僕をよろしく | ナノ
僕をよろしく
24
「聞きたい事って、俺に?」
非常階段の扉を背中に、僕は瀬川を見上げた。良く通る瀬川の声は、すぐ傍にある寮の階段に響いた。僕は少なくなった人目から避けるようにその踊り場へと瀬川を引っ張って行く。
「うん、ごめん…。瀬川ならもちろん知ってるかと思って。…その、薮内先輩と、佐古の事」
まるで、僕が粗方の事は知っているんだと、そう瀬川に伝わるようにと口を付いた。だけどそんな上辺の言葉と言うのは心とは関係なく、つらつらと吐き出されていく。日頃からこんな風に誰かと会話が出来れば僕だって苦労しないのに。
こうやってずっと感情を切り離しておく事が出来ればいいのに。僕という器を指先で自由に操る事が出来るのなら簡単に僕は親友の一人くらい作れるのかもしれない。
「――…、あぁ、知ってる。でも過去の話だし、今更蒸し返すような事じゃないよ」
「うん、でも知りたいんだ。先輩に直接訊くのはちょっと恥ずかしくって。ただの嫉妬みたいに思われそうだし、先輩も詳しく教えてくれないんだ…」
「そりゃ、あまり言いたくないだろうな」
「そんな凄い事?」
一瞬しくじったと自分を責めるような表情をした瀬川を見逃さなかった。
「凄いって言うか、まぁ俺なら姿消したい、って思うかな。まぁそれだけ薮内さんは佐古がすべてだったんだろ…って、わりぃ」
僕に気を使って言葉を切った瀬川。だけど今の僕ならどんな言葉だって受ける事が出来る。ショックだなんて思う事もないはずだ。
「ううん、いいから、僕のことは気にしないで。その辺の事…詳しく教えて欲しいんだけど」
「大丈夫なのか?それに、誰からかそんなこと訊いたなんて、薮内さんが知ったら―」
「いいんだ…。瀬川には、迷惑かけない」
こうなったら目の前の瀬川しか居ない。今すぐ詠仁さんの過去を教えて欲しい。僕の存在の意味があるのか、そんな答えを出す何かが欲しかった。例えそれが僕にとって辛いことだったとしても、今なら受け入れる事が出来る。
「佐古と薮内さんは付き合い始め、…なんていうか男同士っていう偏見を思わせないくらいにお似合いだった。ずっと傍に居る二人を見てたせいかな」
その言葉に、僕は瀬川から視線を外した。聞きたくないわけでも、気まずいわけでもない。
僕と先輩とを傍から見たらどうだろう?そんな風に思ってなんて、もらえなのが事実だ。
「でも、あるときを境に…佐古が薮内さんから逃げ出したんだ。二人に何があったのか誰も知らない。でも、明らかに佐古が薮内さんから離れてた。その時期、何度か佐古を追う薮内さんを見かけたりしてたよ。結局二人が別れたって噂が流れてから、これをネタに面白がったヤツとか…佐古のあの容姿だろ?次は俺と、なんて群がったヤツらは薮内さんにボコられた…」
「それで…みんな話したがらないんだ?」
「まぁ、佐古も色々酷い目に遭ったみたいだしな、それで余計薮内さんが過剰になっちまって…」
さっきの談話室での彼らも、きっと先輩を怖がって話を切り上げたのだろう。
「あぁ多分なぁ。にしても…もう日も経ってるのに未だにこれだからなぁ」
呆れたように瀬川は苦笑を洩らした。
先輩と佐古に何があったのか、瀬川にも分からないのだろう。話を聞くぶんに二人の間に何かがあったことは確かで、そしてその内容を第三者は知らない…。
「あ、まって。森岡は?佐古に手を出したりして、森岡だけがなんともなかったの?」
森岡も薮内先輩と対峙しての何かがあったのだろうか、そして今佐古は森岡の手の内にいるのだろうか。
「あんまり知れ渡ってないみたいだけど、森岡って薮内さんとは―、っと、」
慌てて口をつぐんだ瀬川。
彼の向けた視線の先に……薮内先輩が居た。
一瞬息を飲んだが瀬川が何もなかったように普通に言葉を繋げていく。
「じゃぁな、今度会ったとき必ず貸すから」
「あ、うん…ごめんね」
慌てて瀬川との話を合わせても、僕達に気付いて近づいてくる薮内先輩の視線を受けて緊張が走っていた。簡単に別れの挨拶を済ませると、瀬川はそっとその場から立ち去っていく。
階段を登ってくる先輩に僕は向き合う形で先輩を待った。
「椿ちゃん、」
「詠仁さん…どうしたんですかこんなところで」
「椿ちゃんのところへ、と思ってね…。アイツは、瀬川だっけ。何話してたの」
「詠仁さん、瀬川のこと知ってるんですね」
「そりゃ、中学からあがってきてりゃ学年が違ってもそれなりに覚えるよ。うちの学校は此処もだけど中学の頃から閉鎖的だったから…で?」
距離を詰めて、詠仁さんが問いかけてくる。近いこの距離が懐かしいような、照れくさいような、緊張するような、とても複雑な空気。
触れていいのかどうなのか、分からない心の距離を感じる。
そんな風に感じていたのは僕だけらしく、先輩は僕の腕を簡単に取り上げた。
「せ、瀬川とはCDを借りる約束、してただけで」
「そう」
「詠仁さん…、聞きたい事があるんです」
先輩との距離を縮めたい、と瞬間的に思った僕はそんなことを口走っていた。
もっと確かな物を、もっとしっかりとした先輩の気持ちを知りたい。そう思った。
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