高なのは分かっているが、スーパーなどがどこにあるかも検討がつかない――、農業をしてた事に比べて此処での生活は体力を使わないので、お昼におなかが空くということもそんなに無くて、夕食はこれまた働くまではあまり食べないようにしようと、空腹に耐えられなくなったときにコンビニで購入した食べ物をを摂るだけだった。

そんな生活が一週間経ったのだけど、働き先はまだ決まっていない。
農家の仕事だって伝手で決まったものだったから、働くとなるとどう動いて良いかを考えるだけでグッタリと疲れてしまう。ましてや今までの生活と似ても似つかない場所で…。

だけど、自分は此処で、この町で生活をしなくてはいけなくなった。
自分の子供じゃなかったのだと、母親に伝えられて、そして自分には都会に住む本当の両親が居て、弟も居たのだと伝えられてあの田舎町を放り出された。

もちろん、弟と言われる彼にも拒絶されたのだけど、行く場所がないと伝えると仕方なしに家に入れてくれたのだ。

一週間前に知った事。
弟だという広瀬繭匡(まゆまさ)は自分とは似ても似つかない長身だった。顔はどことなく似てると言われれば似ているのかもしれないけれど、他人だと言い切れば通用する程度だった。

そして、自分の本当の生みの親は―――。

ついこの間行われた葬式。
その通夜が始まる直前に、そこに置かれた二つの棺桶が自分の生みの親なのだと知らされた。

『匡壱(まさひと)、自分の本当の親がどんな人だったのか、しっかり目に焼き付けるのよ』

耳を抜けていくように、母さんの言葉を聞いていた。
言わなくちゃいけないことがある、と喪服を着込み家を出る直前に癌で6年前に死んだ父さんの仏壇の前で自分の生い立ちを聞いた。

自分が生まれてすぐに養子に出された事、父さんの弟が、本当の父親だったのだ。
この古い町では当時まだ養子に出すという事がありえる話で、それでも納得のいかなかった生みの母は気を病む前に俺を忘れる為にもこの町を出たそうだ。

その生みの親が高速道路での追突事故に巻き込まれ亡くなった。
叔父さん夫婦が亡くなったからと着た喪服だった。
横たわる二つの体。顔を見ても何も感じることが出来なかった。
伯父さんの家族が都会暮らしをしているのは知っていたが、田舎に戻ってくる事は一度もなかったから、俺は顔を知らなかった。
顔も、声も、動く姿も。

だから、その叔父夫妻が自分の本当の親だと言われたところで何も感じることが出来なかった。
まるで他人だ。悲しいという気持ちも何もない。
そのとき俺を占めていたのはこの年まで両親と思っていた人が本当の親じゃなかったというショックだった。

母さんは父さんが癌で死んでから、俺を本当の親のところへ返すことも考えていたらしいのだが、結局こんな事になってしまって申し訳なかったと、生きている姿で会わせてあげたかったと、今まで息子として育ててきていた俺に謝罪した。
そして残された息子、繭匡が一人ではかわいそうだという気持ちなのか、いずれにしろ俺をあの町から出すつもりだったのかは分からないけど、俺はこの家…生みの両親が住んでいたマンションに来る事になった。






prevbacknext




[≪novel]

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -