僕をよろしく | ナノ



僕をよろしく
04









「先輩、…じゃなかった、詠仁さん」

 先輩はそんな僕の声に気付いて、そして噴出すのを堪えるように笑った。

「くくっ、無理して呼んでる?」

「そ、そんな事無いです、まだ慣れてないだけで…ごめんなさい」

「あぁ、そんな謝らせる為に言ったんじゃなくってさ」

 そう言って先輩は僕の手元を見た。

「何か良いのあったの?」

「いえ、ちょっと装丁に惹かれて読んで見ようかなって」

 本屋の紺色の袋に入った、先ほど購入したばかりの本を取り出した。

「空?」

「はい…内容はなんか、一つのBARを舞台に繰り広げられる人間模様なんですけど、この空に惹かれてしまって」

 ふぅん、と言って先輩はパラパラと本を捲った。

「きっとそんな夜の街を題材にしてるから、この空なんだろうな。朝一番の空、だろうなぁ」

「え、」

 その空は写真でもなんでもなく、さっと描かれたシンプルな空だった。シンプルって言うのはおかしいかもしれないけど、そんな言葉がぴったりな。
 シンプルすぎて、その空がいつの空かなんて気にもしなかったけど、先輩のその一言が僕の中に響いた。僕が飛び込もうと思ったのが"空"だったからなのか、先輩が"ソコ"から助けてくれたからなのか。


「腹減ったね、行こうか」

「…あ、はい」


 僕達は、朝から街に出てCDを見て…そこでは何も買わず、先輩がちょっと見たい雑誌があると言って入った本屋で一時間ほど時間を潰していた。

 先輩はファッション誌なんかを眺めて、僕は文庫本で本を漁っていた。

「夢中になってたから声掛けようか悩んだよ」

「わぁ、ごめんなさい。言ってくれれば…」

「だから…、また謝る。気を許してくれてるっぽくて良いだろ、そんなのが。変にこっち気にされても雑誌ゆっくり見てらんなかっただろうし」

 先輩は手荷物になるのがいやだと、雑誌を買わずに店を出た。欲しいものは足を使わずともネットで購入できてしまう便利な世の中だ。

「椿ちゃんは今日も昼飯はデザートがメインかな?」

「…!もう、先輩っ」

「先輩っつった!」
 
「わぁ!ごめ…っ」

 ふわりと僕を包み込むように、先輩の手が僕の後頭部に回り、そしてすばやく先輩の唇が…頭に、

 周りから見れば頭の匂いを嗅ぐような、そんな仕草。でも僕は間違いなくキスを受けた。

「せ、っぱ・・・!?」

 クスリと笑うと、一人先にエスカレーターに乗っていく。

「ま、待ってくださいっ」

「椿ちゃん顔真っ赤」

「だって、先輩っこんな人いっぱい居るのにっ…!」

「誰も他人の事なんて気にしてないよ。それにキスだって、気付かない」

 そんな、見てる人は見てるに決まってる。キョロキョロと周りを見回す、かといって目が合ったりなんかしたら困るんだけど…。

「そうやって挙動不審な方がバレるって」

 まだ顔のほてりが引かない僕はクツクツと笑う先輩を見上げた。

 先輩はよく笑う。

 僕もそんな先輩の傍に居て、感染していくように、最近では自然に笑える事が増えてきた。





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