僕をよろしく | ナノ
僕をよろしく
16
それから一週間、一度も先輩からは連絡が来なかった。
夏休みがもうすぐそこに迫ってきてる・・・。
今までを考えるとあまりにも不自然なこの距離に、僕から先輩に連絡を入れようかと思った。
けれど、それから、僕はどうする?
先輩にあの佐古との事を聞くことも出来ないのは明確だった。…むしろ、先輩の口から佐古の事を訊くことが、怖い。
お互い名を呼び合う二人に、その声に、知り合いや友人という位置よりももっと深いものを感じたこの勘は間違ってないだろう。そしてあの先輩の姿。
授業を受けている時も、部屋に戻ってからも、僕は先輩に会わない数日をそんな事ばかり考えて過ごしていた。
先輩に誘われなければ、僕はなんて単調な毎日を過ごしているんだろうかと…そう目の当たりにさせられているようだった。先輩が居なければ僕は独りなんだと。
ココアを入れたマグカップを握り締めて、ソファに腰を掛けた。森岡も、このところ部屋を空けることが多く、きっと佐古と共に居るんだろう。…そう考えてしまうと佐古に対する妬みの感情が生まれて、そうしてまたそんな自分に嫌気が差して。
こうしていれば、一日誰とも言葉を交わすこともなくて、見渡す物音一つ立たない静まった部屋。静けさが自分に覆いかぶさってくるような、錯覚。
一人が気楽だと思いながらも、どこかで誰かを求めている…。
そんな自分も、嫌いだ。
このところ時間を確認する事にしか使われていない携帯が久々に震えた。
その着信の名前を見ても僕は何も感じなくて、ただ向こうからの連絡に安堵しただけだった。
「はい」
『椿ちゃん?なんか久々だね』
「ですね・・・」
『ちょっと椿ちゃんからの連絡待てたんだけど痺れを切らしたんだ。今から会える?』
本当にそうだったら嬉しい。
あんな姿を見た後でも必要とされるなら僕は嬉しいと思える。
「はい…、森岡も居ないんで良かったら部屋ででも…」
『じゃぁ、今から向かうよ』
そう言って切れた電話を見つめながら、僕は口を滑らせて変な事を言わないように、と自分に何度も念を押すしかなかった。
怖い。佐古との関係を知ってしまうのが。“椿ちゃん”と呼んでくれる先輩を無くす事が。
カップを握り締めて、深呼吸をした。
先輩が来るまでの間、僕は淹れたココアを口にすることも出来ず、結局また悶々とそんな事ばかりを考えていて、先輩の姿を見たときには安堵と不安の両方が入り混じって、凄く変な表情だったかもしれない。
「椿ちゃん?」
尋ねてきた先輩の右手は包帯が巻かれていた。
その腕を一瞥して、また深呼吸。
「どうしたんですか、その手…」
大丈夫、不自然な所なんて、ない。
「あぁちょっと割れた硝子コップでね。もう治ってきたし大したこともないんだけど絆創膏まみれもかっこ悪くってこんな大げさな事になってさ」
「痛く、ないですか?」
微笑みながら頷くと、先輩は包帯の巻かれていないほうの指先で僕の頬に触れた。
「痛くない、し、椿ちゃんの顔見てなんか、安心した」
安心?安心って、なに?
切なそうに手を見つめていた先輩の姿が脳裏に浮かんで、ヒクリと体が強張った。でも、そんな不自然な動きを何とかごまかしたくて、そのまま先輩の手をとるとソファに引っ張っていく。
「いつまでも入り口で喋ってるのもなんなんで、座ってください…あ、僕の部屋の方がいいですか?」
「うん、椿ちゃんの部屋が良いな」
森岡が戻ってきたって何も起こらないだろうけど、やはり気まずいのだろうか。森岡と先輩との関係に、佐古が絡んでいた事は明確だったし、あんな後に森岡を見るのは先輩も辛い、だろうか。
どうしても暗くなる思考に、慌てて笑ってごまかすしかない。
「じゃぁ、僕の部屋に。何もないですけ…―っ、」
先輩の身体を背中に感じて、回った腕が強く僕を抱きこんだ。バランスを崩して、ソファに倒れこみそうになる体を先輩が立て直してくれる。首元に感じる温かい吐息が、切なげに僕の名を呼んだ。
「え、詠仁さんっ」
「ごめん、椿ちゃん…少しだけ、」
先輩が、温もりを求めているのなら、僕がそれを提供できるのなら、今はそれで良いと思った。佐古の代わりだとしても、あんな先輩の姿をもう見たくなかった。
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