低空飛行 | ナノ



低空飛行
最後の日






「いってぇ…」


 赤く腫れ上がった左頬、口の端が切れてジワリと血がにじんでいた。

 河川敷に座って、赤く染まりつつある川を眺める。
 草野球ができるとか、そんな整備された良い川じゃなくて、雑草も伸び放題、不法投棄があちこちで目に付く河川敷。




 父親が、俺と母さんを捨てた。

 その後母さんも俺を捨てた。

 それが小学4年の頃の話。


 初めて会った伯父さんは母さんのお兄さんだった。
 引き取ってくれると決まった時は助かったと正直喜んだ。けど、そんなの快く引き取ってくれているわけじゃないんだと分かり始めた頃から、静かに存在を消すように生活するようになった。

 それが中学へ上がる頃。

 出来の良い伯父さんの息子達とは明らかに育ちも頭も違って、ますます肩身が狭かった。それでも帰る家があるだけで十分だったし、ご飯も自分でよそって、部屋で食べるという状態だけど、ちゃんと食べさせてもらえるし、俺は満足だった。


 でも、…疲れた。

 高校に入って、進路の話しで回りが持ちきりで、進学するにはお金が掛かるから、就職する事にしたけど世間体を気にする伯父。就職すれば、家を出るつもりでいるのに。いつまでも孤児である俺を育てたといういい顔を持っていたいのか。

 必死になって進路に頭を悩ませる事が嫌になった。

 捨てられた俺の人生、好きに生きても良いじゃないか。初めから将来なんて無かったかもしれないこの身だ。

 生きるも死ぬも、好きにして、良いんじゃないか・・・

 たとえこのまま一人で生活していくとしても、何が楽しいとか、何を夢見て生きて行けばいいのかも分からない。
 常に付きまとうのは、捨てられたという事実。必要なかったという俺の存在。



 まだ卒業まであるけど、家を出た。 
 帰宅したばかりの伯父さんに命を絶つことは言えないから、好きに生きると言ったら…殴られた。恩を何だと思っているんだと言われた。


 その足で家を出た。



 漠然と、以前から死んでもいい、死にたい、とは良く思っていたことで。きっと止める人なんていないから、簡単にそれは行う事が出来るだろう、だからこそ今まで実行出来ないでもいた。それはタイミングを見計らうようなもの。



 俺を生んだ親は俺を捨てたんだ


 初めから無かったものなのだと思えば生きている意味さえ見出せなかった。
 いつまでも幼い自分じゃない。誰かに頼ってばかりでも居られなくて、自立するには不安ばかりが先立って。



 そして、もう今すぐにでも。と思っているのだけど・・・

 ただひとつ・・・未練があるから、それだけちゃんと解決させる事にしたんだ。


 たった一年の片思い

 叶う事の無い男同士の恋愛
 玉砕してからこの命を絶っても遅くない


 暗くなってきた河川敷から腰を上げて、向かったのは彼の住む家。






 インターホンを押しても、返事がなく。暗い家の様子は不在を知らせていた。

 確か父子家庭だったはず、彼はバイトにでも出ているんだろうか。

 彼の家の前の塀に背中を預けて座り込む。
 夜の冷えが身に染みた。
 かろうじて上着は着ていたけど、マフラーくらい持って出ればよかったかもしれない。


 まぁ…、そんなことはどうでもいいや。



 どのくらいその状態で待っていたか、周りの家から匂っていた夕食の香りもなくなり、香ってくるのはお風呂の匂いだった。


 家から漏れる明るい光がひどく俺を孤独にした。


 彼は、家に帰って来ないのかもしれない

 結局最後の俺の決断までも、叶わないのか


 腰を上げると関節が痛んだ。冷えた手でポケットをまさぐるとわずかなお金が出てくるだけで。
 これで、出来るだけ遠く、行ける所まで行って、誰にも見つからず静かに、死にたい。


 体の埃を掃って冷たく暗い夜道に足を踏み出した。




「白坂?」

 声を掛けられ、顔を上げると待ち望んだ人物の姿。


「……ギリギリセーフ、」

「…なんの話し?」

「いや、こっちの話し」

「寒くねーの?えらく薄着だけど…鼻の頭赤いし」

「…。…ちょっと時間いい?」


 彼の姿を見て、生きるのも良いかな、と一瞬頭をよぎる。この気持を持ったまま、それを生きる糧に変えて・・・。
 でも、所詮叶う事などないのだから、それが糧になるかと言われれば難しい。


 あー、だからもう、どうでも良いんだった。




「俺さ、お前のこと好きなの。恋愛対象って意味で」

「……えっ?」


 一度口を開いて気持を出してしまえば止まる事を知らない壊れた人形みたいだった。


「もう、一年もお前の事思い続けてたの。お前は俺のこと友達として大切にしてくれて、その気持を裏切るように、俺はお前に触れたい、抱きあいたい、って思ってたの。……ゴメン、な」

「白坂…」

「それだけ、だから…」



 そう言って彼の脇を通って夜道に足を踏み出した。



 スッキリ、した。


 これで未練なんて無い、持っているものは全て捨てた。告白はあっけなく終わったけど、彼には不快にさせて申し訳ないけど・・・。

 もう、会うことなんてないから最後にもう少し顔を見てたかったかも。もう少し何気ない会話したかったかも。

 もう少し…





「白坂!」


 後ろから、肩を掴まれる。

 殴られたりするんだろうか。それはもう仕方ないか。むしろ、嬉しいかも。


「…ごめん」

「白坂、なんで謝るんだよっ」

「……」

「俺、返事してないし」


「そう、か」


 最後に顔を見たいと、思ってたのに顔を上げる事がなかなか出来ない。

 そんな俺を見て、彼が少し腰を屈めて・・・俺を覗き込んだ。


「ひでぇ顔。どうした?この頬。腫れてる・・・」

 優しく触れるその手が、温かくて身に沁みた。今の俺にこの手振り払う事なんて出来なくて。

 できることなら、手を取り、握り返したい。


「白坂、俺も…気、に、なってた」

「え・・・」

「お前の事…、気になってた。けど恋愛感情なのかわからなくって…でも、今お前の告白を嬉しいと、そう思うんだ」


「違う!俺は、お前に触れたいと思うし、もっと、もっと疚しい事まで考えてる。友達のような…そんな軽いものじゃなくって―――」

 温かい、彼の息が唇を撫でた。

 直後の柔らかい感触にクラクラ、した…



「俺もこれ以上のこと考えてるけど?」

「う、そ」



「もっかいする?」

 コクコクと首を縦に振る俺を温かい腕が包み込んで、またしっとりと濡れた唇が重なった。


 夢、だ。

 最後に神様が…。


 でもこの感触は、温もりは確かなもので…


 どうしよう…俺、どうしよう。





「ねぇ…今晩、泊めてくんない?…俺、帰るところもお金もねぇの」


 そんな俺でも良いかな

 もう少し生きてみてもいいかな




2007.11.11 拍手SS


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