僕をよろしく | ナノ
僕をよろしく
25
詠仁さんの部屋にあるソファに腰を掛けると、すぐに詠仁さんが隣に座った。
いつもだったら誰かに何かを話すとき、話しかけるとき、なんて言葉を掛けたらいいのかと、考えて考えて構えてしまうのに、今の僕は異様に冷静で落ち着いていた。
「椿ちゃん、何か飲む?」
「…何も」
首を振って答えると、詠仁さんが僕に伺う視線を向ける。それをきっかけに僕は訊きたい事を口にした。
「詠仁さん、佐古と…昔関係があったんですね」
まるで僕の問いかけを判っていたのか、詠仁さんは驚く様子もなく、いつもと変わらない表情だった。
「あぁ…誰かに、聞いた?」
「いいえ。僕、見てたんです。初めて詠仁さんと佐古を見たのは図書室でした。その時から、…違和感があって。ただの知り合いと言う風には、見えなかった」
「やっぱり見てたんだ。でも、それってどんな風に見えたの」
言い争っていたわけではない。けれど佐古は…
「佐古が、詠仁さんから逃げるように去っていくのを」
一言で言うならば拒絶に近いもの。けれど詠仁さんの気持ちを思って、それを口にすることは出来なかった。
詠仁さんは僕の言葉にクスリと笑いを洩らした。
「それだけ?」
「いえ、あと、寮の中庭ででも」
詠仁さんが息を飲んだのが、分かった。さすがに茂みに僕が居たなんて思いもしないだろう。あの時を思い返すと胸が…苦しくなる。
けれど、いつまでもこのままで良いはずがないことも分かっている。
捨てられるなら、それでいい。
これで終わりなら、そうしよう。
「詠仁、さん、拓深って、佐古の事呼んだり、その…二人の話、聞いてしまって―…詠仁さんが窓ガラスを、」
「もういいよ」
苦しい、苦しい。
あのときの詠仁さんを思い返すたびに僕は息苦しくなる。佐古への想いがどんな物かは分からない、けれどそれをぶつける術がなくて、窓ガラスを割ったのだ。
自分の身を考えもせずに、自分の腕をそこへ叩きつけたんだ。
例えば、あのときの相手が僕ならば…詠仁さんはそこまでしただろうか?
それが、全ての答えだと思う。
「先輩は、まだ佐古の事――」
「ゴメンねぇ椿ちゃん」
ニッコリと笑いかけてくる先輩は、僕の知らない先輩だった。今まで落ち着いていた心拍が上がっていくのが分かる。
僕は訊いてはいけない事を訊いてしまったのだろうか。そんな、焦り。
「詠仁、さん」
いつかの、そうだ初めて声をかけられたときの詠仁さんはこんな感じだったように思う。なら、今まで僕の見てきた詠仁さんは一体。
「まだもう少し続けてたかったけどな。残念。知らなければよかった事ってたくさんあるだろ?その一つがこれだよ」
知らないままで居たら…。それは結局僕も詠仁さんも幸せにはなれない事ではないか。そっちの方が良かっただなんて、思えない。
「詠仁さんは、まだ佐古の事…思い続けてるんですよね」
知らない振りして僕を見る時間があるのならば、自分の気持ちを大切にして欲しい。
僕と居たって、交わる事のない感情は無駄じゃないだろうか。
「拓深…の事は、そんな綺麗な物じゃなくって、執着と言ったほうが正しいかも」
一瞬だけ切ない表情を見せた詠仁さんに、やっぱりちゃんと話をして良かったと思った。執着と言っても、結局はそこに想いがあるのだと僕には見えた。
「今では、だけど。あの時はまだ拓深の望む事を簡単に叶えてやりたかっただけだった。椿ちゃんがどうとか、関係なかったんだ」
「え?」
「拓深が、椿ちゃんをどうにかして欲しいって言い出した時は何も考えてなかったんだよ。俺も、拓深も」
僕を、どうにか?
急に出てきた僕の名前にまた頭が着いていかず、言葉を上手く飲み込めない。もう少し分かりやすく、というセリフが出てこない。
「拓深が昔っから会長を追いかけてたのは知ってた。アイドル的存在だし、拓深も会長とどうのこうのは望んでなかったからな。だから遊び感覚だったんだよ、拓深の望む事をして、戻ってくるなら安い物だって…」
意味が、分からない。
「佐古が会長を?僕をどうにかして欲しい、って…」
「拓深とやりあったんだろ?自分じゃ鬱憤晴らせないんで、俺にって回ってきた訳」
やりあってなんかない。一度目は森岡が間に入ったし、二度目は誰かを連れていた。それでも気がすまなかったという事?
「椿ちゃんに近づいたのも、そんな理由から。懐に入れて可愛がって、可愛がって、そして捨ててやろうって」
思っていたよりも、ずっと鋭利な刃物だった。覚悟していたものよりも、ずっと深い物だった。
単純だと、何故思ったのだろう。
痛みなど感じないって、なんで思っていたのだろう。
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