第五章
夏と戦士の
ファンタジア







 痛ましい、と思ってしまった。
 まだあの大坂の夏に囚われ続けている彼が。私の愛銃だった彼のことが。

 貴銃士というのは不思議なもので、銃から現れた人のような姿をしている存在だ。絶対高貴になれば強大な力である心銃を扱い、ただの火縄銃では到底出来ない戦い方も出来れば、人には見えない妖精という存在も視えるらしい。妖精は貴銃士にさまざまな加護を与えるために存在している神の使いだそうだ。
 私はそれではなかった。ただ、妖精に似た蝶の姿になっていた。人の魂は蝶の形をしているのだと初めて知った。
 気づくと、私は彼の傍を羽ばたいていた。私の愛銃が海を渡り、遠い異国で人の身をもって生まれたのだ。なんとも摩訶不思議なことだが、それを私は自然と受け入れていた。彼を見守ってやりたい、と思うのは、元の所持者としてごく自然なことであった。
 彼のすぐ近くには、かの家康や秀忠の火縄銃の貴銃士も居た。かつての敵対者の貴銃士である。私はしばらく、彼の傍に寄り添いながら、二人のことを観察していた。その時はまだ、彼らに疑心もあったのだ。
ある日、貴銃士として目覚めたばかりの彼が、熱を出して寝込んでしまった。私は何もできるわけではない。羽をパタパタと動かしたところで妖精のように加護を与えられるわけでもない。歯痒く思っていたときに、その家康と秀忠の貴銃士が現れたのだ。
 何か手を出すのではないかと、疑いながら彼らを見ていた。だが二人は私の心配をよそに、温かい粥とよく冷やした布を用意して、甲斐甲斐しく彼を看護してやっていた。
 二人は、仲間として彼を迎え入れようと思ってくれているらしい。それに気づいた時、私はとても嬉しくなった。大坂の陣で戦った相手と、共に生きる世界があるのだと知れて。
 家康の銃が、秀忠の銃が、彼を想って何かしてくれるたびに、蝶となった身で不思議なものだが、胸の奥がじんわりと暖かくなった。
 だが彼はそう思ってはいなかった。
 あの日私が彼を手落としてしまったことを、彼が後悔していた。あの時手から離れなければ。離れないまま家康を撃てていたならば。あの日私が負けることは無かったやも知れないのに。そう言いながら、家康と秀忠の火縄銃に敵対心を抱いていた。
 悲しかった。
 全ては持ち主である私が悪かったもので、銃だった彼は何一つ悪くないと言うのに。たとえ家康を撃てたところで、きっと徳川の世という未来は変わらなかったのに。私の死の運命は変わらなかったのに。私は仇討ちなど望んでいないというのに。
 彼がそのようなことを言うたび、私が傍で幾度羽ばたいても、彼は私に気づかなかった。
 ある日転機が訪れた。家康の火縄銃と彼が約束をしたのだ。『世界帝との戦いが終わったら決着をつける』。一時休戦という形ではあったが、それは大きな前進に思えた。
 家康と秀忠の火縄銃と彼は以前にも増して親しくなった。
 彼らがかつての敵対者ではなく、仲間として共に過ごしている。彼自身、二人のことを好ましく思っている。寄り添い合う友のように生きている。それがとても嬉しかった。
 しかしそれでも彼の中には迷いがあった。このままで良いのかと、親しくなっては後が怖いのではないかと。……私が、怒るのではないのかと。
 どうしようもできないまま私は彼を見守るしか出来なかった。
そんな時だった。妖精には不思議な力があり、時に貴銃士に夢を見せることだってできる。──その夢を見せる力だけは、私にもあるのだと知ったのは。


魂の私に声はない。
かつての姿もない。
心を伝えることなどできない。
唯一与えられたのは、夢を見せるという嘘つきの力だけ。
 それでもよかった。私は嘘をつくことにした。



