僕をよろしく | ナノ



僕をよろしく
20







 子供達のはしゃいだ声が響いていた。まだ太陽は真上には届いていなくても日差しはキツイ。よくそれだけ楽しそうに駆け回れるものだと日陰になるベンチに腰を掛けて、芝生の青々とした眩しさに目を細めた。

 じわりと暑さは感じるものの湿度が低いせいか不快ではなかった。けれど数十分もしないうちに暑さに音を上げて席を立つだろう。


 僕は一人、バスに乗り込み公園へ来ていた。以前来た時と何も変わらないその広く明るい場所。そして会長と会ってからはこの場所の思い出が僕の中で温かくて、大切になり過ぎて、詠仁さんを誘う事は一度も出来ないでいた。
 僕はあれから詠仁さんとは顔を合わせていなかった。なんと声をかけるべきか、恥ずかしさと、詠仁さんがどう思っているのか、考えるほどどんな顔をすればいいのかも分からず会う勇気が出ない。

 ベンチに座って、携帯を取り出したものの、メール作成画面は真っ白なまま。詠仁さんへ電話じゃなくてメールででも、と思ってみてもそれは一緒だ。
 夏休みが近づいているせいか僕の心は焦りが生まれていた。どこかで詠仁さんを頼っている自分を確かなものにしてから家に帰りたかった。どこかに拠り所を作っていたかった。
 
 なんて・・・自分勝手な。

 溜息をついて携帯を閉じると、一度両手を挙げて伸びをしてから一緒に持ってきた文庫本を手にした。
 からっとした風が吹くのが心地よかった。部屋に居ればどうしても暗くなってしまう。物音一つしない部屋が落ち着かなくて、やっぱり音楽を聴いたままぼんやりと眠るだけだった。本に集中も出来なくてこの場所で気分転換をしようと思いついた。



 どれくらい集中していたのだろうか、ジワリと汗が噴出してくるのに耐えられなくなり、本を閉じた。見渡せば先ほどまで走り回っていた子供達は消えて、遠くに見える噴水から高い声が聞こえていた。
 噴水の上げる水しぶきに子供が喜ぶ。キラキラと光る滴はとても綺麗で、共に裸足で駆け回る子供達も綺麗な笑顔をしていた。 

 ふと、蘇る記憶。
『椿、何しているの!――駄目でしょう、はしたないっ!』
 古い記憶の中の母親・・・あれはいつだっただろうか。天井のうんと高い会場で、たくさんの料理が並んでいた。父親は知らない大きな白髪の男性と会話をしていて、母も兄達も、知り合いなのか友人なのか、親しげに同年代の人と会話を交わしていた。
 人が多くて、幼かった僕はそんな人たちを見上げる事に疲れてしまい、自由に行き来できる入り口からそっと廊下に出ると階段や廊下で遊ぶ事にした。おもちゃがあるわけでもなくて、ただ階段の柵に捕まって下を覗いたり、登ったり降りたりを繰り返すだけだったのだけど。

 僕と同じように廊下に出ていた同じ年くらいの男の子が階段の一番上に座っていた。彼は無造作にネクタイを取り、靴を脱ぎ、靴下までも脱ぎさると、大の字になって寝転んだ。
 ビックリして僕が覗き込むと彼は「外でやるのが一番気持いいよ。空の大きさにびっくりするから・・・」僕が聞いてもいないのに彼はそう言った。
 何で裸足なのかと訊くと「裸足が好きだから」と簡単に答えて僕にもやってみればと促した。

 兄ともあまり遊んでもらってもいなかった僕に、彼はとても魅力的だった。退屈もしていた僕はそんな彼に惹かれて、彼の言う事をそのまま実行に移した。
 裸足であちこち歩き回っていると足の裏がとても敏感に物質を伝えてくるのが面白くて夢中になっていた。冷たい大理石、ふかふかの絨毯。
 次はどこへいこうか、何に足の裏をくっつけてみようか、そんなくだらないような事に夢中だった。そして、僕を探しに出た母親が僕を見つけて一言「はしたない」と言い放った。

 その時母親が彼を一瞥したその視線が、表情が、彼を責めるようなもので僕は彼がそんな風に見られる事が悲しくて、胸が痛かった。
 あの時、僕が調子に乗ってはしゃがなければ、母親に彼は悪くないんだと言えれば…今こうやって思い出すことも無かっただろう。思えば母親の視線には大して意味が無かったのかもしれないのだけど。悔やまれる出来事だと刻みついた記憶はこうやってふとしたことで蘇る。

 小さく見えている噴水から視線を逸らすと、ベンチから腰を上げた。スニーカーが踏み潰す芝生は柔らかそうだった。


「――田嶋っ」

 以前にも、この場所で響いた声がまた僕の耳に届く。一瞬夢でも見ているような感覚に、めまいにも似た浮遊感。

「織田会長…」

「久しぶり、図書館にでも向かうところ?」

 会長が僕の手にしている文庫本を見ながらそう言った。大きな図書館には自由に使えるスペースが多く、暑い夏をそこで過ごす人が多い事も知っていたし、会長はそんな風に僕を見たのだろう。

「暑くなってきたので、そろそろ向かおうかと思っていたんです。会長は・・・散歩ですか?」

 以前連れていた犬の姿は無かったのだけど、会長の事だから図書館には頻繁に通ってそうだと思った。

「あぁ、まぁなんていうかこのところ時間があればずっと図書館に通っているかな。この遊歩道もよく歩くようになったよ・・・。――やっと、会えた」





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