僕をよろしく | ナノ



僕をよろしく
17






「詠仁さん、電話…」

僕の声にのそりと体を起こすと、詠仁さんは目を細めて微笑み、部屋に戻った。

携帯を開いて着信を確認すると、すぐにまた閉じてしまう。
誰からなのだろう、また父親に当たる人からなのだろうかと僕の方が心配になってしまう。
けれど詠仁さんの表情は変わらなくて、機嫌はどうなのだろう、と過去に大人の機嫌を伺ってきたようにその恐怖と緊張感を感じながら僕も部屋に戻った。

そんな僕に気付いているのか居ないのか、詠仁さんはまるで僕の存在がなくなったかのように、自然とベッドへ転がった。

今までの詠仁さんからは考えられないくらい、その姿が僕には小さく頼りない物に見えて、急に心細く不安になった。

足音を立てず、傍に寄ると床に膝を着いて、それは詠仁さんに寄り添うような――、僕は傍に居てあげたいと、居なきゃいけないと。すぐ傍に味方が居るのだと教えてあげたかったのだ。


「前、男が来ただろ。でっけぇの」
「長身で、スーツ着た人…」
「あぁ…父親の秘書なんだけど、そいつがじきに迎えに来るよ」

それは、僕を迎えに?

「そしたら、もう終わりだから。俺から解放されるから。椿ちゃんは学校戻って、また、今まで通り、だ」

その詠仁さんは、また捕まえておく事が出来なかったと自分自身を哀れんでいるようだった。

正してくれる人が居るわけでもない。正しい道を記してくれる人は居ない。手探りで歩き続けて、きっとここまで。
そして、また間違っていたのだと思っていても、どうすることも出来ない。

詠仁さんを見て気付く事がたくさんある。

僕も詠仁さんも自分を表現する事が苦手で、僕は内に篭ってしまい、詠仁さんは自分の表面を偽る。本当に言いたい事は何一つ伝える事が出来ずに、結局終わりを迎えてしまう。
そして、その全ては自分によって降りかかったのだから、仕方の無い事なんだって自己完結して。

「詠仁さんも、一緒に戻りましょう?そして、」

クッ、っと詠仁さんの手が僕の喉元に飛びついてきた。

絞められるのかと驚いたのは一瞬だけだった。詠仁さんの手は優しく僕の喉にあてがわれているだけで、そこから感じるのは、人肌。
恐怖も、何もない。詠仁さんの寂しそうな瞳が僕を捉えている。

ベッドに寝かされると、詠仁さんは僕にまたがった。
手は、依然喉にあるままだ。

「母親は俺を金としか見ていない。俺が生きていればそれでいいんだよ。自然と金が回ってくるんだから」

詠仁さんの指先に力が込められる。けれど、僕が苦しくない程度にだった。

「拓深は俺のことを好きだと言った。ベッドの上では愛してるとも口にした。けれど、アイツはもう戻って来ない…おれはただ、確かな物が欲しくって、」

詠仁さんの指先が震えている。声はしっかりとしているのに、体は正直に心を映していて、僕は喉にかかった手に自分の手を重ねた。そうやって、少しでも僕の体温が詠仁さんに伝わればと、思って。

「なぁ、椿ちゃん。なんで、皆、離れて行くんだと…思う?」

それは大きな溜息で、諦めで、僕は初めて詠仁さんの涙を見た。

たった一粒だけ、だけどその雫はとても重たく、詠仁さんからやっとの想いで絞り出た本当の感情だった。

本当に、好きなんだ。
お母さんの事も、佐古の事も。


一粒だけ涙を落とし終えた詠仁さんは、すっかり元に戻っていた。いや、顔に笑顔を貼り付けていた。
その不自然さの理由はすぐに明確となった。
扉が開く音がしたかと思うと、バタバタと聞きなれない人の大きな足音が近づいてきていた。

「詠仁さん」

うん、と笑顔で僕に答た時だけは、僕の知ってる詠仁さんだった。

「椿ちゃん、ありがとう。ごめんな」

何度も聞かされる謝罪の言葉。
僕は何一つ詠仁さんを責めたりしていないのに。それが、詠仁さんの今までを表しているようで胸が痛んだ。

詠仁さんは悪くないんだよ。詠仁さんは何一つ自分を責める必要は無いんだよと、そう声に出したかったのに、扉を開く音にかき消されてしまった。





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