僕をよろしく | ナノ



僕をよろしく
06






駅のロータリーが視界に入ってくると、僕は辺りを見回して詠仁さんの姿を探した。
静かな駅前は日中の賑わいが嘘のように、人の姿もなければ、辛うじてタクシーが数台見える程度だった。


「椿ちゃん」

聞こえた声に、弾かれるように振り向いた。
よく待ち合わせに使われる時計台の裏側から、そっと詠仁さんの姿が現れた。

「詠仁さん…」

姿を見れば、どことなく気まずい空気が流れる。

まだ会うべきではなかったのかもしれないと今更ながらに考えてしまって、普通の先輩後輩の関係だけなのに、こうやって僕のわがままで会ってもらうなんて事ただの迷惑だ。

そうやって後悔したところで、僕は詠仁さんに頼るしかなくて、ただ自分の気持ちを落ち着かせるためだけに、詠仁さんを、利用して。

「詠仁さん、ごめんなさい。こんな時間に我が儘…言いました」

申し訳なさから、詠仁さんを直視できなかった。
俯いた視界に、詠仁さんの靴が映ると、それは静かに僕のつま先まで寄ってくる。

「良いよ…タクシー待たせてるから、行こうか」

詠仁さんの指先が僕に触れようと延びたが、それは直前で躊躇い、そして触れることなく下ろされる。
その動きから、詠仁さんの気遣いは明らかだった。
ひょっとしたら、詠仁さんも僕と同じ気持ちを持っているのなら、傷つけているのも、利用しているのも、お互い様なのだろうか。

踵を返してタクシーに向かったその背中に、僕は追いかけながら、胸の内で謝罪を唱えた。



タクシーに乗り込んでからも僕達に会話らしい会話はなかった。一体どこへ向かっているのか、そう訊こうかと思ったけれど、結局詠仁さんを呼び出した時点で、僕はどこへ連れて行かれようともそれに従っただろうから口を閉じた。

薄暗い窓の外を見ていた詠仁さんが、ポツリと何かを呟いた。その声は呟き程度で、僕の耳は擦れた音としか捕らえなかった。

「…え?」

そう聞き返した僕に、詠仁さんは依然視線は外に向けたまま、もう一度言葉を吐いた。

「早く、大人になりたいって…思わねぇ?」

溜息の混じったようなその声は詠仁さんのものじゃないような響きだった。

「大人に…」
「あぁ。大人って言うか、そうだな自立って言った方がいいか。誰の手も借りずに、一人で生きていけるだけの力」

口元を引き上げるように微笑んで話てくれた詠仁さんが、僕には痛々しく見えた。

詠仁さんは僕が家からこんな時間に飛び出してきた事を指して、こんな事を言ってくれるのだろうか。
僕達の年代ならば、少しくらいそんな気持ちを持っている人が居るだろう。
自分一人で生きていけるのなら、僕だって気楽だ。家族の顔色を伺わなくて良い、そんな田嶋という箱から早く出たいと、そう思っている。自由に、なりたい。

でも今は、学生で、未成年で。
親の力がなくては、頼る人が居なくては、身動きが取れなのだ。

「でも、どうしようもないですよね」

「あぁ――。どうしようも、ない」



タクシーはそれからしばらく走り続け、静かな住宅街を走り抜けると、一つのマンションの前で止まった。

先輩が財布から取り出したカードで支払いを済ませて、タクシーを降り立つと、僕はそのマンションを見上げた。

「俺ん家で良よかった、よな」
「……はい」

詠仁さんんが番号を打ち込むと静かに扉が開かれる。エントランスに入れば、ちょっとしたホテルを思わせるような空間が広がっていて、その高級感に驚いた。
こんなマンションに住んでいればあの寮の生活は窮屈で仕方ないだろう。

数台あるうちの一つのエレベーターに乗り込むと、それは最上階まで静かに昇って行く。

「えっ…」

まさかの最上階に思わず声が漏れた。が、詠仁さんは静かに笑うだけ。

「最上階なんて、親の趣味だよ。部屋数や広さがあっても管理できなきゃ意味がない。…でも、これが俺ん家だから」

そう言って詠仁さんは、エレベーターを降りてすぐの広いポーチの門を開き、大きな玄関扉を開いて僕を招き入れた。

涼しい風が抜けるような感覚を受けながら、僕は靴を脱いだ。
静まり返った玄関、そこから続く廊下、現れた大きな大きなリビング。
その全てが想像以上で、誰もが羨むような家だった。

涼しいと感じただけじゃない、僕にはその全てが…冷たく思えた。






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