低空飛行 | ナノ



低空飛行
15






 ガツン、ガツン、

 包丁を握り締めて無心で突き刺す。手には物にぶつかる衝撃、耳には物を傷つける音、そして飛行機の振動。

 一体、あの時の自分はどうやって死のうとした?

 わずかな金額をポケットに忍ばせて、最後の思いを告げたらどこか遠くへ…そして?どうやって死ぬ?知らない土地の知らないビルから飛び降りか、走り去る道路を見下ろす歩道橋から身投げか、静かな海に身を任せるか、茂みに入り込みロープを吊るして首吊りか。

 どれにも現実味なんて無かった、先のことなんてなるようにしかならないと、実際の目標は目の前にしかなくて、米田に告白する事に必死だった。

 あの時の自殺願望に、現実味なんて無かったんだ。あわよくば生きてやろうって、どっか片隅で考えていた。

 その日暮らしを繰り返す事が出来るんだろうか、公園の片隅で生きていく事が出来るんだろうか。出来なかった時は、死だろうか・・・と。

 今だって、一人で死んでいくのは怖い。


 ―・・・だから、こうして待っている。


 ガツガツ、と俺の右腕の力で、振り下ろすだけの力で傷つけられていく畳。切れ味の悪そうな、安物の包丁でも力を入れれば・・・力次第では深く深く、傷つけることが出きるんだ。


 米田にとって俺はその程度だった?
 なくしてしまいたい過去のものだった?そして今、忘れる事ができたのか

 たとえ俺の容姿が変わったとしても、俺からの視線に何か気付く事、思い出すことが出来なかった米田。あの時間違いなく視線は合った、のに。相変わらず綺麗な目をしていた彼。比べる事さえ出来ない、過去に囚われ澱んでしまった俺の視線。


 もう、見ないよ、視線を合わせることも、出来ないように、する、から。


 傷つけられていく畳は時間と共に傷を増やしていく。日が傾き部屋を柔らかく温かいオレンジに染めていっても、その温かさなんてもう感じる事は出来ないかった。

 どれだけ、この畳を傷つければ、父さん帰って来るかな、









 人の帰りを待つことは、いつからかやめてしまった。それは父親に始まり、いつか母は迎えに来てくれるかもしれないとどこかで思い、願いながら過ごした親戚の家で。どれもそれは虚しいだけの事だった。

 懐かしくも、そんな事を思い出させる程度には、また待ち続けていたんだと、時間の経過に気付かされた。

 今日が何日で曜日なのかという疑問。


「―・・・ぁ、」

 いつからか傷つける事をやめてしまった右腕。転がったままの包丁。それを横目に立ち上がって、向かったのは押入れだった。開いて手に取った箱からは何の音もしなかった。開かなくとも分かりきっていたのに、開かずには居られなくて、時間と共に静まっていた心臓がまた音を立てていた。

 空っぽの、箱。

 冷えた指先で、その奥のボストンバッグにも手を伸ばした。中を覗いて、在って欲しいと願ったものさえなくなってしまっていた。バッグの中も空っぽで、どこまでも真っ暗だった。このバッグ一つ抱えて仕事場からも追い出され、これを抱えて路地裏でうずくまっていたんだ。
 生活費とは別にしてあった、何かあったときの為にと、少しずつ増やしていたお金。全て封筒に入れてこの中に隠してあったのにそれさえも綺麗に消えていた。

 いつかは一人で立派に生きていけると思っていた。お金さえあればいつだって親戚の家から出れた、大金があれば両親を探す事だって出来るんだ、結局全てはお金で、それ無しでは身動き取れないんだと思い知ったから。

 最初から、目的はこれだったのかと疑ってしまう。いいや違う、と打ち消してくれるような生易しい思考を持ち合わせていない。

「…、…また」

 そうして、アイツは消えた。また俺を捨てたんだ…それが今突きつけられた現実。一度手にした安堵は所詮妄想だったという事だったらしい。

 結局死は一人で迎えろと言う事なのか神様。





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