なあ、私のわがままを、聞いてはくれないかな。



 夏の陣の結末は、決して変わらないように。変えられてしまったら、きっと彼はまたあの二人を敵だと思うだろうから。
 良いのだ。もうあの夏の陣は終わっている。私は敗者のままでいい。
 この世界には、貴銃士が当たり前に存在していることにして……彼の主君は私であることにしよう。彼の今の主君には申し訳ないが、夢の中の話だ。許してくれ。
 あの二人も、この世界に存在させよう。イエヤスは家康の本陣へ。ヒデタダは……伊達のところに居させよう。そうすれば、六日と七日で必ず彼らと顔を合わせるようになるはずだ。
 もし本陣で相対したとき、貴銃士を互いにもつならば、まずは従者である貴銃士同士で決着をつけさせる。そのあとで大将が決着をつける。……うむ、これにしよう。これで彼らは必ず戦わなければならなくなる。その時、彼は何を思うだろうか。
 その引き金を、引くことはできるだろうか?
 本来の世界に少し脚色を加えただけだが、大坂夏の陣の二日間の幻想は作り上げられた。
 そして、彼の夢という形でこの世界に招くことにした。貴銃士である彼を。私の通り名──幸村の名をつけられた彼を。
 貴銃士が存在する大坂の陣。そんな偽りの世界で、ユキムラは何かを得てくれるだろうか。
 私はユキムラの背を押す者になれるだろうか。
ユキムラは気づいてくれるだろうか。

 この時代を生きた者が、未来を生きるきみに、何を望んでいたのかを。


 俺は気づく。
 信繁様の手は、イエヤスへ向ける銃口を下ろさせないために添えられていたのではなくて。その引き金を引かせないために、指で押さえつけられていたことに。
「……信繁さま、……?」
 不思議な夢を、幻を見せられたみたいだった。レジスタンス基地で俺たちが過ごしている、ずっとそばに、信繁様の魂である蝶がずっと羽ばたいていた。
 ふっと力が抜けた。俺の本体が、するりと手から抜け落ちる。

