第四章
名も無き命の
エンドロール







「……行くぞ」
 日が昇りきった頃を見て、俺たちを含む豊臣軍は大坂城を出発した。
俺は相変わらず信繁様の後ろに乗せられて、二人で馬に揺られながら進軍する。
(結局、戦の展開は変わらない。これから信繁様は家康のとこに突撃して……それから、死んじまう……)
 信繁様の体に抱きつく腕の力が、少し強まった。
 過去は変わらないと、イエヤスにも、信繁様にも、言われてしまった。変わらない過去を変えようとすることに、意味はあるのか。価値はあるのか。……それは罪なのか。
 信繁様の死が武士として名誉ある素晴らしいものだったとは俺も思う。だからこそ俺は信繁様を尊敬している。俺が信繁様を生かそうとするのは、その名誉ある死に泥を塗る行為なのではないか。
(でも、目の前で生きてる主君を、そのまんま見捨てろっていうのも……できねえよ……)
 色々な思考が俺の中で錯綜して、逃げ出したくて、目を瞑った。
 それでも行軍が止まるわけでもなく、やがて俺たちの軍勢は信繁様を大将として、茶臼山に着陣する。陣幕が張られて、遠くに同じく着陣した徳川の軍勢が見えると、少し脚が竦むような思いがした。
「ユキムラ」
「はい」
 床几に座る信繁様が、そばに立つ俺に声をかけてくる。
「おそらく、これが最後の決戦になる。必ず徳川を討ち、私たちが勝利するのだ」
「……はい……」
 信繁様の目に迷いはない。卓子の上に広げられた地図を見て、考え込むように髭を撫でる。
(今の信繁様にとっては徳川は敵だから、必ず討つって言ったけど)
(昨日俺を手当してくれた時は、家康と酒でも呑んでみてーって言ってた……)
(……やっぱりわかんねーよ……。俺は……俺はこの戦で、何をすればいいんだろう……)
 俺はただ立ちすくんで、戦の始まる時を待つしかできない。
 このあと、太陽が真上に昇るとき。大坂の陣の──戦国時代の幕を閉じる最終決戦は、切って火蓋を落とされるのだ。
「緊張してるのかい」
「えっ」
 信繁様とは反対側の方向から声をかけられて、思わず肩を跳ねさせて俺はそちらを見やった。信繁様と同じ赤色の簡素な具足をまとった、真田軍の兵士のひとりだった。
「俺達には信繁様も秀頼様もいるんだから、そう気を張らんでも平気だろう。あんたは貴銃士だし」
「でも……」
「人じゃねえ神様みたいな貴銃士が弱気じゃあ、俺たちも弱気になっちまうよ。しゃんとして、俺達をどうか導いてくれ。信繁様たちの勝利に!」
「……! っおう……!」
「よし! その意気だ! あっはは!」
背中を強くばんばん叩かれて少し痛かった。けれど、おかげで気分はすっきりした。
彼が俺のもとを離れた後で、俺は空を見上げて、思う。
(戦がそこにあるなら、目指すのは主君の勝利だけだ。信繁様の勝利。信繁様が、生きてくれる未来。……それが正しいかどうか、俺にはまだ分からないけど。
 答えはきっと、この戦でわかるから……)


