優しい嘘

白の魔法







 通りがかった食堂の中から、わぁ、と上がった歓声に、ふとキセルの足が止まった。
「すごい! 今の、どうやったの!?」
「早くやり方教えて……!」
 耳に届くのはニコラとノエルの楽しそうな声である。ひょっこりと食堂を覗き込むと、片隅のテーブルに座ったニコラとノエルの目の前にはケインが居た。手の上には白いハンカチと、小さなピンクの薔薇の花がある。
「ふふ、そんなに慌てずに。このマジックはですね……」
「ケインさんたち、何してるの……?」
 キセルが声を掛けると、ケインがこちらに気づいてゆるやかな微笑みを向けた。
「おや、キセルさん。ニコラさんとノエルさんにマジックの手ほどきを頼まれまして。まずは簡単なものからと、手から花が出てくるマジックをお教えしようとしていたところです」
「そ、そうなんだ……」
「……ねえ、キセルもやってみる?」
「お、俺が……!? で、できるかな……」
「簡単なものですし、キセルさんは手先が器用ですから、きっとすぐにできますよ。よろしければ、一緒にいかがですか?」
「あ……ケインさんが言うなら、やってみよう、かな……!」
「ふふ、それならこちらに、どうぞ座ってください」
 おずおずとノエルの隣席にキセルが座ったのを確認してから、ケインは白いハンカチをひらりと振った。
「……それでは皆さん、まずはハンカチを持っていただきます。はじめてですから、上手くいかないかもしれませんが、マジックに大切なものは、上手いか下手かではなくて──」



「きしぇるさん、おはな!」
 キセルのまさに目と鼻の先に突き出されたのは、小さな野花。野花とよく分からない雑草の束を抱えた幼子は、きらきらした目でしゃがんだキセルの眼を見つめる。キセルは幼子の瞳と小さな野花を交互に見つめて、目を瞬いた。
「おお? 綺麗な花だなぁ。もしかして、俺にくれるのか?」
「うん! きしぇるさんに、ぷれぜんと!」
「ははっ、そうかァ! あんがとよ、大事にするぜ!」
 ずっと握りしめて持ってきたのだろう。少しくたびれた野花をそっと受け取って、キセルはわしゃわしゃと幼子の頭を撫でる。すると、キセルの目線の先で辺りを見回していた青年がこちらに気づき、慌てて駆け寄ってくるのが分かった。
「ああ、ユズ! ……と、キセルさん! す、すみません、何かうちの子が失礼をしませんでしたか……!?」
「いいや。失礼どころか、素敵な贈り物もしてもらったぜ。……ユズって言うのか。さ、迎えが来てくれたから、もう親御さんから離れねぇようにな」
「? うん! あいがと、きしぇるしゃん!」
 最後にもう一度わしゃわしゃと頭を撫でてから、キセルは立ち上がる。ばいばい!と手を振るユズと青年に軽く手を振り返して、キセルは歌舞伎町の見廻りに戻った。
 ――レジスタンス時代にケインに教わった、手から花を出すマジックのことを思い出したのは、その小さな野花がきっかけだった。見回りを終えて鷲ヶ前組へ帰ってくると、玄関に飾ってあるたいそう豪華な花束の生けてある花瓶に野花を加えてみた。すると意外にも馴染んで、おお、と思わず小さく声を上げたところでなんとなく思い出した。
 鷲ヶ前組の貴銃士となってからはもう長らくしていないが、やり方は体が覚えている。レジスタンスの貴銃士だった頃、簡単なものでもマジックが出来るようになったのが嬉しくて、誰かに見せたり、一人で鏡相手にやって楽しんでいたものだ。
 ──もしも今、それを見せる相手が居るとするならば。たった一人、キセルには思い当たるひとがいる。
 ゆっくりと日が沈む、秋の夕暮れ時のことだった。折角なら少し大きく綺麗な花で。花束の中に白い薔薇があることに気づいたキセルは、その薔薇を一本引き抜く。棘が切り取られていることと、懐に白いハンカチがあることを確認してから、薔薇を左手に持って外に出た。
 今から行けば、日が沈むころに、会えるだろう。

