僕をよろしく | ナノ
僕をよろしく
02
懐かしい自分の部屋に体の力が抜けるようだった。
静かに扉を閉め、足元にカバンを置くとベッドに飛び込んだ。
身体を全て預け力を抜いていく。
全く埃っぽくない自分の部屋はちゃんと掃除されている証拠。自分の部屋だけど、誰かの手が入っているのは確かだった。
この安心感は自分の部屋、という安心感ではなくて…誰の目にもつかない、誰も僕の部屋に入ってこない自分だけの場所だと、寮とは違うという安心感でしかなかった。
それほど長いという寮生活でもないのに、たくさんの事が起こって、それによって自身を見失っている。
自分の性格はどんな物だったっけ
自分は今までどう人と接してきていたっけ…
疲れた脳をベッドに沈め、そっと目を閉じると、ジワジワと睡眠に侵食されていった。
◇
次ぎに目を覚ませば、空は茜色に染まって、夕刻を伝えていた。久しぶりの自宅に深い睡眠を取っていたらしい。
耳を澄ましてみても、物音一つ聞こえない。
きっとこの家に居るのは僕ひとりなのだろう。
部屋を出て、1階に下りると薄暗くなりつつあるリビングの照明を点けた。
母さんは明後日に帰ってくるといっていた。多分父さんは滅多に家には帰ってきていないだろうし、兄さんも忙しい身だ、きっと母さんと二人でしばらくを過ごす事になるのだろう。
腰を下ろそうと思っていたリビングのソファが自分の知らない、新しい物に変っていた。きっと母親の趣味だ。衝動買いはまだ続いているらしい。
今もどこへ行っているのかは知らないが、きっと衝動買いでお金を落として帰ってくるのだろう。
僕には、関係ないことだけど。
座ったソファは体がどこまでも沈んでいくような柔らかさだった。
しばらく部屋を見渡して母の趣味が変った事を感じ取って、それからキッチンへ向かうと冷蔵庫から水を取り出しまたソファに戻ってきた。
母が帰ってくるまでは、この広い家に僕一人なのだ。
広い家に一人。
今まで何度も経験してきた事だけど、一人の方が気楽だけど。それでもこの家は自分ひとりの物では決して無い。
この一人の時間をどう過ごそうか。
学校へ持って行けなかったCDでも聞き込んで、父さんの書斎から何か本を借りて。
きっと気付けば寮に帰ろうとする日がくるだろう。気付けば夏休みまでも終わりを告げているはずだ。
一人では夕食を取る気にもなれず、簡単に入浴だけを済ませると、父さんの書斎の扉を開いた。
遊んでもらった記憶などは少ないもので、いつでもスーツを着こなして、誰かとの会合に付き合わされていた。
幼い僕には父の交友や仕事の関係の話は理解も出来ず、とてもつまらないものだった。いつも窓の外を眺めたり、ペーパーナプキンで遊んだり、父よりもそのホテルの従業員が相手をしてくれたり、そんな記憶ばかり残っている。
父が書斎としている部屋には多くの機密書類も置かれることがあり、本棚意外に触れることは子供達はもとより母ですら許されなかった。
父の部屋は少し埃っぽく、きっと掃除の手は入っていない。大きな本棚を前にして、本の背表紙に視線をめぐらせる。
あの頃何も関心の湧かなかったものが、高校生になった僕の目に止まるかもしれない。端から順番に背表紙を辿った視線はとある場所で止まった。
そこに飾られているのはうっすらと埃のかぶった家族写真だった。懐かしい兄さん達の幼い姿。そこに写る自分は暗い顔をしていて、思わず苦笑が漏れた。
この写真を撮るとき、兄に急かされまくったのだ。急げ、と言われれば言われるほど靴が思うように履けなくて半分ベソをかきながら兄に縋った。
懐かしい記憶が蘇っていく。
兄達に比べれば、僕の写真は断然少ない。それは自然な事だと受け入れてはいるつもり。けれどこうやって父の書斎に来れば飾られた兄の写真の多さに、期待の大きさを感じて、兄の為にと取られた時間の多さに、思わず嫉妬してしまう。
将来も、いつかは兄と共に連携した会社運営をと思っていることは明確だった。それが、父の夢でもあったから。
敷かれたレールではなかった。
兄は父を尊敬し、自分で父のレールに沿うように自分の道を這わせた。
僕は、それに乗ることも許されず、自らレールを敷くことすら、できずに居る。
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