終章
「……、……ラ、……ユキムラ」
優しく身体を揺すられる感覚で、ゆるく瞼を起こした。
「……イエヤス?」
俺と視線が合うと、俺の顔を覗き込んでいたイエヤスはそっと微笑んだ。
「おはよう、ユキムラ。もう夕餉の時間だぞ」
「あ……」
そう言われて窓に視線をやる。眠ったのは朝だったのに、もう日が暮れて夜の帳が落ちていた。
「……寝過ごしてたのか」
「それもあるが……心配になってしまって。君が泣いていたものだから」
「泣いて……? 寝ながら?」
「ああ。声を掛けても反応しないし、時々うわ言も言っていたから、寝ていたと思うのだが」
「……、そっか、寝てたんだな、俺……」
身体を起こすと、頭が少し重く感じた。眠りながら泣いていたせいだろうか。
滲んでいる涙を手の甲で拭う。長い夢だった。けれど、まだ身体を抱きしめられていた、あの感触が残っている。
「……すまなかった、ユキムラ」
「へ?」
「君が眠ってしまう前、君に無神経なことを言おうとしてしまって」
「……んーん。俺こそ、ごめん。お前が言いたかったのは、信繁様を忘れろってことじゃなかったんだろ?」
「ああ」
「なら、だいじょーぶ。……イエヤスのほんとに言いたかったこと、たぶん、信繁様に教えてもらったんだ」
「信繁公に……? また大坂の夢を見ていたのか?」
「おう。けど、今までのとはちょっと違ってさ。夢の中だけど、自分で動いて、考えて、信繁様とたくさん話せたんだ。信繁様、俺のことずっと見守っててくれてた。俺のことをずっと想ってくれてた。……だから大坂の夢を見せたんだって」
「それは……、 ……良かったな。信繁公に、また逢えたのなら」
「……ああ」
イエヤスの優しく寄り添うような無償の肯定が、今はとても、嬉しく思う。
「な、イエヤス……過去は、しがみつくか、忘れるかの二択じゃねーんだよな。お前たちは俺より先に、もう一個ある答えを選んでた」
「……そうだな。俺は、過去は過去であると思っている。それは昔あったことを蔑ろにするわけでも、忘れてしまう訳でもない」
「うん。信繁様は、過去を仕舞い込むことだって、未来を生きるために必要だって言ってた。
……俺もいつか、ちゃんと昔のこと仕舞い込めるようにしてーなって、思う。だからイエヤスの言いたいこと、勝手に決めつけて、怒って……ほんとにごめんな」
「……なら、仲直りだ」
イエヤスは微笑みながら、右手を差し出してくる。それを右手で握り返して、俺もはにかんだ。
するとぴくりと小さく、イエヤスの手が跳ねた。
「イエヤス?」
「ああ、いや……今何か……手に留まったような気がして。気のせいかな」
「それって、もしかして……ちょうちょ、みたいな?」
「ああ、ちょうどそんな感じの」
「……ならきっと、今ここに信繁様が居るんだと思う。目には見えねーけど、なんとなく、わかる」
「……ふふ。信繁公の銃の君が言うなら、間違いないな」
イエヤスはゆるく微笑む。それはもう、あの敵に向ける冷たいものではなく──仲間に向ける、優しい瞳だった。手が離れる。イエヤスの手の温もりは、ちょっとだけ、信繁様の手に似ていた。
「焦らなくても良いぞ。君の心次第で、ゆっくりと、過去を仕舞い込んでいくといい」
「だいじょーぶ! まだ難しいかもしれねーけど、いつかきっと、そう思えるはずだから。それまで、待っててくれるか?」
「もちろんだ。……君と約束を交わしたのだから。その約束を果たすまで、俺はずっと待っているよ」
「……へへっ、そうだな! 待っててくれよな!」
「……な、イエヤス。明日はお前とヒデタダ、何か予定あるか?」
「うん? いや、俺もヒデタダも予定はないな」
「じゃあさ、明日は一緒にどっか行こーぜ、三人で! 仲直りのしょーこ!」
「俺は構わんが、珍しいな、君の方からお誘いなんて。ふふ、ならヒデタダにも声をかけねばな」
「あいつ今何してんだ?」
「夕餉作りの手伝いだ。焼きおにぎりでも作っているのではないかな」
「おお! へへっ、俺あいつの焼きおにぎり好きなんだよなー。なら早く行かねーと無くなっちまうな!」
「はは、もうすっかり本調子だな」
さっそくベッドから抜け出して部屋を出る俺に、イエヤスはニコニコしながらついてくる。あんまりにもイエヤスがのんびりしているものだから、焦れったくて俺はイエヤスの手を強引にとった。
「はは、ユキムラはせっかちだな。そんなに焦らずとも、焼きおにぎりは逃げないぞ」
「いいんだよ! ……あっ、そうだ、イエヤス」
「うん? どうした?」
「──絆創膏、ありがとな!」
イエヤスは、ひまわりの花が咲くみたいに笑った。
信繁様。
どちらかが生き残って、どちらかが死ぬ。
本当は、俺とイエヤスの決着が、そんな結末じゃなくてもいいと思う俺がいるんだ。
俺たちは、貴銃士。人の願いに呼応して目覚めるモノ。
俺たちを目覚めさせたその願いは、きっとマスターやレジスタンスの皆のものだけじゃなくて、──信繁様たちの願いだって、あるんじゃないかと思うんだ。
日本じゃない遠い異国で。戦乱の世が遠い歴史になった時代で。俺たちが人の身を得て、人の想いをもって生まれてきた理由を、求めるとするなら。
あなたの魂を継いだ俺が、いつ大坂の陣を終わらせればいいか、それはまだ、分からないけれど。それでもきっと、信繁様たちの願う未来は、あの夏を終わらせた、その先にあるって信じてる。
信繁様。
俺は、イエヤスとヒデタダが好きだ。
俺を呼んでくれる声が。そばにいてくれる優しさが。貴方に似た二人の温もりが、好きだ。
もしかしたらもっともっと俺は二人のことが好きで。これからもたくさん好きなところを知っていって。
そんなたくさんの好きを、俺は捨てなくてもいいのかな。殺さなくてもいいのかな。
ふたりと一緒に生きてても、いいのかな。
……いいよな、信繁様。
儚き過日の
カーテン
コール
君が未来を生きていく。
それだけで、私はじゅうぶん、幸せだ。
第零章
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