月が綺麗ですね


そのまま口に含むと、ぬるくなったコーヒー独特の苦味が広がる。思わず眉をしかめたところで、考えがまとまったらしく顔を上げた日野と目が合った。

「先生!」
「わかったか?」
「はい、俺…」
「おう」
「俺は……、そんな情景を他の誰よりも、先生と見たいと思います」

真っ直ぐぶれることなく伝えられた言葉に、俺は耳を疑った。一瞬冗談かと思ったが、こいつはそんなことを冗談で言うような奴ではない。つまり、それは日野の心からの言葉だということで、紛れもない本心だということだ。
自身の中でそう結論付けられた途端、俺は一気に耳まで赤くなった。

「っな、お前それ……、」
「はい?」

一人慌てふためく俺に、日野は意味が分からないと首を傾げている。知識への純粋なる姿勢が、この時ばかりはなんとも憎らしい。

「どうしたんですか、先生」
「あっと……、っその、だな……」

歯切れの悪い返事ばかりを返す俺に、日野はきらきらとした眼差しを向けてくる。

(っしょうがない、男は度胸だ!愛なんて別に恋愛だけとは限んねえだろ)

意を決して、俺は重い口を開いた。

「……そういう月は、嫌いな人間とは見たくないだろ。だから、……」
「だから?」
「だ、だから、好意を寄せてる相手。好きな相手と月は見るわけで。『月が綺麗ですね』っつうのは、そういう相手に向けた言葉なんだ」
「?はあ…」
「つまりだな、漱石は『I love you.』をそう訳したんだよ!」

まくし立てるようにそう言い放つと、日野は状況がうまく理解できていないのか、ぽかんと大口を開けていた。自身と日野の間に気まずい空気が流れているような気がしてしまい、なんとなく居たたまれない。
俺は今まで感じたことのない感覚に耐えきれなくて、パイプイスを大きく鳴らして立ち上がった。

「ちょ、ちょっと俺便所行ってくるわ」

まだ呆けている日野を放置してバタバタと教室を出て行く。
この時の俺は、自身の火照りを治めること。それだけで頭がいっぱいだった……。


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