短編 | ナノ



02






 ヒジリが消えたその部屋で、溜息を一つつくと事務用の三つ並んだデスクの内、一つの机から書類を引き出した。大きめのファイルに閉じられている簡単な履歴書。

 こういう世界だから本当のものかなんて疑わしいのだか、雇う側としてもそれなりに参考にもする。その一つヒジリの履歴書を取り出し眺めた。

 店に来た時に撮られた写真はまだ初々しさも残っていた。緊張した面持ち、そして野心を秘めたような力強い瞳に採用を決めた。
 目立つというよりは少し柔らかい印象を持たせたヒジリはこの世界でやっていくのならトップに立たなくともそれなりの客には気に入られるだろうと思っていた。
 なのに蓋を開けたらどうだろうか、周りを蹴落とすように自分がのし上がっていく。スマートとは良い難いその行動に周りからもさまざまな批判が飛び交っていた。

 ヒジリはそれにさえも動じない。
 強い、というのか。鈍感に近いものなんじゃないかと思うほど図太い神経の持ち主だった。周りと仲良くするつもりはさらさらないらしく批判の声さえも上から叩き潰すばかりで。

「――問題児、だなぁ」

 家族構成は両親なし、としか書かれず自宅の住所を見ても此処から近過ぎずの場所。弟と二人暮しだと言っていたようだ。
 
 弟が居るならばもう少し協調性もあるだろうに。弟も同じくして問題児なのか?それともこんな兄を持ち弟も苦労していたりするんだろうか。

 今後のヒジリの動きが怖いと思う半面、彼を切る事をしない自分に溜息をついた。こういう世界だからだろうか、麻痺しているのもあるし、また試すようなヒジリの目が面白がっているようにしか感じられず、俺もまた楽しんでいる一人だった。

 この世界でのし上がるのは運かテクニックか。持って生まれた天性のものか。見ているだけでも面白い。


 手にしていたファイルを元の引き出しに戻したところで再び扉をノックする音が響いた。

「どうぞ、」

 傍までやってくる靴音を感じつつ、ファイルを差し替えるように売上表を取り上げ、パラリと開いた。そこでやっと視線を上げる。

「代表、アイツ何とかしてくださいよ」

「オミ…」

 入ってきたのは不貞腐れた表情のオミだった。

「俺だけじゃないでしょ?こないだもカヲルがやられたとこですよ。店の利益だとか言われたらそれまでっすけど、こっちとしてはやってられない。ヒジリがなんて言ったか知らねーけど、」

「オミ、今回の客はお前本指名もらってたのか?」

 くっ、と息を止めた所をみて、多分一歩手前だったのだろうということは簡単に感じ取れた。大方、後一歩の所をヒジリに簡単に指名を取られたのだろう。

「――ヒジリがヘルプで入った太客だけが、ヒジリに指名入れるってどう考えてもおかしいんじゃないっすか?それでも気のせいだって言うんですか!?アイツは金の事しか頭にないんすよ、店の事とか二の次だって考えてる、」

「あぁ…まぁな、俺も分かってはいるんだが…。……ほら、あと1時間でオープンだ、とりあえず今日は大人しく働いてくれよ」

 納得のいかない顔をするオミの肩に手を置きながらながら外へと送り出した。









 さすがというか、目の前のオミがその仮面の下にドロドロとした妬みを抱えているくせに、微塵とも見せずに自分に接してくる。それが仕事だといえばそれまでなんだけど、滑稽だ。

「ヒジリ…なんか今日元気なくない?」

「えっ、そう?そんな風に見えるってホストとして失格だなぁ…。それとも由梨さんだからばれたのかな、由梨さんが優しくしてくれたら、きっと元気出るよ?」

 覗き込むように小首を傾げれば、相手の瞳が揺れた。相手が誰であれ、その瞬間がたまらなく面白い。
 年上であるこの由梨は甘えられる事が好きだから簡単に気分良くなってくれる。何度も使う手なのに、この偽りの姿をむしろ喜んでくれる。偽りだって相手もわかってるんだろうけど。遊びに来ているのなら、俺はその遊びに付き合うだけだ。



 手の空いた時間を見計らってトイレに入った。洗面台には少し崩れた髪をセットする為に、自分の姿を見つめる為に、と大きめの鏡がある。

 その鏡を前に顔をゆがめた。オミからの暴力で体のあちこちが痛みを訴えていた。酒で麻痺させつつ、客の手前気を張っていれば薄れているのに、することが無くなればそれはジクジクと疼きだした。

 こんな痛みは、時間と共に治癒されるものだ。

 洗面台に手をついて溜息を洩らしていると、遠慮がちにトイレの扉が開いた。頭を上げた目の前の鏡には扉を後ろ手に閉めるボーイの姿が写っていた。

「ヒジリさん、」

 相手の複雑そうな表情を見て、含んだ笑みを送る。

「あんだよ」

「痛むんでしょう?手当てしましょうか」

「…必要ない。すぐに治るようなものだし。オミだってその辺分かっててやってるだろ」

「……」

 鏡越しでの会話を終えても去ることをしないボーイ。
 この仕事をしていれば相手から向けられる気持ちには敏感な方だ。何処までが本気で何処までがお遊びか。

 そして俺が向けるものは、一つしかない。


「一万で」

「はい?」

「一万でキス。今ならサービスしてやる」

 こんな仕事をしていてこの金額は安いな、と思う。自分を売るのなら、大金出せと豪語するほどのプライドが無くてなならないのだから。

 視線を絡めれば相手の瞳が揺れる。それを見て口角を上げると、自分の目線より少し上にある相手の首に、手を回し引き寄せた。

 静かに触れるだけの唇。

 ボーイはビクリと身体を強張らせたものの、二度目の口付けをする頃には遠慮がちに手が俺の腰に回った。
 小さく唇を開いて、相手の唇に舌を這わせるように重ねると、相手の舌も簡単に差し出される。

「…ん、」

 絡み合う舌が、熱かった。

「ヒジ、リ…さん――、」

 頬に唇が触れ、その唇が溜息混じりに俺の名を呼ぶ。

「…俺が欲しけりゃ金、積めよ」

 首筋に移動し埋まっている頭をそっと引き離し、しっかり目を見てそれだけ伝えて、また唇を重ねた。






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