 太陽は、少しずつ西に傾いてゆく。
「頼む、もう少し頑張ってくれよ……ッ!」
 馬の手綱を強く引いて俺は戦場を駆ける。絶対高貴の光と、最新鋭の連発式火縄銃を手に。
 硝煙に湿気た鉄錆の匂いが混じる。背後に居る信繁様のところへ──ひいてはその先にある大坂城へ向かわせぬように、突撃してくる徳川軍の兵士に照準を合わせて鉛玉をぶち込む。
 真上にあったはずの太陽が赤く西日に染まるくらい、乱戦は長く続いていた。けたたましい銃声と金切音に鼓膜はすでに麻痺しつつある。時折戦場の熱気と血生臭さを洗い流すかのように初夏の風が吹くけれど、それも数万の兵たちの殺し合いの前には意味を成さない。視界も常に巡って一点を注すことなく、異常な環境に精神は血が湧きそうなほど昂り続けている。頼りになるのは、俺の体に染み付いたレジスタンスでの戦いと、遠い記憶の中にある信繁様の立ち振る舞いだけだ。
 風を切る弓矢の音がしたかと思えば馬がいななく。馬上で体が大きくぐらついたので、馬が倒れる前に俺は地上に飛び降りた。馬は倒れるとぴくりとも動かなくなってしまう。
「ごめんな、ありがとう!」
 馬がなければ、普通の火縄銃より射程距離の短い馬上筒である俺は不利になる。そんな俺は格好の獲物で、気がついた徳川兵たちが俺を取り囲むようににじり寄る。ここは一度引いて体制を立て直すべきだ。
「──絶対高貴ッ!」
 ……それは、普通の馬上筒での話だけれど。
 黄金色に輝いた俺の姿に敵兵たちは一瞬怯む。それを見逃さずに、彼らの心臓部を絶対高貴の光が貫く。俺を取り囲むものが無くなって、一度呼吸をする。戦況は徳川に少し押されているくらいだろうか。
 目の前に徳川兵が倒れ込んでくる。立ちあがろうとした彼の首に一閃。鮮やかな血飛沫とともに、「よし!」と明朗な声が上がった。
「──おまえ、さっきの!」
 現れたのは、戦が始まる前に俺に声をかけてきた兵士だった。
「お、ユキムラじゃねえか。陣太鼓は聞こえたか?」
「いいや。何か指令か!?」
「ああ、信繁様の陣が徳川方のヤツに破られた! だから全軍、徳川本陣に突撃! 思う存分蹴散らせだとよ!」
「!!」
「俺たちも行くぞ、ユキムラ! ははっ、大手柄立ててやらァ!」
 軽やかに戦場に舞い戻った彼の背中を、少し見つめてから──ハッとして、彼を追うように俺も戦渦の中へ戻る。方向は南東、徳川家康本陣の方へ。沈む太陽に背を向けるように。
(やっぱり展開は変わらねぇ……ッ、俺が足掻いたところで無駄かもしれねぇッ)
(──それでも! 今は信繁様と合流するんだ!)
(あの日取り落とされた俺が、貴銃士になったこの世界なら!少しでも何かが、変わってくれるかもしれねぇから……!)
 一刻も早く、一歩でも前に。立ちはだかる葵紋と共に、事切れた仲間たちの屍さえも踏み超えて。
「ユキムラ、使えっ!」
「! ありがとッ!」
 そばに居た彼から投げ渡されたのは打刀だった。絶対高貴があるとはいえ万能ではないし、火縄銃一本だけでは白兵戦には限界がある。有難い援助だ。
 打刀の鞘を抜いて投げ捨てると、肺の奥から血の匂いがして微かに咳をした。敵兵の波はまだ押し寄せて、信繁様の姿は見えない。
「貴様貴銃士だなっ!? だのに刀など、こちらが有利ッ──」
「貴銃士以前に武士として! 刀振るくらい出来るッ!」
 男の肩から脇を斬りつければ背中に気配を感じて振り向きざまに刀を見舞う。キンッと甲高い音がして敵兵が飛び退いた。
「いいぜ、来い! 刀だろうが銃だろうが……俺はぜってー誰にも負けねーッ!!」
 右手に銃を、左手に刀を携え、敵兵になおも刃と鉛を食らわせながら、……心の片隅で、ずっと思考が回り続ける。
(信繁様、──どうして俺は、こんな世界の夢を見ているんでしょう)
 この徳川の兵をあとどれくらい倒したら、大坂の陣の展開は変わるのだろう。いくら倒しても過去が変わらないなら、今の俺に意味はないのだろうか。
 ……この殺し合いにも、意味はあるのだろうか。
 でも、もしも、今の俺に意味があるなら。この殺し合いにも意味があるなら。あったなら。
(過去は変わらなくて、意味がないなら。意味があるのは)
 きっと、未来だ。

「げほっ……! っはぁ! ッ信繁様ッ!」
 遠くに小さく信繁様の姿が見えて、俺は叫ぶ。肺が千切れるかと思ったくらい、呼吸は荒くて心臓はバクバクと音を立てたままだ。
「ユキムラ!」
 信繁様は馬に乗って一瞬だけ振り向いたけれど、すぐさま敵兵に切り掛かられそうになってそちらに視線を向けてしまう。
「おいっ! 信繁様いたぞ! 行くぜ!」
「ああ!」
 俺たちは並んで信繁様のもとへ走り出す。信繁様の周りには敵兵が群がりつつある。その援護のためにも、俺たちは真っ直ぐに信繁様のもとへ急いだ。
 ──だから、気づかなかった。気持ちばかり先走って、少し遠くから俺たちに銃口がひとつ向けられていることに。俺がその黒い穴に気づいたと同時に──乾いた銃声がひとつ、耳に届いた。
「ぐ、ぁ……ッ」
「! おまえっ」
 彼は腹を押さえてうずくまってしまう。鮮血が瞬く間に手を汚していく。
「ッ戻るぞ、本陣に! まだ助かっ……」
 俺が差し出した手を、強く音を立てて彼は振り払った。
「振り向くなッ! 信繁様を……生きて護れ……ッ!」
「ッ……! でも……!」
「行けッッ!!俺の命なんてどうでもいいだろうッッ!!」
彼が叫ぶと、撃たれた傷から更に血が溢れて地面を赤く染めた。呻きながらキッと強く睨みつけられて、俺は惑う。はっと気づく。
ここは、戦場だ。
──俺は懸命に前を向いて、走った。まだ息のある彼の首を取らんと徳川兵が白刃を振り下ろしたのが、音と空気でわかった。目と耳を塞ぎたくなっても、……俺はただただ前を向き続けた。
「邪魔だっ、退けよ! 信繁様のもとへ行かせろっ!」
 立ちはだかるのは全て薙ぎ倒すように。足元に転がっている屍が誰かなんて最早気にも留めずに。
あの人だって、そうだ。俺に気さくに声を掛けてくれたけれど、死んだら終わりだ。俺が踏んづけた知らないヤツと同じ、ただの肉塊に過ぎない。
(ここは、この時代は、そういう時代だった。知ってた、分かってた、けどさ)
 足がもつれて、転びそうになった。地面に手をついて、すぐに体勢を直してまた走り出す。
 走れ。走れ。走り続けろ。何も振り返らずにただ、前だけを見て。
 死んでしまった人たちなんて、全て捨てて生き抜くために。
(……それってあんまりにも、悲しい時代じゃねーのかな)
(でも、それももうすぐ終わるんだ。あの日と何も変わらないなら)
(……信繁様の死と、引き換えに)

