低空飛行 | ナノ



低空飛行
11











 午前二時。

 鍵を差込み、開錠した音を確かめると、一呼吸置いてから静かにノブを回した。

 そして、予想はしていたが毎度この瞬間に訪れる胃が重くなる感覚にまた溜息が漏れた。たたきに無造作に置かれている黒い靴と、自分の物ではない靴。それは時にこの部屋には不釣合いなほど綺麗なヒール物だったり、男物の大きな靴だったりとさまざまだった。

 舌打ちをしたいのを堪えて、一度開けた扉をまた静かに戻した。

 いつから、あの空間は俺のものじゃなくなったのだろうか。

 父親が転がり込んできてから出て行けとも言えなくて、あっという間に寒い冬が過ぎて、また暑い季節が近づいた頃、父親は誰彼構わず部屋に人間を連れ込んだ。その目的は言わずもがな性欲処理だ。たちが悪い事に男にでも手を出して、初めて連れ込んでいるところに帰宅したときには俺だって怒りを露にしたものだったが、返って来た言葉に思わず絶句した。「じゃぁ、お前でも良い」とのうのうと口にしたんだ。からかうように、でもどこか本気めいていた雰囲気を出して。

 そして俺もあの男の狂った血がこの身体に流れている事実。米田に好意を寄せる自分を、あの頃の俺は何度責めたことか。なのに今、遺伝だと一言で括ってしまえば簡単に納得さえ出来てしまって馬鹿馬鹿しい。

 扉を力任せにたたき付けたかった。こんな時間に騒動を起こしたってどうにもならない、ただ伍郎さんに迷惑をかけることだけは間違いないのだ。コツンと握った拳を扉にぶつけると、力を抜いて静かなアパートを出た。

 行くあてなんてあるわけは無くて、結局どこかで空が明るくなるのを待つしかない。そして父親と入れ替わりであの家に戻って、わずかな睡眠を取る繰り返し。

 父親に嫌気がさしても、結局は父親が居座る事を許してしまったのは自分だった。新たに家を探す資金なんて物はもったいなくて使えない。富田さんにまた迷惑をかけるわけに行かない。

 いや、そんな理由は言い訳でしかない。傍に人がいるという事に甘えている自分に気付いている。


「ぼん…」

 アパートの前で、唯一所持しているもので高価だといえる買ったばかりの中古自転車にまたがろうとした所で、掛けられた声に顔を上げると伍郎さんが眉毛を下げて笑って立っていた。起きていたのか、起こしてしまったのかは定かではないけど。

「ぼん、うち来い。こんな時間じゃ暇をもてあますだろ。うちで寝れば良い」

「伍郎さん…」

「親父さんも困ったもんだな」

 冬はずいぶんとお世話になった、この春にこの自転車を買ってからは何とか時間を潰す事が出来るようになった。コンビニで立ち読みしたり、ファミレスをコーヒー一杯で粘ったり。

「ありがと、でも今日はコンビニとかはしごしてみるよ」

 いつまでこんな生活が続くのだと、何度も思う。でもどこかで俺にはこういった生活しかないんだって諦めもついていた。流されるように生きていくしか。
 ちゃんと血は繋がっているのに、家族と言うにはおかしくて同居人という言葉がぴったりな父親。会話らしい会話が無くても、同じ部屋に人が居るだけで少しは安心できる。

 伍郎さんにもう一度お礼を言って自転車のペダルに足を乗せて力を入れた。さっき帰路で通ってきた大通りを横切って、フラフラと時間の潰せる場所を探しに出た。

 夜は嫌いじゃない。キラキラと光るテールランプは綺麗だし、静まりかえる空気も、どこか遠くで聞こえる音も好きだった。





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