 桜國城本丸御殿は、明治初期に建て直された歴史ある建築物である。利便性を考えて電気を通す改築工事はされているものの、それも全ての部屋ではない。また、革命戦争を経てかつての独裁からの復興に総力を挙げている今、貴重な電力を無駄にするわけにはいかないと節電が徹底されている。よって桜國幕府は、太陽が昇るのと同時に活動を始め、沈むとともに褥に就く、なるべく電気を使わないよう江戸の頃から変わらないようなタイムスケジュールを組んでいる。将軍の貴銃士であるイエヤスもまた、そんな生活リズムにすっかり慣れてしまった。
 布団を敷いて寝所の準備を整えれば、日は落ちてすっかり部屋は薄暗くなる。月が出ているようで、普段よりはいくぶん明るい。布団に入る前に縁側に出て月を探した。ちょうどイエヤスの正面、南東の空にぽっかりと満月が浮かんでいる。雪のように真っ白な月だった。
 少し肌寒かったので、部屋に戻り夜着の上に羽織を重ねる。ふと部屋の隅に置いていた茶箱が目に入って、生憎手元に酒は無くとも、代わりに茶を飲みながら月見と洒落込むのもいいかもしれない、とぼんやり思った。
 ──ふと、桜の匂いがした。
 季節は秋のことである。当然桜など咲いていない。それでもこの季節外れの桜の匂いがするとき、イエヤスのもとには必ず、ひとりの男が春を纏って現れる。
慌てて縁側に戻った。彼の姿はすぐに分かった。右手に握った白いハンカチが月光を反射して、雪明かりのようにやわらかに光り輝いていたから。
澄んだ秋の夜風がそのハンカチを揺らすのに合わせて、右手を軽く開くとハンカチはふわりと広がる。その端を指でつまみ、月明かりを背にしたまま、彼はゆっくりと口を開いた。
「さて、この白い布。種も仕掛けもありゃあしねぇが──」
 ひらひらとハンカチを揺らしたあと、ふわりとそれを左手に覆いかぶせる。イエヤスの視線はその左手に集中する。彼が左手にふっと一息吹きかけて、布を払うと──そこには白い薔薇の花が一本、あった。
「どうぞ、今日のお近づきの印に。……なんてな」
 白薔薇をイエヤスの手元に差し出して、いたずらっぽく笑うその人は。
「キセル……!」
「よぉ、イエヤス。会いに来たぜ。……もしかして、もう寝るところだったか?」
「いいや、月を……、月を見ようと思っていたのだ。そうしたら、君が来てくれた……」
 キセルに差し出された薔薇を受け取って、イエヤスは嬉しそうに頬を緩めた。
「月見かい。あぁ、なら酒かつまみ持ってくりゃあ良かったな。手ぶらで悪ぃが、お供しても良いか?」
「もちろんだ……! 一人よりもずっと、君がいてくれた方が楽しい。少し待っていてくれないか。厨房に行けば何かあるやもしれん」
「お、なら着いていくさ。上がらせてもらうぜ」
 ブーツを脱いで、キセルは縁側に上がる。香水の類だろう、彼のまとった桜の香りがぐっと強くなって、手元の薔薇の甘い香りと混じり合った。
 春でもないのに、キセルが季節外れの桜の香りを纏ってくるのは、イエヤスのためだ。
 イエヤスが一番好きな花は桜である。だから、時々顔を合わせた時に一番好きな花の香りがしたらきっと素敵だろうと、イエヤスが喜んでくれるだろうと、キセルはいつも桜の香をつけている。そう、以前こっそりと鷲ヶ前組の組員が教えてくれた。
 この手品とて、白い薔薇だって同じだ。他でもない、イエヤスのために。
「キセル、いつの間に手品を覚えたのだ?」
 厨房までの廊下を肩を並べて歩きながら、イエヤスは尋ねた。
「ん? あぁ、昔ケインさんに教わった。今はあれくらいしか出来なくなっちまったけど」
「そうだったのか。ふふ、だが、とても上手だったぞ。まるで魔法のようだった」
「ははっ、そんなに褒められると照れちまうなァ」
 月明かりの薄暗いなか、ほのかに頬を染めるキセルに微笑んで、イエヤスは白い薔薇を宝物のように胸に寄せる。
「部屋に花瓶があったはずだから……ありがとう、キセル。大切に、飾らせてもらうよ」
 イエヤスはキセルの瞳を見つめて、微笑む。キセルは、遠い昔、ケインに初めてマジックを教わったあの日の言葉を思い出した。

『マジックに大切なものは、上手いか下手かではなくて──見てくださっている方が、笑顔になってくれるかどうか、です。つたなくても、簡単なものでも。お相手が笑顔になってさえくれれば、きっとそれは大成功ですから』

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