 ──それを合図にするように、途端、周りの風景が糸を解くように崩れ落ちていった。
 桜の花が舞うみたいに、儚く。
 見えない大きな誰かの手で、どこかへ引っ張られるような感覚がする。もうすぐこの夢から目が覚めるのだと分かった。
「信繁様……!」
 世界が崩れ落ちたその後の、真っ白な世界には、俺と信繁様だけが残される。また信繁様の元から離れてしまいそうで、俺は信繁様の胸元の陣羽織を掴んだ。
「ユキムラ」
 信繁様が俺を呼んでくれる声は優しい。けれど陣羽織を掴む俺の手に信繁様の手が重なると、魔法がかかったみたいに力が抜けて、手を離してしまいそうになる。
「……信繁様、いや、です……! 俺は、俺はまだ……!」
「……すまぬな、ユキムラ。だがもうすぐ、夏の陣は終わりさ」
 それが意味する未来を、俺は知っている。
 それでも優しい微笑みを浮かべたまま、信繁様はぽつぽつと話し始めた。
「……なぁ、ユキムラよ。聞いておくれ。
 敵と味方に分かれていると言えど……戦が終われば、そこにあるのは人と人。殺し合いに意味などないと、きっとこの戦国という時代に、誰もが分かっていたのだ。けれど、人はそれに意味を求めた。己の行いが正しいのだと思いたくて。
 己の地位や名声のため。民の命のため。明日を生きる食を得るため。きっといろいろ、あったろう。そのどれもが正しくて、どれもが過ちであったと、私は思う。
 私は、……私たちは、未来を変えたくて、戦っていた。平穏で優しくて幸せな──昨日敵だった者たちと酒を酌み交わせるような、そんな未来が欲しかった。
 私に、そんな未来はなかった」
「ッ……!」
「私の結末は変わらぬ。家康を撃ち損じ、ひとりの侍と相対し、そこで散る。その結末が、悪いものだったとは思わん。戦なき世に、武芸だけが取り柄の私など要らぬのだ」
「ッそんなこと、そんなことないです、信繁様ッ! 信繁様だって、平和な世界で生きていけます……!」
 信繁様は微笑んだまま、首を横に振る。その右手には固く十文字槍を握り締めて。
 ……分かってる。俺だって。
 目の前にいる信繁様は、四百年前の信繁様じゃなくて、夢の中の信繁様で、──嘘に過ぎなくて。この人をいくら止めて生かしたところで、四百年前の事実は何も変わらないこと。
 俺が何度も繰り返し見た、少しずつ展開の変わる大坂の陣の夢は、きっと。どれほど繰り返そうと何をしようと、家康を撃てない、殺せない、信繁様の死という絶対的運命の暗示。そんな夢たちと同じ"俺の夢"であるこの世界だって、例外な訳がない。
(それでも、いい。嘘でもいいから、……生きていて、欲しいのに……ッ)
 ──信繁様。そうだ、今から俺と南の方へ逃げませんか。
 南はきっとあったかくて気持ちがいいだろうから。表向きは死んだことにして。俺とふたりで、どこか遠くへ、あなたが死ななくていい場所へ、行きませんか。
 そんな、信繁様を引き止める言葉を、信繁様を助ける言葉を、信繁様に生きていて欲しい願いを、伝えたくて、声が出ない。言いたいことはたくさんあるのに、嗚咽で塗りつぶされて何も言えなくて。
 たとえ運命が決まっていたとしても、たとえ死ぬのが士道でも、たとえ嘘でも。
 大好きな人が死んでもいいわけ、ない。
 そんな俺の頬に触れて、信繁様は指で涙を拭ってくれる。土で汚れた、無骨であたたかいこの手が、俺は大好きだったのに。
「……ユキムラ。大丈夫だ。私は死ぬのを恐れてはいないよ。私という敗者が、勝者へ出来た贈り物があるのだ。……なんだと思う?」
「っ、わか、っわかんな、ッです……っ」
「──未来だ。真田信繁は、徳川家康と徳川秀忠に、この国の未来を贈った。私の未来と引き換えに。私の望む平穏な未来を築いてくれると信じて……彼らは見事に、江戸という平和な時代を築いてくれた。
だが、人は欲張りだから。私にそんな平穏な未来がないことを、悲しく思うこともあったよ。
……だからほんとうに、嬉しかったのだ。私の武士道を、私の魂を継いでくれた君のそばに、家康と秀忠の火縄銃が仲間として居てくれることが。
 私には有り得なかった未来が、そこにあった。貴銃士である君に、私の未来を生きて欲しいと思ってしまった。君が朝起きて、一番におはようと言ってくれる者が。いつもあたたかな食事を共にしてくれる者が。苦しんでいるとき、必ず寄り添ってくれる者が。あの二人であってほしいと、そう、思ってしまったのだ。
 わがままな主君で、すまない。これもきっと、私の罪だな」
 俺は、何度も首を横に振る。ちがう。信繁様は、わがままなんかじゃない。
 だって、だって、それはぜんぶ、
 ──俺の幸せを、願ってのことじゃないか。
 平穏で優しくて幸せな未来を願ってのことじゃないか!
「これは君の夢で、有り得ない世界だ。だが、全てが嘘だったわけではない。それだけはどうか、わかっておくれ」
「……ッ、のぶしげ、さまッ……!」
 鼻の奥がツンと痛んで、視界がぼやけて、目の前の信繁様の顔さえ分からない。名前を呼ぶのが精一杯で、俺はここから目覚める前に、信繁様に強く抱きついた。信繁様もやさしく俺の体を抱き締め返してくれる。
 血の通ったあたたかさが、胸に伝わる微かな鼓動が、嘘だって、……それでよかった。
生きている信繁様が。貴銃士の存在する大坂の陣が。懐かしい俺の世界の全てが。何もかも嘘だとしても。
今確かにここにある、魂だけは、嘘じゃない。
「私の愛した銃よ。君の未来に幸多からんことを。そしてその隣に、君の愛する者が居てくれるように祈ろう」
 あたたかい、夏の風が吹いた気がした。全身の力がふっと抜けて、風船みたいにふわふわと、俺は信繁様から離れてしまう。手を伸ばした。信繁様はその手を取ってくれないまま、ただ、微笑む。
「君の未来は、君だけのものだよ」
 ──もう二度と、この人の手をとることは出来ないのだと分かった。

信繁様。
ごめんなさい。
さよなら。
大好きです。
俺はあなたの銃でよかった。

俺は、俺だけの──あなたの未来を生きていく。



終章

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