僕をよろしく | ナノ
僕をよろしく
04
「柊杜(しゅうと)兄さんは相変わらずだな」
「仕方ないだろ、今一番いい位置だからな。吸収できる物はしとかないと。些細な事も身になる世界だと思うよ」
楓弥兄さんは、羨望のまなざしで柊杜兄さんを見つめる。父の仕事でもある医療器械の仕事に付く為、柊杜兄さんはちょうど研修員として飛び回っている所だった。
「どんな感じだ?仕事の方は」
瓶を傾け、ビールをグラスに注ぎながら、父が楽しそうに柊杜兄さんに問いかける。
昨日、母と楓弥兄さんに再会した翌日、上手く休みが重なった家族が久々に揃った。
久々に帰宅したらしい父は、疲れよりも家族が揃った事が嬉しいらしく、先ほどから口に運ばれるアルコール量が多いようだった。
「楽しいよ。吸収するものも沢山あるし。父さんの薦めた会社を蹴って正解。コネなんかで入ってたらこんな楽しみ味わえなかったと思ってる」
「言ってくれるな。まぁ、お前が社に来る事を気長に待つとするよ」
兄の姿を目を細めて誇らしげに見つめる。
父が研修先として用意した所は都心の大きな会社だったのに、柊杜兄さんはそれを蹴って自分で会社を決めてきた。最新器具に囲まれ、親の眼の届く場所よりも、誰も嶋田の長男である自分と言う人間を知らないところでしっかりとこの目で確かめたい物がある、と言い放った。
困惑していた父も今では自分の意思を貫いた頼もしい長男の存在が誇らしい様子だった。
勉強がしたいから、と海外に出た時も、反対していた父も結局は柊杜兄さんの行動力に惚れ惚れしていたくらいだ。
柊杜兄さんの父を尊重しながらも自立した考え。
楓弥兄さんの自由で明朗な男らしさ。
家にはもう十分だったんだ。
両親は女の子を望んでいたのに。
「椿は?学校は楽しいか」
そう、問いかけてきたのは柊杜兄さんだった。
年が離れているせいか、いつも優しく接してくれる一番上の兄さん。小さい頃から触れ合う機会も少なく、どことなくよそよそしさを感じる会話になってしまう。
「――、うん」
楽しいか、と問われたところで今の寮生活は楽しさの欠片も無い。自分の位置も分からず、流されるように生活する日々。
この学校生活は自分の為になるようには思えなかった。けれど、それを口にすることも出来ないし、口にしたからといってどうして欲しい訳でもない。どうにも、ならない。
「寮生活はどうだ、一人もいいもんだろう?食事はしっかり取ってるか?今のうちに自炊も身につけておけばいいんじゃないか」
「……寮は何でも揃ってるから、食事も。自炊する方が馬鹿らしいくらいだよ」
一人がいい。
一人の気楽さは知ってるつもりだ。
だけど滅多に家に帰って来なかった柊杜兄さんは気付かなかったのだろうか。寮に入らずとも、僕がこの家で、一人だった事。
「将来のこと、椿は何か考えてるのか?例えば、俺たちのように父さんから近いところで。それとも――」
「椿は、好きなようにすればいい」
家族の視線が僕に集まる瞬間、兄さんが次の言葉を繋げようとしたそのとき、言葉を遮ったのは父だった。
「―――、」
それは、僕に期待するだけの価値がないから?
そう、問う勇気は持ち合わせていなかった。
出来るだけ平静を装い、聞き流したかのように、目の前にある食事を進めるしかなかった。
期待されたいわけじゃない。
けれどこの家はそういう家だ。その中で僕だけが異端な気がして、いつだって、父や母が交わす兄との会話には僕だけが混じる事が出来なくて。
「椿は野放しにさせてもらえていいよな」
楓弥兄さんの口調は、そのまま棘となり、僕に向かってくる。
手にしていたフォークは目の前のレタスを貫通させる。新鮮なレタスが裂けるような音は聞こえたが、その感触は僕の手には伝わる事はなかった。
機械のように、義務的に皿から口へと運ばれてきたそのレタスを、小さく、小さく、噛み砕いて胃の中へ入れた。
その頃には、テーブル内の話題は別の話に変っていた。
「ごめんなさい…。昨日、夜更かししたからもう寝るよ。父さんも兄さんも明日も居るんだよね、また明日」
「あぁ…明日、夕方までだがな。居るよ」
席を立ち上がり、一度だけ伺った父は、頬を赤らめとても楽しそうだった。
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