第零章
「真田幸村」の
名を継ぐ者







「──……」
 淡い光の中でゆっくりと目を開いた彼は、燃えるような赤い戦装束をまとった、少し幼い顔立ちの──青年というよりは、まだ少年という言葉が似合うような、そんな男だった。
「……、ここは……?」
 少年は辺りを見回して、首を傾げる。窓からの光とランタンの灯りがあるとはいえ、コンクリート壁の部屋は随分古めかしく薄暗い。彼の正面には四人立っていて、少年の様子を見つめていた。少年はたどたどしく自らの両手のひらを見つめてから、顔を上げると、「お前たちは?」と重ね尋ねてきた。
「はじめまして。ここはレジスタンス基地と言って、君はここに貴銃士として召銃されたんだ。俺は恭遠。よろしくね」
 青髪の男が一歩前に歩み出て、彼に握手を求めた。少年は戸惑いつつも恭遠と名乗った男と握手をする。
 恭遠の右隣には、深くフードを被った者がいる。その者が薔薇のような傷を宿した手に持っている銃が、本能的に、自分の本体であると少年は理解した。
「君のことを教えてくれるかな」
 さらにその隣にいる者たちに少年が視線を向ける前に、恭遠が微笑みかける。
 言われるがまま、少年は目を閉じて、過去のことを思い出す。
 ぼんやりとした記憶。朧な夢。その中で鮮明に蘇るのは、燃えるような赤と、鮮やかすぎる夏空の青──。
「……、俺は日の本一の兵、真田源次郎信繁様の馬上宿許筒だ!大坂夏の陣で信繁様に使ってもらったんだぜ!」
「大坂夏の陣……ということは、君は日本の戦国時代の銃で合っているかな?」
「戦国時代?」
「ああ、伝わらないか。ええと、織田信長や豊臣秀吉がいた時代だね」
「んー……? ……ああ、そうそう! 懐かしい名前だなー!」
「あはは。よかった、間違いはなさそうだね」
 恭遠は手元のメモ用紙のような小さい紙に視線を落とす。おそらくそこに少年の経歴について書いてあるのだろう。
 少年は、フードを被った者と、その隣に立っている青年二人に顔を向けた。
「なあ、お前らは誰なんだ?」
 問いかけに恭遠がメモから顔を上げる。
「こっちは君のマスター。君を貴銃士として呼び覚ました人だよ。それで残りの彼らは……」
「……俺の方から名乗ろう」
 二人いる中の片方が恭遠に返事をする。真っ直ぐな黒髪はそのままにして、あまり飾り気のない見た目こそしているが、どこか優雅な仕草をする、柔和な雰囲気の男だ。
「ここでは新しく来た貴銃士の名を、同じ時代や国で生まれた銃など、縁のある貴銃士が相談して決めることになっている。俺たちはそれで恭遠に呼び出された、君と同じ貴銃士だ」
「へえ……、じゃあお前らも戦国時代の銃ってことかー? あっ! それこそ信長とか秀吉の!?」
「いえ。……私はヒデタダ、と名を頂いております」
「俺はイエヤス。名の通り、徳川家康様と徳川秀忠様に使われていた火縄銃の貴銃士だ」
「!」
 名前を聞いた途端、にこやかだった少年の顔がサッと強張る。恭遠はそんな少年の様子を見て、思わず両者の顔色を伺った。イエヤスと名乗った男が、恭遠と視線を合わせる。大丈夫だ、と言うように、彼らしい柔らかな笑みを返された。
 少年に視線を戻したイエヤスは、ゆっくりと話し始める。
「……君としては、思うところもあるだろう。だが日本で生まれ、戦国時代に使われた貴銃士というのが、まだ俺たちしかいないのだ。俺たちが君の名をつけるので、構わないだろうか?」
「……しょうがねーなら、いいけど……」
 眉根を寄せた少年の返事はしぶしぶといった様子であったが、それでもホッとしたようで、イエヤスとヒデタダは顔を見合わせてゆるく微笑みあった。
「そなたの名は、前々から私たち二人で考えていたのです」
「……なんだ? 聞かせてくれ」
 少年の興味は、彼らが徳川家康と徳川秀忠の銃であるということよりも、自らの名付けに移る。眉間のしわを解いて、少し前のめりに彼らの言葉を待つ。
「……君の主は真田信繁だったな。だが後の世では、信繁ではなく幸村という名の方が浸透している」
「幸村……?」
 少年には聞き慣れない名だった。何せ、そんな名前を真田信繁が名乗っていた頃はない。
 少年の反応はあらかじめ予想がついていたのだろう。イエヤスは話を続ける。
「君が知らないのも当然だろう。幸村というのは後世で創作された名だ」
「……なんでだ?」
「戦国が終わった後の世で、大坂の陣をもとに難波戦記という物語が作られたのだ。家康様や君の主が出てくる、軍記物だな。だが、世は徳川の治世下だ。徳川が絶対という世の中で、家康様を追い詰めた真田信繁を讃えるような物語を出したらどうなる?」
「……、あんまりいい顔はされねーと思うけど……」
「その通りだ。真田信繁の名を物語とはいえそのまま出すのは、徳川幕府や藩にいい顔をされるような行為ではない。物語を世に出すことすら難しかった。
 だから「真田幸村」という存在しない武将を作り出し、あくまで架空の英雄の物語である……、そういった形で、難波戦記は世に出されることになったのだ」
「へぇ……。でも、それが俺の名前とどう繋がるんだ?」
「まぁ、そう焦らずに。その難波戦記を皮切りにして、君の主は真田幸村として、時にはもっと違う名と姿で……物語や絵、演目などとなって絶大な人気を誇るようになった」
「……「真田幸村」は江戸の人たちに愛される英雄になりました。神君たる徳川家康公を追い詰め、華々しい最期を遂げる、まことの武士として」
 少年は、ぼんやりと、その光景を思い描いてみる。
徳川の世に最後まで抗った一人の男の姿に、未来を生きるものたちは、何を見ただろう。
英雄だったかもしれない。神殺しの反逆者かもしれない。夏の終わりを。時代の終わりを。人の命の熱さを。あるいはもっと違う何かかもしれない。
ただひとつ、確かに分かるのは。
「真田信繁は徳川の世で、そのままの名では物語の中ですら存在を許されなかった。ですが真田幸村と名を変えたのなら、徳川の世でも存在を許された。名を変え、姿を変えさせても良いから……みな、真田信繁を愛したかった。」
 形は違えど、皆があのひとを愛したいと願ったのだ。
「──ゆえにそんな英雄の名を、そなたに贈ろうと思うのです」
「本来存在しない、作り上げられた偽りの存在。けれどそこに、確かに真田信繁の魂がある。それが真田幸村という英雄だ。
君は真田信繁ではない。君がこの名を名乗るからこそ、きっと意味があるのだと思う。
俺たちがここで巡り逢った縁にも、きっと」


「──ユキムラ。それが君の名前だ」


カーテンコールの幕が開ける。


作品ページへ

top back





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -