僕をよろしく | ナノ



僕をよろしく
18





 どこか、現実と切り離されたような、そんな感覚の中。
 僕は先輩の辿る指先に意識を集中させる。そうしないと何かが消えてしまいそうで、何かが壊れそうで、そんな不安が押し寄せてくる。

 回された腕は力強く僕を捕らえていて、僕も先輩に必死になって捕まっていた。背中にジワリと、もたれかかっている扉の冷たさが伝わってきていた。

「詠仁さん…」

 先ほどから何度も呼びかけるのに、その返事はない。代わりに与えられるのは指先からの刺激だけだった。

「詠仁さん、っ」

 力強く、そこに自分を残すかのように。僕に触れる詠仁さんはいつもの優しさよりも少し強引で、僕は身を任せるしかなかった。

「椿ちゃん、扉に手ぇついて。後ろ、向いて」

 先輩が僕に求めるもの。全てに応えたいと思っていた矢先に、僕は小さく首を振って抵抗した。

 こんなところで、先輩を受け入れるなんて考えていなかったから。

 きっと、この後はベッドなんだと、そうでなくても肌を触れ合うという事に、僕の方こそ先輩の体温を求めていたんだろう。共に抱き合い、そこに生まれる戯れ、そんなことを当たり前のように思っていたのに。

 ぐいっと僕のシャツの胸元を掴み上げ、僕の手を取ると簡単に先輩は僕を反転させて扉に貼り付けた。

「――せっ、っっ」

 扉に押し付けられた肩が痛みをジワリと伝えて、顔をしかめた。音を立てた扉は、冷たくて、まるで僕の体温を奪っていくようだった。

 先輩は、僕が僕じゃなくたって…いいのだ。

 先輩が求めているのは人肌で、そしてフラストレーションを解消するだけのはけ口が欲しいだけなんだ。
 誰だって良い、その相手が僕で無くたって良い。

「嫌だ…、痛い、先輩っ…痛い、」

 押し付けられる肩よりも、もっと深いところが。

 僕が求めているのが先輩で、でも先輩が求めているのは僕じゃなくても良い…その事だけがぐるぐると僕を占めていく。

 後ろから抱き込まれるように回っていた手は僕のスラックスに掛かっていた。その手がピタリと動きを止める。

「えいじ、だよ」

 いつもと変わりのない、明るい声のトーン。けれど、間違いなく作られたであろうその声色に、僕の掌に汗が滲んだ。

 怒らせた。先輩を、怒らせた。

「嫌だ、せっ、え…詠仁さん、嫌だ…!」

 ただ工程をこなすように、淡々と僕のスラックスをずらす。乱れた服から、ただ自分の臀部だけがさらけ出されると僕は出来るだけの力で先輩を跳ね除けようとした、だけど全くかなわない。
 自分の体の小ささをこれほどまでに恨んだ事もなかった。簡単に押さえ込まれ、大した力もなくて、そんな自分がまた情けなくてジワリと涙が溜まる。

 先輩の指先が、そこに触れても、ただかすれる声で嫌だと言うしかなった。なす術がない。僕はまた受け入れるんだろうか。受け入れるしか、ないんだろうか。

「椿ちゃん、力抜いて」

 そこは受け入れるように出来てないんだから、指が入りにくいのは当たり前のことなんだ。
 苛立ったように先輩の手が前に回り僕の物を握りこんだ。何をされても今の僕では勃つことは無いだろうと、申し訳なくも思いながら、先輩の動きを冷静に受け止めている僕が居た。

「――なさい、ごめ、んなさ…い」

 先輩の気持ちに応えてあげられなくて。今あなたの傍に居るのが僕で、ごめんなさい。




「気持ち良い?ちゃんと、言って。口に出して」


「え…」

 湿り気を帯びた音が耳に付いた。一体どこから?恐る恐る下げた視線の先に、先輩の指先が見えた。そして動く先輩の指先から聞こえるその音に僕は信じられないものを見た。

 感情と、体がバラバラだ。

 いつもの切り離されていく自分の思考とはまた違う感覚。これ以上考えると、自身を保つ事さえ出来なくなるようで、僕はそっと目を閉じた。

 受け入れよう、受け入れるしかない。

 諦めてしまえば簡単な事、何も考えず流されよう。







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