僕をよろしく | ナノ



僕をよろしく
01






日差しは容赦なく肌を焼き付けていく。
時折吹く、生温い風でさえ、この暑さでは心地いいと感じてしまうくらいだった。
学校の門を出たところから見た、長く続くバス道には陽炎が立ち上り、それに思わず目を細めた。

自宅までの道のりは思いのほか長かった。その感覚がどのくらい家に帰っていなかったかを実感させている。
けれど、歩く事もバスに揺られる事も僕にとっては苦痛ではなくて、帰宅する事自体…気が進まない。


自宅は好きだ。
好きだった。
僕の部屋にあった窓は残念ながら北向きだったが、夏の暑い日差しは直接入ってこず、いつでも風通しが良くて過ごしやすかった。夜に見上げる星空もとても綺麗で、隣家との距離もあったので大きな空を独り占めしているようだった。

それが、いつの間にか暗いだけの、孤独を感じるだけの部屋に変ってしまった。







モニターと視線を絡めるように、インターホンを押そうと一度手を伸ばしたが、僕が帰宅する事を知っている家族は居ただろうか、と一瞬考えてやめた。
門を開くと、玄関の扉へと向かう。
昔と変らない庭はちゃんと手入れされていた。たった数ヶ月前まで見ていたのに、それはとても懐かしくて、僕の目には綺麗に咲いている花が写真のように見えた。

撒かれたばかりらしい水がキラキラと光っている。

誰かが、居る?

膨らんだのは期待なのか、不安なのか…自分自身にもよくわからなかった。けれど足はすぐに扉へと向かう。
カバンの中から鍵を取り出し、差し込んだ。

扉をそっと開くと、広い玄関にはポツリと運動靴が置かれているだけだった。
母親は運動靴なんて日頃は履かない人だから、これは母のものじゃない…。



「だ、誰ですか」

耳に飛び込んで来た声のに顔を上げると、訝しげに僕を見つめる女性が立っていた。

その声に、その姿に、肩が震えた。

「あ…」

手に握った電話の子機は多分先ほどまで誰かと電話していたのだろうか。一緒に握られた雑巾が、彼女が誰かを表していた。

「勝手に入ってきて…、あなたは?」

「あのっ、僕は」

落ち着け、
このひとは違うから、
・・・そう言い聞かせて、何とか声を絞り出していく。

「た、じま、椿…で、その、この家の三男で…」

「――ああぁ、失礼しました!私は奥様の不在中、週に数度ハウスクリーニングしに来ています」

自分が思っていた通りの人だった。
けれどそのことがまた僕の胸をざわつかせる。もう、僕に危害を加える人は居ないのに。
居ないのに、やっぱり自分の家に他人が居るという事がまだ僕の中に黒い何かを巣くっているようだ。

家に居れば他人の出入りにも慣れていたのに、数ヶ月家を離れれば、これだ。


「ご苦労様です…」

「奥様は明後日には戻ると聞いています」

「そう、ですか」

「あの、失礼ですけど、今日帰宅される事は奥様はご存知で?いえ、細かい所までは聞きませんが、食事の用意などまでは言われていませんので、」

チラリと玄関に掛かった時計に視線を合わせる。
きっと彼女の仕事は済んで、後は帰るだけなのだろう。

「…親には連絡していません。食事は何とかしますから、時間が来たら…帰ってもらって良いです」

「そうですか、では後30分ほどです。何かありましたら申し付けてくださいね」

にっこり微笑むその表情に、僕は愛想笑いも返す事が出来なかった。
彼女がキッチンに戻っていく姿を見届けて、僕は玄関ホールから延びる階段を登った。






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