暮れの夏空、
君と花






 この国で一番高い場所──それはこの桜國城大天守閣の最上階である。
 第三次世界大戦・世界帝統治時代を過ぎ、今や半鎖国政策を打ち出しているこの日本の街並みは、未だ懐かしい昭和を彷彿とさせる。世界各国の首都と言えば、もはや空をも窮屈と言わんばかりに高層ビルが立ち並んでいるのは写真で見た。いつかは日本もそのような先進国となりたい。けれどゆるやかに時が進む空が広いこの国を、天守閣から俯瞰する時間が、召銃されてからのイエヤスの密かな楽しみであった。
 今日もそのために最上階に登った。日も落ちて、夕食をとった人々がゆったりと寛いでいるような宵の刻である。
 窓から吹き込む夜風が涼しい。もうすぐ夏も終わるのだとぼんやり思いながら、廻縁に出て城下を眺めた。ぽつぽつと点る灯りが幻想的な夜の街を作り出している。地平線の上には、雲ひとつない暗い紺色に夏の大三角が見えた。
(……うん?)
 ふと気づく。城と平行に流れている川の橋付近が妙に明るい。暗くてあまり分からないが、あの辺りなら歌舞伎町が近くにあるはずだ。
(……良からぬことでも起きているのか)
 近頃はどうやら忙しいようで、歌舞伎町にいるキセルとはあまり会えていない。彼から直接聞いた訳では無いが、最近の歌舞伎町では傷害事件など痛ましい事件も多いと聞く。川沿いなら心中か水難事故だろうか。何にせよ良いことではなくて、あそこでまたキセルが忙しく働いているのだろう。
(民の不安がそれだけ膨れているということだろうか……。明日にでも上様に相談してみよう)
 そう結論づけたところで、ささやかな楽しみの時間にさえ、政務のことを考えてしまっている自分に気づく。地上を眺める間に難しいことを考えるのはやめようと前々から決めているのだが。
(……今日は、駄目だな。少し早いが、戻って褥に就いてしまうか)
 イエヤスはそっと踵を返す。再び天守の中へ入ろうとした、──その時だった。太鼓にも似た音とともに、背後がぱっと明るく煌めいたのは。
「……!?」
 振り向くと、そこには星空に溶ける大きな花火。その大きな一発を皮切りに、どんどんと立て続けに花火が上がる。それは、あのやけに明るい川の橋付近から上がっているようだった。
「……そういえば、納涼花火を企画していると……」
 まだ夏が盛りの頃に、キセルがそう言っていたのを思い出した。具体的にいつになるかは分からないが、夏の暮れになったら必ず上げるから、と。だからもし時間があれば、イエヤスにも花火を見て欲しい。そう頼まれていた。
(ならあの明るさは、事故などではなくて……。そうか、屋台でも出ているのだな)
 そう思い改めてあの光を見れば、あそこでは今まさに、煌びやかな花火に人々が空を見上げて賑やかに歓声を上げているのだろう。屋台の食べ物でも片手に、それぞれの大切な人と共に。
 そこで彼もきっと、たくさんの愛しい人に囲まれて花火を見上げている。
 座り込んで高欄に肘を乗せた。風に乗ってほのかに火薬の匂いがする。かつての持ち主の時代とレジスタンス時代を想起させる、貴銃士にとっては故郷のような匂い。
 だから、これは郷愁に似た感情。胸が締め付けられるような切なさは、この火薬の匂いのせいなのだ。

「──よぉ、イエヤスさん。特等席の眺めはどうだ?」
 頭上から降ってきたその声に顔を上げて視線が合うと、思い描いていたその人が微笑む。手にはレジ袋が携えられ、その中から香ばしいソースの香りが漂ってきた。
「キセル……!」
「やっぱり花火見るなら此処だよな」
「ああ、……とても綺麗だ」
「そりゃあ良かった! 夏の終わりはこうでなくちゃな。ところでイエヤスさん、夕飯はもう食っちまったかい?」
「食べてしまったが……それはありがたくいただきたいな」
「ははっ、そう来なくっちゃなァ!」
 イエヤスの隣に腰掛けて、祭りを抜け出してきたキセルはプラスチック容器入りの焼きそばと水滴が着いた缶ビールを一つずつ手渡した。
「ここまで来るのは大変だっただろう?」
「イエヤスさんに会いに行くならこのくらい何でもねェさ! 証拠に焼きそば、まだ熱いだろ?」
「ああ」
「せっかく急いで持ってきたんだ、冷めねぇうちに食っちまおうぜ」
 キセルがプラスチック容器の蓋を開けると、ソースのいい匂いはいっそう濃くなった。手を合わせてから割り箸で太めの麺を口に運ぶ。シンプルなソースだけの味付けに、ほとんど野菜など入っていやしない焼きそば。幕府で暮らしているなかでは絶対に出てこない庶民の味。それが、花火と隣のキセルのおかげでたいそうな馳走に思える。
「……美味いな」
「お、将軍サマのお墨付きか? じゃあアイツ喜ぶなぁ」
「ふふ、よろしく伝えておいてくれ。……さてと、こう味の濃いものを食べるとやはり……」
「……やっぱ分かってんな、イエヤスさん!」
 けらけら笑いながら一旦割り箸を置いて、二人はビール缶を手にする。プルタブを引いて、勢いよく泡の噴き出したそれをかちん、とぶつけ合う。
「……乾杯っ」
 花火の眩い光に照らされながら、よく冷えた麦酒を喉に流し込む。
 この国で一番高い場所、それはこの国で一番、花火の上がる空に近い場所。
 二人きりの晩酌は、花火を肴に続いていく。



「あれっ、キセルさん。まだ花火も上がってませんぜ?」
 ふらりと祭りの喧騒を抜け出そうとするキセルの背に、花火師が陽気に声を掛けた。
「花火はてめぇらに任せるぜ。ちょいと行かなきゃいけねぇ場所があるんだ」
「へぇ……?」
 キセルの手には、屋台で買ったのであろう、一人分にしては多い食べ物の入ったレジ袋がある。しばらくそれを見つめたあと、花火師は合点がいった様子でにやりと笑った。
「もしやキセルさん、逢い引きかい?」
「あっはは! そうじゃねぇよ! 知り合いが一番花火が綺麗に見える場所にいるんだよ。しかも独り占めだ! ズルいだろ?」
「そんなところがあるんですかい!? そりゃあ一体……」
「おっと、それが秘密だから独り占めできるんだぜ? つうわけだ、ソイツのとこに邪魔してくるから、あとは頼んだ」
「合点です!」
 花火師にひらひらと手を振って、キセルは明るい祭り会場を抜けて、静寂とした暗い夜道に出る。もうすぐ花火が上がる時間だが、彼は気づいて、一番の特等席についてくれているだろうか。
「さてと、行くかねぇ。……寂しがり屋の将軍サマのところに」

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