僕をよろしく | ナノ
僕をよろしく
20
「切り離す?」
僕は森岡に向かって頷いた。
改めて見ると、森岡の表情は疲れたように曇っている。やっぱり親しくなくとも兄である詠仁さんの事で森岡も疲れているのだろう。
そんな森岡と詠仁さんの関係は、ひょっとすれば、僕と兄の関係よりも深いものじゃないだろうか。
相手を思う、関心がある、だからこその疲労。
「僕は…僕から逃げる為に、痛みを切り離す事が出来るんだ」
「…痛み」
「痛みから来る恐怖や不快感を少しでも逸らそうとしてるうちに、フィルターが掛かったような、テレビを見ているような感覚になる」
このことを誰かに伝えたのは初めてで、理解されようとは思わなかった。
だから、冗談っぽく笑って見せた。
「詠仁さんが僕にしたこと、僕はそんなに堪えてないよ。だから、森岡がそんなに心配する事ない」
信じてもらうつもりも無かった。けれど、森岡の口からからかうような言葉すら出てこない。
「――じゃぁ、俺が初めてお前抱いた時も。そうやって切り離してたのか?」
「えっ…」
「どうなんだよ」
「あ、ううん。あの時は、わけも分からなかったし、痛みの中から気持いいこと、探して・・・それに、」
あの時だけだとしても、ただの欲求の赴くままだとしても、確かに「僕」を求めてくれている事実は僕が感じた喜びだった。
「求められてるんだって分かったら、応えたかったんだ。それがどんな事だって。抵抗してた事も、それを諦めたら後は凄く楽に受け入れれた」
自分を変えたくて此処に来たって言うのも、どこかで友達や家族から逃げて来た事を認めたくないからじゃないかって思ったりしてた。
何故と疑問に思うことを全て諦めてどうでもいい事だって思ってしまえば、自分がここに居る理由が要らないんだって思えて、それが心地よかった。
「椿は、自分の考えに自分で答えを出さなきゃ行けねぇ状態に置かれてたんだな」
じわっと、自分の体温が上がるのを感じた。
駄目だ、と思ったけど自分の感情が勝手に動き出している。
「痛みから逃げる事、そんなの誰も教えねぇよ。相手の欲求に応えることが諦めになんか繋がらねぇよ」
だって、でも、どうしたら。
「痛い、怖かった、嫌だったって、言えよ。今、俺が聞いてやるから」
「森岡…」
だって今まで口に出した事はなかったんだ。
言ってはいけない、と言われて、母親にも父親にも、兄にだってそんな僕に耳を傾ける時間は無かったんだ。
家族だけじゃない、友達にまで。
「椿だからだろ。お前だからこうなってるんだ。自分から言えないから、今俺が聞いてやるって言ってる」
分かるか、と森岡が呟いた。
「薮内に何された?殴られたのか」
小さな事から少しずつ、僕の胸のうちを開くように森岡が問いかけてくる。
「…殴られた、けど、多分僕が勝手に家を出たから」
「勝手に家を出たくらいで殴るヤツがいるかよ」
「でも…」
「他には」
少しずつ、僕の記憶を切りとって、森岡の言葉に合うように答えていくうちに僕は何かを取り戻すような、自分の胸に溢れる感情があった。
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