ナポレオンと
イエヤスの
初めての
お茶会







 イエヤスはしばらく、カップの中で揺れる緋色の水面を見つめていた。
「どうした、イエヤス? 飲まぬのか?」
 イエヤスの正面に座るのは同じ貴銃士のナポレオン。慣れた手つきでティーカップを持ち、優雅にその香りを楽しんでいる。ナポレオンの見よう見まねでイエヤスもカップを持ってみる。湯呑とは違う西洋の茶器に、まだあまり慣れていない。戸惑いつつ、イエヤスはおずおずと応えた。
「いや……こちらの紅茶というものを、今日初めて見たもので。日本茶とはまた違うのだなと」
「うむ? ……ああ、そうか。君は遠い極東から来たのだったな! それなら私が紅茶の嗜み方を指南してやろう!」
「おお、それは有難い。どうぞお手柔らかに」
「まず! その輪になっているところに指を入れてはならん!」
「えっ?」
「カップはこう持つのだ。そして……」
「ええと、こう、だろうか……?」

 ──これは、まだレジスタンス基地にイエヤスが来たばかりの頃。イエヤスの貴銃士仲間が、ブラウン・ベスとナポレオンしかいなかった時の話。

「……うむ、だいぶ様になってきたな! 君はずいぶん飲み込みが早い!」
「ふふ。ナポレオンさん以外の者とお茶をするときも、これなら大丈夫そうだ」
 真っ直ぐな褒め言葉に穏やかに微笑んで、イエヤスは紅茶を口にする。今淹れているのはダージリンという種類の茶葉だということも、その香りや味の特徴も、楽しみ方も。目の前にいるナポレオンがひとつずつ丁寧に教えてくれた。
 イエヤスは慣れない西洋の文化も柔和に受け入れようとする。いつも遮られがちな自分の話をよく聞いてくれたのが嬉しかったようで、ナポレオンはずいぶん上機嫌だ。
「この皇帝ナポレオンが直々に指南したのだ! 胸を張って臨むと良い! ……だが、作法だけが茶会ではない」
「まだあるのか?」
 イエヤスは首を傾げる。「大事なことを忘れているようだな」とナポレオンはくつくつ笑う。
「茶を楽しむには何よりも、おしゃべりが必要である!」
「……! ふふっ、その通りだな」
 先輩貴銃士の前で少し張っていた肩の力が、ふっと抜けた。ティーカップにおかわりを注いで、二人きりのお茶会は続く。

「ブラウンベス君は、今はマスターのところへ行っているのだったか?」
 二杯目の紅茶を飲み終えたころ、ナポレオンがふとそう切り出した。
「明日の作戦の確認に、と言っていたぞ。そのうち戻ってくるだろう」
「それなら、彼の分のカップも用意しておいてやろう! 仲間同士、語らい合う時間も大切だからな!」
「その通りだな。人数も多い方が楽しいし」
 ナポレオンが席を立つ。イエヤスの顔を見てふと動きを止める。
「カップと茶葉の場所は知っているかね?」
「いや、まだ……」
「ならついてくるが良い。余が教えてやろう!」
 見た目の年齢より幼く見える人懐こい笑顔を浮かべたナポレオン。それを見て、彼は今自分を可愛い後輩のように扱ってくれているのかもしれないと、イエヤスはその時初めて気づいた。

