短編 | ナノ
04
それからもヒジリの話題は消えることが無かった。周りがどれだけ噂しようともヒジリも気にすることなく、またそれが周りを過剰にさせていた。
ヒジリ一人を責める事も出来なかった。きっと噂に尾鰭が着いているのは明確だったし、本当にヒジリが自身を売っているかどうかは俺にも分からない。
またちゃんと話を聞くべきだと思っていたところだった。
ヒジリだけじゃなく、周りのスタッフからも話を聞かなくてはと。いい年してもこんな業界じゃ人間関係のゴタゴタなんてしょっちゅうだ。
「代表っ!!」
扉がノックもなしに激しく音を立てて開かれた。
そこには血相を変えて飛び込んできたカヲルの姿。
「おい…どうした」
「ひ、ヒジリがっ…!――表で、刺され、て」
息を切れさせつつ、カヲルが言葉を繋ぐ。
ジワリと嫌な汗がにじみ出てくるのが分かった。
それ以上話を聞くよりも体が外へと向かう。店内を横切りながら、他の客やスタッフも異様な空気は感じ取っているらしくいつも以上にざわついているようだった。
扉を開け、外へと出る。
外の少し冷たい空気を感じながら道の端にできているその輪の中へと入った。
店の二人が一人の男を押さえつけ、道の脇に横たわるヒジリの傍にはオミが居た。
「ヒジリ!」
意識はある。俺の声に視線を上げたヒジリの顔は歪んではいたが、しっかりとしていた。
視線をずらせば、脇の辺りからにじみ出ているらしい血液がジャケットを黒く染めていた。
「どういうことだ…!救急車は、」
「呼びました、送りに出たところを横から近寄って来たあの男が――、」
オミが視線を送った先にはホストに腕をとられ、身動きの取れない男の姿があった。目には覇気が見られず、抵抗も全く見せていなかった。ブツブツと何かを口にしているようだったが全くこちらへは伝わってこない。
「なんでこんな事――」
ヒジリが痛みに顔をゆがめながら、オミに頭を預けた。ジャケットの上から傷口を押さえているであろう震える指からは赤い血が伝う。
「しっかりしろよ、ヒジリっ。――あの男、カヲルの客の名前を言いながらナイフを振り回してた…もしかしたらヒジリとカヲルを間違えたのかも、知れない」
オミはその時の事を思い出しているのだろうか、眉間にシワを寄せてヒジリを抱えなおすと、また男に視線を向けた。
「そんな…」
「カヲル裏引きとかかなりやってたみたいなんで、このところ給料カット激しかったんでしょ、その分そっちで稼いでたみたいっすよ」
カヲルの客のツケがこのところ溜まっていた。回収もできていないのは分かっていたが、店としては甘い事も言ってられない。
カヲルがその客からかなり貰っていたとして、その男は客の関係者か何かだろうか。
だとすれば、ヒジリは――…
「バチ、当たった、んです、…かね」
口元だけに笑みをつくり、かすかな声でそう伝えた。あまりにも気丈なこれまでとは違い、弱々しいその姿に胸がざわついた。
「だな。まぁバチという程悪い事はしてないだろ。一人で突っ走ってただけだ…」
それまで瞑っていたヒジリの目がそっと開き、空を見つめた。
「あぁ―、」
溜息のような、その声。
「大丈夫か、ヒジリ」
遠くの方でサイレンが聞こえた。もう少しだ、もう少しで救急車が着く。
「代表…、家の、引き出し――。…弟をたの、みます」
また口元だけをゆがめて笑う。今にも消えてしまいそうな、静かな言葉。
この程度で、死ぬわけはない。
それなのにざわつきは消えずに、酷く俺を焦らせた。
「何言ってんだよ、ほらサイレンが近い、もう少しだ。後は任せておけ」
“任せておけ”その言葉を聞いて、やっとヒジリが安心して笑ったように感じた。
野次馬も増えて、うるさいくらいの雑踏の中、その空気だけは異様に静かだった。
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