低空飛行 | ナノ



低空飛行
思いは誰を






お前が愛せたものを

俺も愛して行けると思っていた

お前が愛したものを

俺が代わりに愛して行こうと思った




 こんな想いは誰も幸せになどできない。
 こんな想いは誰の為にもならない。





「ねぇ、見て。そっくり」

「あぁ本当に」

 生まれたばかりの赤ちゃんは、自分を守るために生きているうちで最高の可愛さなんだという。

 まだ自分の意思を伝える事も出来ず、身動き一つ自分ひとりで出来ないから、捨てられないように、嫌われないように。自分の事をちゃんと見てもらえるようにという生まれながらにして備わった愛らしい鳴き声、愛らしい動き。

「あら?こんな所に痣が」

「ん…ほんとだな。でもそんな気にすることもないだろう。成長と共に消える痣は良く聞くしな。見にくい場所だし男の子だ、気にもならないさ」

 両腕を上げて、気持ち良さそうに眠る赤ちゃんの白い右腕の内側に見える痣。気にすることも無い。

 だけど、俺にはそこにアイツを見た。







「ねぇ、考え直して」

「いいやお前達を巻き込むわけには行かないよ。俺が手を出したものだったし」

「でも純にはあなたが必要よ?」

「……。」

「ね、私も働くから一緒にそのお金返して行きましょう?私は折角のこの家族を手放したくないの。あの人のためにも」

 友達の誘いに乗って立ち上げた会社は、波に乗ることもなく、多額の負債を負って破綻した。簡単に話しに乗ったわけではなかった。彼を信頼して、彼も俺を信頼してくれていたから立ち上げたしそれなりの結果が出せると自負していたのに、現実は甘くはなかったのだ。

 多額の借金から家族を守りたかった。

 いや、息子を。

 本当の父親でなくとも、俺にとっては大切な息子。そして何よりも俺の愛した弟の忘れ形見だった。

 弟は俺のこの気持ちを知らないまま、交際相手のお腹の中に自分の子供を残してこの世を去った。彼女が身篭ったと知らせが入り、とんとん拍子で結婚が決まった矢先だった。

 人生とはなんとあっけないものだろうか。まだ22歳の若い命は簡単に消えた。俺の気持ちを話すつもりもなかったし、そんな機会は一生無いと思っていた。だがそんなにあっけなくこの世を去るのなら、最後に一言伝える事をすればよかったのかもしれない。

 嫌われたって、絶縁されたって。この世から消えてしまうよりかは何倍も、何十倍も、何百倍も…良かったのに。

 そんな悲しみにくれる今も着実に消えた弟の細胞が彼女のお腹で育っているのだ。

 弱りきった彼女を支えるように、なんとしてでもお腹の子は守るんだと。履き違えたものをそのままに、俺達は偽りの愛を育てた。そして純が1歳の誕生日を迎えると共に籍を入れ、家族を守るんだと乗った会社設立の話だった。

 元から弱い女性だとは思っていた。弟が死んだ時何度となく自殺を考えていたのだから。彼女の手首には複数の傷跡があったし、目を離せばお腹の子にも関わる事をしでかす可能性があった。それを俺はずっと傍で、彼女を守ることでお腹の子を守ったのだ。

 弱い女性でも、お腹を痛めた子の前では強いだろうと…思い込んでいた。

 成長と共に、弟にそっくりに育っていく純が愛しくて仕方がなかった。一度無くなった命がここに形を変えてあるのだと錯覚した。これは息子であって弟ではないと頭では分かっているのに、弟が消えた悲しみと悔しさと伝えきれなかった気持ちを少しずつ息子に重ねていた。

 だから離れたかったのかもしれない。彼女に任せて、多額の借金を背負い、俺は偽りの家族を装い続けた事、息子に重ねてしまう禁忌、嫁に対する偽りの愛、全てを背負って消える覚悟をしたんだ。逃げた、と言われ責められてもおかしくない事をした。

