短編 | ナノ



03





その日の昼には徹治は自宅へと戻っていった。
あんな事があった後だと、もう徹治はここへ来ないかもしれない。

――それで、いい。俺に呆れてくれれば。



週明け会社に向かうと、上司の結婚の話で持ちきりだった。覚悟はしていたけど、やっぱり心地のいいものではなくて、朝からキリキリと胃が痛むようだった。

噂で聞こえてくる相手の女性。
俺と同じ年で専務の娘。俺の上司といえども未だ課長の彼には大きな出世に繋がる話だ。
彼はさっさと前を向いて歩いていくのに、俺は何の進歩も無ない。いつも後ろを振り返ってばかりだ。

聞きたくなくとも女子社員の甲高い耳につく。朝から同じ事を繰り返し喋り続け、そのたびに拷問のようだと思った。
どこかで俺は罰当たりな事でもしているんだろう。じゃないとこんな目になんて合うわけない。

「あら、春武さん。総務に珍しいですね」
「うん。ちょっとお茶貰おうと思って。給湯室って使って大丈夫だよね」
「ええどうぞ」
「あとさ、胃薬、あったら欲しいんだけど」

そういうと総務の彼女は給湯室に置かれていた救急箱から胃薬を出してくれた。
これで朝からキリキリしっぱなしの胃が少しでも和らげば良い。

「春武さん、胃薬飲むならお湯でどうぞ」
「ありがとう」
「どうせ飲みすぎたんでしょう?体大切にしないと駄目よ」

自分を大切にしろと言ってくれたのはいつの人だっけ。あの人は、俺の感情が薄い、心が近づかないと言われた。

上司にも言われた淡白な俺。

俺の情熱は、一体どこに置き忘れてきたのだろう。











定時を過ぎた頃に届いたメールは上司からの物だった。
いつもの誘いと変わらない文面。
別れたはずの彼からのメールに、一瞬誘いかと思ったが慌てて訂正した。きっと何か言い足りない事でもあるのだ。
いずれ重役に身を置く彼は、きっと俺に口止めしたくて呼び出すのだろう。そんな分かりきったことを聞きに行かなくてはならない。

別れた人に再び会う。
それだけではない、相手は華やかな未来を持つ、幸せな人間なのだ。
そう思うと気分がずっしりと重みを増した。

簡単にメールを返すと、残った仕事に手を付けて馬鹿な考えを消しにかかった。




いつもの待ち合わせ場所に立っていると、目の前に白の乗用車が滑り込んでくる。
助手席に回りさりげなく乗り込むと、綺麗なタイミングで車は静かに走り出した。

彼から言葉は出てこない。
俺からも何も問いかけない。
どこか人気のないところまで行くことは明確だ。

その車が、いつも使っているホテルに着くと、俺は内心慌てた。
今までと変化が感じられないからだ。俺は確かに振られた。あれは夢なんかじゃなかった。
ひと目のつかない場所ではあるが、こんな時くらい別のところにして欲しいものだ。

部屋の一室に入ると、彼は少し目を見開き俺に問う。

「今日はシャワー浴びないのか」

「……はい?」

話し合いにシャワーなど必要ないだろうに。

「まぁこれはこれで好きだがな」

そう言うと、俺を静かにソファに押し倒した。
ネクタイに指が掛かった頃、俺はようやく事を理解した。

「ま、待ってください」
「なんだ、今更シャワーが浴びたいとでも言うのか」

緩まった首元に、彼の唇が落ちてくる。
髭の感触が簡単に快感を呼び寄せ、俺は身じろいだ。

「なんで、なんで…、なんでこんな事っ」

湿った音が耳の近くで聞こえる。それだけで俺は簡単にスイッチが入ってしまうのだけど、流されるわけになど行かなかった。

弱々しく彼の肩を制し、身をすくめ彼の舌から逃れようと抵抗をする。

「珍しいじゃないか、抵抗するなんて。今日はとても興奮するなぁ」

力の篭る彼の腕に、少しの恐怖。

「ちょっと待ってください!俺達、別れたでしょう」
「――…何を言ってるんだ?」
「だって先週、あなたは結婚するって…」
「だからって君と別れるとは言ってないよ」

結婚はするけれど、俺とは別れない。
一体どういう――

「君とはセックスを楽しみたいからね」


あぁ、この人にとって、俺は「物」でしかないのか。


やる事やって、この間と同じようにお互いが身繕いを済ませると車に乗り込みいつものところまで送ってもらう。
やっぱり結婚するという話は夢だったのじゃないかと思ってしまうくらい、今までと変わらない。

家の近くのコンビニに着くと、彼はそっと俺を引き寄せた。
今までこんなに甘い別れ方などした事がないのに。
触れ合うだけの口付けを済ませると、彼はそっとささやいた。

「分かっていると思うが、この関係をバラそうなんて馬鹿なこと考えるんじゃないよ」

「――…分かって、います」

振り切るように車を降りると、そそくさと車は出て行った。残されたのは自分だけ。
上げた視線の先に、こちらを見つめる女性が居た。コンビニで買い物を済ませ出てきたところだろうか。
ただ、その眼は語っていた。自分達の姿を見たことを。嫌悪と好奇の混じった視線。

それから逃げるように、自宅へと足を進めた。





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