低空飛行 | ナノ



低空飛行
01





 腹の底に響くような音。
 激しく打ち付ける音に俺の体は異常に反応して飛び起きた。

 真っ暗な闇を見回して、窓から差し込む微かな街灯の光を脳が認識してやっと、ここが自分の部屋だと理解する。


 先程から鳴りつづける音、はどうやら隣の家の玄関を叩き付ける音らしい。時折聞こえる罵声が借金取りだと知らせてた。逃がすまいと寝静まった頃を見計らって来たのだろう、時刻は午前4時を指そうとしていた。

 ―…勘弁してくれよ。

 薄い壁で出来た…いや、もう建物自体いつ壊れてもおかしくないこのボロアパートは、その扉を殴り付ける振動を伝えてくる。ひょっとすれば俺だけじゃなくて住み着いているという言葉がピッタリな僅かな住人全てが目覚めて居るだろう。

 音に反応した心臓は未だドクドクと激しく打ち一気に噴き出した冷汗とに、自分の中のわだかまりがまだ残っているんだと気付かされた。


「ちょっと、こんな時間に困るなあ。そこの人は先週から姿見ないよ。夜逃げでもしたんじゃないか」

 外から聞こえてきた呑気な伍郎さんの声に、肩の力が抜けて行くのが分かる。ガコッ、と違う音がしてこのアパートの住人からじゃなかなか聞けない靴の音が小さく去って行く。

 目の前の自分の家の扉から小さなノック音が響いた。

「ボン。びっくりしたろ」

 三軒隣の伍郎さんは俺の事をボンと呼ぶ。60歳を過ぎた伍郎さんと俺は此処の住人の中では一番の仲良しだ。

「うん」

「あんなに激しく殴られちゃぁこの家もたんぞ」

「だねぇ…」

「ったく、ボンは寝ろよ。ワシはもう目覚めたからにはなかなか寝付けん。このまま散歩にでも行ってくるわ」

 俺の声を聞くまでもなく、いつも履いている磨り減ったぺらぺらのビーチサンダルを地面に擦りつけながら伍郎さんは去って行った。

 細く息を吐き出し、脳裏に映る映像を消そうとするのに、意に反して克明に思い出し始める。

 激しく扉を叩く音と、俺の名を呼ぶ声――…。








「白坂ぁ!」

 激しい音と声に飛び起きた。目の前の扉を開けると数人の社員とその後ろには社長の姿。出勤にしてはいつもより少し早めの時刻。おまけに社長は私服だった。

 目を擦りながら、目の前の人が何をそんなに熱くなっているのかと不思議に思っていた。

 勢いよく、自分の体が浮いて目の前の顔が俺の視界いっぱいに広がる。なぜ、胸倉を捕まれているのか。なぜ、この人は怒りをあらわにしているのか。

「何寝たふりこいてんだぁ」

「は?」

「しらばっくれんな!犯人はてめぇだろうが」

 全く理解出来ない言葉が飛び交う。胸倉を掴むそいつだけじゃない、後ろにいた奴も口々に何かを言っている。

「仮に犯人じゃないと言い張ってもなぁ、ここに寝泊まりしときながら物音一つ聞いてませんじゃ済まされないぞ!」

「何…、何が?」

 言っている事が全く理解できず、視線をずらした先にいた社長に目だけで訴えた。苦虫を噛み潰した様な表情をして社長は口を開く。



「事務所が荒らされた」

「―…え」


 小さな二階建てのプレハブ建物。一階は従業員の更衣室と休憩室、二階は事務所になっていた。

 米田の家を出て、行くあての無くなった俺を、社長は住む所が見つかるまでこの建物の一階で寝泊りしていいと許可を出してくれた。それは俺のことを信頼してくれて、そして使える奴だと見込んでくれての事。

 そんな俺が寝ている上の事務所が荒らされた?

「白坂、物音聞いてないか」

「―…寝て、ました」

 眠りは浅いほうで、台風が来た日になんてなかなか寝れないのに。なんで。

「犬以下だな、番犬はもっと利口だぜ?」

 胸倉を掴んでいた奴が、そう言い放つ。周りが、俺を疑いの目で見ていることが空気だけでも伝わってくる。やってない。俺じゃない―…どれだけの人がその言葉を信じてくれるだろう。

「言い訳できないのかっ」

「―俺じゃねぇ!」

 今にも言い合い、手でも出そうな雰囲気を止めたのは社長だった。事務所から盗まれた物は、いつもなら滅多に置かれていない現金。金庫をこじ開けられていた。そして次の現場で使う図面がズタズタに切り裂かれていた。

 明らかに現金が置かれている事を知りえた関係者の犯行だろうと…。





「白坂待て、」

 社長がどれほど情で動いてくれたって、社長としてのしかるべき処置を取らなくてはいけないだろう。そして周りの社員と俺一人を天秤にかけたって、切られるのは俺だ。
 真犯人が見つかるまでと探してくれても、社内じゃなく外部の人間ならば見つけるのは至難の業だ。仕事でさえ大変なのにこれ以上迷惑をかけるわけには行かなかった。

 一番簡単で、丸く収まる方法。

「お世話になりました…。どちらにしろ、俺はもう此処に居ずらいですから」


 秋が、そこまでやって来ていた。
 米田の家を出て、一ヶ月と少しの日のことだった。






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