 でもそれが俺にとっても嫁にも息子にとってもいいんだと思ったんだ。







 思い出というのはなんと言う綺麗なものなのだろうか。嫌な事は忘れて、綺麗な事ばかりを心にとどめて。忘れる事もせず、美化した息子の将来ばかりを思い描いていたのに。現実と言うのはなんと非情に出来ているのか。

 かつての息子の姿は、見間違う事もできないほど弟の面影を残していた。が、その視線は俺に対する恨みなのか、はたまたそれは殺意が込められているのではないかと言うほどの冷たさで、記憶に残っている彼の笑顔を俺は見る事が出来なかった。

 弱い彼女は、息子を手にしてもその弱さは変わらなかったのか。俺の選択は間違っていたのか。息子の人生を変えてしまったのは俺なのかと思うと謝罪の言葉は誰に吐く事も許されないと思った。


 寝ている息子の首を絞め、共に逝く事を何度も考える日々が続く。傍に居てやりたい、傍にいたい、と生活をしていくうえで和解できるものなら、今から親子をやり直す事を思い描いて。

 そんな簡単に行くわけは無いだろうと思っていたし、一度逃げた俺を許してもらう事も言い出せず、そうしているうちに弟そっくりな純に、俺は…俺は。

 手遅れになる前に、また壊す事を選んだ。

 誰でも良かったのだ。相手なんて。たまたま気の合いそうな女性の言葉に乗って、また純を手放し人生をやり直そうかと思った。

 最後の言葉も交わすこともないだろう、そしてもう二度と、一生俺は純の前に姿を出す事もないだろうと。

 

「おいっ!」

 ヒクリと彼女の肩が震えた。

「お前その金はなんなんだ」

「何って、アンタがやり直したいって言ったんじゃない」

「そんな事を聞いてるんじゃない、その封筒はなんだ、どこから持ってきたんだ!」

「アンタの家からよ。出てくって言うから持ってきたんじゃな…」
「馬鹿か!…っ、それは俺の金じゃない」

 ぎゅっと、彼女の細い腕を握る。怒りのまま握りつぶしてしまうんじゃないかと、思うほど。

 彼女の小さなカバンから出てきたのは、純のお金に間違いないだろう。生活していて見かけたその封筒には純が誰からか貰ってきた会社の名前が入っていたのだから。そして今彼女の手にあるものもそれと同じ物で。

「人の家を勝手に荒らすな」

 彼女の手から封筒を奪うとすぐに背を向けて家に向かう。あの家を出てから数日が経っていた。純はこの封筒が消えている事に気付いているだろうか、言い訳なんてものが通用するとは思えない。そのあまりの悔しさに握った拳が震えるばかりだった。

「ねぇっ!どこ行くのよッ」

「うるせぇ、お前との話は無しだ」





 

 シンクに落ちる、包丁の音は小さいなりにも響いた。

 純をそうさせたのはただ単に運命だという事ではない。一つの道に、多くの人が関わり少しずつ少しずつ、軌道がずれたりもするだろう。俺が初めから関わらなければ純はこの世に生を受けていなかった可能性だってあったんだ。
 
 俺が関わらなければ。

 先ほどまで、純が立っていたその場所に自分も立ち、視線を下ろしてシンクを見つめる。そこには純が持っていた包丁。これで俺を刺そうとでも思ったのだろうか。彼に諭され、一度は手にした包丁を落とした純。
 

 “白坂は俺がもらいます。俺がこいつの事…幸せにする”

 純の代りに口を開いた彼は、目を赤くして俺にそう言った。純の人生を狂わせたのではなく、俺の人生に純を巻き込んでしまったのかもしれない。


 シンクに落ちていた包丁を手にしたが、純の温もりなんて感じることも出来なかった。


 静まり返った部屋に轟音が響く。
 

 俺の想いは誰も幸せになどしなかった。それでも生まれ変わりがあるとするならば、俺はまたお前の近くに居たいと思うよ。





END


08.09.07


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