 キッチンの戸棚の上から二番目に並ぶ、少し錆びた緑色の缶の中にアールグレイの茶葉。ガラスが曇っている方の食器棚の下から三番目にティーカップが並ぶ。食器の類はかなりの量があるが、ほとんどはまだ使われないまま食器棚の肥やしになっている。
「……そのうち、この基地ももう少し賑やかになるのだろうか」と、そんな食器たちを見てふとイエヤスがぼやいた。
「……寂しいか?」
「……少しだけ」
 ティーカップを一つ取り出して、食器棚の戸を閉めた。
「ナポレオンさんもブラウンベス君も作戦で、一人になってしまうことも多いから。基地の人たちと話をするのも楽しいが……貴銃士仲間がもっとほしいなとは、思う」
 キッチンを出た。基地にいる人数の割に食堂は広い。そこを通り抜けて、元いた部屋への廊下を歩く。
「今、貴銃士はブラウンベス君とイエヤスの二人だけだが、マスターにかけあって召銃して貰えばよい。君と馴染み深い銃も既に集めてはいるのだろう?」
「ああ、あの火縄銃の。うん、せっかく俺と一緒に来たのだから、いつか呼んでもらいたいとは思っているよ。マスターの傷が良くなったら」
「……君はいつも遠慮し過ぎだ。寂しいから今すぐ呼べとわがままを通したって、それでちょうど良いくらいに」
「はは、どうもそれが俺の気質のようだから。マスターの体調が良くなるまで気長に待つさ。……。……それに」
「それに?」
 相槌にイエヤスはひと呼吸置いて、少しだけナポレオンから目を逸らした。
「……新しい貴銃士が来たら、ナポレオンさんと一緒にいる時間が減ってしまうかもしれないし。それはそれで、寂しい」
「……、それは、確かにそうだな」
 ──あまり考えたことはなかったが。ナポレオンとイエヤスのそれぞれの来歴に交わるところは何もない。ただ、この基地で貴銃士として呼び覚まされた時期が近かっただけ。ただそれだけの接点で、今こうして肩を並べて歩いている。
 それはつまり、自分たちで望まなければ、あっさりと縁が切れてしまうということだ。
「……せっかくできた縁なのだ。馴染み深い銃が来たからといって、君と全く口を聞かなくなるのは私も寂しい。時にはこうして紅茶を楽しむ時間を作ろうではないか。約束だ」
「……ああ。ぜひ」
 部屋に戻ってきた。ブラウンベス、ナポレオン、イエヤスの三人で使っている共同部屋である。その中央にあるテーブルの側に立つ見慣れた人物に、ナポレオンが「おお!」と声を上げた。
「ブラウンベス君ではないか!」
「ナポレオン、イエヤス。茶でも飲んでたのか?」
「さっきまで。君が戻ってきたら一緒にどうかと思って、追加のカップと茶葉を」
「そうなのか、それならちょうどよかった。マスターと恭遠からクッキーをもらったから、茶請けにするか?」
 ブラウンベスの手にはパステルカラーで彩られたクッキー缶があった。嬉しい誤算にナポレオンは目を輝かせて「うむ!」と大きく頷く。
「クッキーは食べたことがあるのだったか? イエヤス!」
「ええと、それはまだ」
「お、運がいいな。とびきり美味いクッキーが初めてのクッキーだ」
 ブラウンベスがクッキー缶の蓋を開けると、チョコレートとバターの甘い匂いがふわりと広がる。さまざまな種類のクッキーが、ちょうど三枚ずつ詰め込まれていた。
「俺たちにぴったりな数だな」
「ふふ。仲良く三等分だ」
 笑いながら三人はそれぞれの椅子に座る。ふたりに一人加わって、三人きりのお茶会が始まるのだった。


──

「……なんで輪っかに指入れちゃいけねーんだ? どう考えても指入れるために作ってるだろこの形」
「それがこちらの作法と教えられたのでな。まぁ俺たちしかいないのだし、そう厳密にしなくても良いのだが」
「ふーん……?」
 しばしユキムラは怪訝そうにティーカップを見つめていたが、やはり面倒だったのか取っ手に指を通してカップを持ち、一気に紅茶をあおった。
「ぷは……っ、このこーちゃ?ってやつ、うめーな! 甘いもん欲しくなる味!」
「そなた、もう少し優雅な飲み方をしたらどうです……」
 ユキムラの隣に座るヒデタダが呆れたようにつぶやく。ヒデタダはイエヤスに教えられた通りの持ち方で、少しずつ紅茶を楽しんでいた。
「喉乾いてんだよ、しょうがねーだろー? てかイエヤス、よくこんな作法なんて知ってるなー。誰かに教えてもらったのか?」
「そうだな。昔、ナポレオンさんに」
「ナポレオン殿に? そういえば、あの御方は大御所様より少し先に召銃されたのでしたな。仲がよろしかったのです?」
「仲がよかったというか……貴銃士仲間がブラウンベスかナポレオンさんしかいなかったから。あの頃はその三人で一部屋を使っていたし、共に過ごしているうちに、な。
 そのあと貴銃士が増えるにつれて、やはり一緒にいる時間は減ってしまったのだが」
「へー、なんか意外だな。作戦会議一緒にしてんのは見たことあるけど、茶飲み仲間だったとはなー」
「ふふ、今もときどき、ナポレオンさんの方から茶会に顔を出してくれるのだぞ」
 イエヤスが食堂で開くようになった茶会に、暇を持て余している貴銃士たちが顔を出すのは珍しいことではない。その中でもナポレオンが参加してくれるのは、少しだけ、特別な意味をもつ。
(ささいなものだと思っていたのだが。……約束をずっと守ってくれているのだな、ナポレオンさんは)
 まだヒデタダもユキムラも貴銃士として居なかった頃の話。ナポレオンに遠慮をし過ぎだと言われてしまった自分の、遠回しなわがままのつもりだった。ナポレオンといる時間が減るのは寂しいと。……もう少し一緒にいて欲しい、と。
 それをあの人は未だに覚えてくれている。貴銃士だからこそできた縁を、大切に守り続けてくれている。
「……ふふ、」
 今度のお茶会には、ナポレオンは来てくれるだろうか。そうしたら美味しいクッキーを用意しよう。こうしてヒデタダとユキムラに教えられるくらいには、お茶を楽しむのが上手くなったから。
 あの日と同じダージリンの水面が、微笑んだ吐息に合わせてかすかに揺れた。

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