僕をよろしく | ナノ



僕をよろしく
09






僕が目を覚ましたのは、とっくに日が沈みかけていた頃だった。大きな窓のあるベランダから距離を取って置かれたベッドには、直射日光は届かない為、邪魔されることなくこんな時間まで眠ってしまったらしい。

慌てて起き上がり周りを見渡すが、詠仁さんの姿はみつからなかった。
綺麗に拭かれた身体に掛けられていたシーツを手繰り寄せ、身体に巻きつけてから扉を開けてリビングに出ると、詠仁さんが居た。

「――起きたの、身体は…大丈夫?」
「はい。あの…シャワー借りて良いですか」
「そうぞ、こっちの奥にあるから。好きなように使ってくれればいいよ」

「ありがとうございます。あの、服も…」
「誰も居ないし、誰も見てないから別に着なくても良いけど・・・」
「それはっ、ちょ…」

今更ながらの羞恥心にシーツを掴んでいた手に力を込めて、詠仁さんに訴えるような視線を送ると、返されたのは先輩の笑顔だった。
それを見れてなぜだかやっと安心できた。



それから僕達の微妙な関係ながらも、作ったような甘い生活は続いた。










冷蔵庫を覗いて1分。
それからキッチンに立ち尽くして30分。


毎日の食事は近くのコンビニか宅配メニューだった。その全てが詠仁さんから支払われていた。
詠仁さんは僕が此処に来てからずっと傍に居てくれる。何度か携帯が鳴るのに僕が気付いたが、その電話には出る事が無く、メールも誰かに送る、もしくは返信するといった行動を見ていない。
それは僕が見ている限りの話で、シャワーを浴びている間に詠仁さんが返事をしているかもしれないけれど…。

僕に気を使ってのことなのかどうなのか。
僕には分からないけれど、気付かない振りをしていた。「もう帰れ」と言われれば素直にこの家から去るつもりではいるのに、詠仁さんは言ってこない。

詠仁さんは友人と遊んだりはしないのだろうか。
僕のせいで我慢をさせていたりするのかもしれない。

「どうかした?」

キッチンで立ちすくむ僕の背後から声が掛かる。
静かに振りむくと、詠仁さんが不思議そうに僕を見つめていた。
その視線もずいぶんと柔らかい自然な物になっていて…たぶん、今までの僕の知っている詠仁さんは別人だった。そして目の前に立っている詠仁さんは、本物。

「ご飯を…何か作ってみようかって思って。でも冷蔵庫何もないし…」
「いいよそんなことしなくて」
「でも、」
「お金は親の方から出てるし、デリバリーなんて毎日の事だ。気にすること無い」

詠仁さんのお母さんは、本当に滅多に帰ってこないらしい。いつも此処で一人で?そう思ってもかける声も見つからず、仕方なく詠仁さんが出してきたチラシに目を走らせた。



注文したビザを待っていると、インターホンが鳴り、僕はてっきりピザが届いたものだと思っていたら、次いで聞こえてきた人の足音に体が強張った。
いくら相手が常連だとしてもピザ屋が勝手に家へ上がりこむ事なんて考えられない。

詠仁さんに目配せすると、一瞬驚いていたようだったけれど、すぐに諦めの表情を見せた。

「詠仁さん?」

詠仁さんは無言で一瞬肩をすくめた。

「椿ちゃん、ピザ届いたら勝手に食べといて」
「え?」

足音の主はリビングの扉を静かに開けた。

キッチリとしたスーツは詳しくない僕にも高級な物だと判る代物で、綺麗に整った表情をした長身の男性が立っていた。
その人は僕を見つけるとスッと目を細め、それから溜息混じりに詠仁さんに呼びかけた。

「詠仁君・・・君はまた――」
「またってなんだよ。そんなんじゃない。それよりまた呼び出しだろ?さっさと済ませようぜ」

そう言うと、詠仁さんは玄関へと歩いていってしまった。
扉のノブに手を掛け、スーツの男性が僕を見下ろし口を開く。

「いい機会だ、詠仁君が家を空けている間に逃げなさい。セキュリティーもしっかりしているから鍵の心配もしなくて良い、このまま、すぐにだよ。いいね」

僕にだけ、聞こえる小さな声。
けれど言い聞かせるような強さがあった。
訳も分からず、ぼんやりしていると、再度「逃げなさい」と言って、男の人は僕に背を向けた。


二人が出て行くと、家の中はしんと静まり返る。
何が起こったのかいまいち理解できず、ただ自分が残されたのは確かだった。

「逃げろって…」

どういうこと?
出て行けというのなら意味も分かるというけれど、彼は初対面の僕に逃げろと言った。
それは遠まわしの出て行けという意味なのか?





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