僕をよろしく | ナノ
僕をよろしく
06
映画は決めていたわけじゃなかったから、上映している数個の中から、時間が合うもので自分達が見てみたいと思ったものにした。
選んだのは一人の殺人鬼の話だった。無差別殺人を犯した男性が最後の殺人を終えて捕まる所から始まったそのストーリーは、彼の私生活での出来事、そして些細な事の重なりから殺人を考えるまでになってしまった心理を描いた物だった。
男性が恋をして満ち溢れた毎日を過ごすシーンでは、自分の先ほどの感情が感化された気分になった。友達の裏切りから始まったそのすれ違いは修復の着かないものへと変わっていく。
始まってすぐ、引き込まれた僕はすでに主人公の気分で。あまりにも感情を移入させすぎて、先輩が僕の手を握っていた事さえ気にならなくて、先輩が僕の手を自分に引き寄せ、甲にキスを落とすまで僕はされるがままだった。
「―・・・!」
唇が触れた感覚に慌てて先輩を見ると、先輩は暗闇の中僕を見つめて笑っていた。その目だけがスクリーンの光でキラキラと光っていて…。
「夢中で可愛い」
そう僕の耳元に口を寄せて小声でささやいた。映画の途中でそんなことしてくる先輩はらしくないな、と一瞬思ったけど、次の瞬間吹っ飛んだ。
湿った唇が、僕のと重なった。
そっと唇を開こうと動く先輩に必死で抵抗する。あまり暴れるわけにもいかないから、胸を押しのける程度しかできなくて。
「誰か、見てますっ」
「わかんないよ」
暗闇で繰り広げられるそんな小声での会話。折角の映画も途中が分からなくなってしまった。
その後も先輩はずっと僕の手で遊んでいて、それからは映画よりも先輩が気になって映画どころじゃなくなってしまった。
「椿ちゃーん、怒ってんの?映画邪魔したの」
「お、怒ってなんか無いです」
「そう?…じゃ、気を取り直してカフェでケーキでも食べようか」
時計を見ればまさしくおやつの時間、ではあるが。
「僕、さっきのランチがまだ消化しきれて無いって言うか…食べれる気がしないんですけど」
「…そ、っか。残念。…じゃぁ何か手土産にしょう」
それはもう本当に残念そうにそう言うからなんだか凄く申し訳ない気分になってしまう。
結局先輩のオススメの店でプリンを買って帰ることになった。何やら有名な店らしいのだか、唯一の支店はここにしかないとかで、店の前には人が並びそれは途絶える事がなかった。
白い箱に入ったプリンを抱えて帰りのバスを待つ。
先輩にタクシーで帰ることも誘われたけど、僕はどうしても知らない人に僕達の会話を聞かれることも嫌だったし、もともとタクシーというあの空間が苦手だった。
バスに揺られるうちに沈んで行く太陽の陽差しがバスの中にまで差し込んできていた。
「椿ちゃん、好きなデザートある?」
「デザート限定ですか!?」
どれだけ自分が甘い物キャラになっているんだと、苦笑さえ漏れるそのセリフ。
「えぇっと、そうですね、シュークリームとか」
「美味しいお店とか知ってる?」
広い公園の遊歩道を抜けて現れる図書館。その脇に立つカフェ。甘いバニラの香り…、そして僕の傍に居るのは、会長の姿。
あの時のことは夢だったんじゃないかと、最近よく思うようになった。学校に居たって滅多に接触できるわけでもない会長と過ごした時間。宝物のような、幸せなひと時。
今と同じように、白い箱に入ったシュークリームをバスに揺られながら持って帰ったんだ。
「椿ちゃん?」
「…あ、ごめんなさい考え事してました」
あの時の事は、僕さえも触れるのがもったいなくて、会長と過ごしたあの日のことは大切に宝箱にしまっておきたかった。
「きっと僕が知ってるお店よりも…え、詠仁さんが知ってる多くの店のほうが有名で美味しいお店だと思います…」
「…まぁ、俺もツレから仕入れた情報ばかりだけどなぁ」
クスリと笑いかけてくれる先輩に、ほんの少しの罪悪感。
「…夕食後にこのプリン一緒に食べましょう」
「食べれるの?椿ちゃん」
「夕食、軽くにしますから」
微笑めば、先輩も笑顔を返してくれる。そんな何気ない反応さえも僕には嬉しかった。僕の一挙一動に答えてくれる先輩。きっと会長とのことを宝箱にしまうように、こんな事も大切な出来事に変わるんだ。
無かった物が手元にあるということがこんなにも満ち足りた気分にさせてくれるなんて。
怖いくらい幸せだって、思ったんだ。
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