「──信繁様ッ!」
「ユキムラ! よう来た、後ろに乗れ!」
「はいっ!」
 信繁様の後ろへ飛び乗ると、馬は勢い良く駆け出す。十文字槍を巧みに操って、信繁様は敵兵を蹴散らしながら道を拓く。
 もう止まれない。もう戻れない。大坂の陣の展開を、信繁様の運命を変えられるチャンスがあるとするなら、きっとこの家康の本陣へ突っ込む最終局面だけだ。
(大丈夫、俺はもうこの銃を手放さない。撃ち損じなんて、しない)
(絶対に、徳川家康を殺すんだ)
 馬に襲いかかろうとした敵兵を刀で制すと、勢い余ってそれが手から離れてしまう。一瞬気を取られたけれど、空いた左手で信繁様の体にしがみつく。馬から振り落とされぬように、信繁様から離れないように。
 こびりついた血錆の匂い。信繁様の匂い。温もりは伝わらずとも、この人が生きている証明が目の前にある。
(信繁様を生きて護る)
(それは俺一人の問題じゃなくて、真田軍全員の願いだ)
(あの人だって、名前も知らない人たちだって、きっとそうだった……!)
 荒れた呼吸を整えるために、大きく息を吸っては吐く。そうするたび肺が痛むのに合わせて汗が滲んで、浴びた返り血と混じって滴り落ちる。少し緊張が解けると、ずっと固く武器を握りしめていた手が痺れるように痛んだ。
 敵兵の群れを抜けて、徳川本陣の陣幕が見えた。金の扇の馬印に歯朶の葉の前立てには、記憶の中に見覚えがある。
(そうだ、ここで信繁様は俺を構えて)
 不思議と頭が冴えていた。手に力を込め直して、固く銃を握る。
「徳川家康、覚悟めされよ──!!」
 信繁様が高らかにそう叫ぶのと同時に、俺は弾を込めた馬上筒を彼に向けた。引き金に指をかけて、思いっきり力を込める。
「──!」
 指が、動かなくなった。
深い紺碧の陣羽織に、黒髪と切れ長の涼やかな目。白と茶のグラデーションがかった陣羽織と、揺れるのは葵の葉の耳飾り。
──イエヤスとヒデタダが、そこにいた。

 信繁様はイエヤスとヒデタダの姿を確認すると、家康に向けていた十文字槍の切っ先を下ろして手綱を引く。立ち止まった馬から降りて俺に合図をしてきたので、俺も馬を降りた。
(……? 何を、してるんだ?)
 家康とおぼしき人も、何も仕掛けてこなかった。敵兵が武器を持って目の前に迫っていると言うのに、動揺も戸惑いも敵意もないように見える。
「──これは、徳川家康殿。そなたも貴銃士を携えておられるということ……その意味は、私と同じ認識ですかな」
「ああ。無論だ」
(……な、なんだ? 貴銃士がいると、何が起こるんだ……?)
 俺の記憶の大坂の陣、もっと言えば戦国、安土桃山時代というものに、貴銃士は存在しない。たった一日程度居ただけだけれど、この大坂の陣には貴銃士が当たり前のように存在していて、ほとんど人間の兵士と変わらない扱いのように見えた。貴銃士だからと特別に用意された作法や何かがあるとは思っていなかった。
「家康様」
 それまで静かに佇んでいたイエヤスが声をかけると、その主はひとつ首を縦にゆっくりと振って立ち上がる。イエヤスたちが不自然に開いた場所に並んで立つと、それが何かの合図なようで、周りの兵達が俺たちから距離をとる。ヒデタダも彼らと同じように、少し離れた場所へ向かう。信繁様はそんなイエヤスたちと向き合うように立ち、俺もその横に並ぶ。俺たち四人はまるで特設の舞台に立たされたようになった。
 俺が戸惑うのも構わず、イエヤスが口を開いた。
「貴銃士ユキムラ殿、お初にお目にかかる。俺は貴銃士イエヤスと申す者。貴方とこうして決戦の場で相見えること、まこと光栄だ」
「……っ」
 ぞっとするくらい感情のない声、そしてひどく他人行儀な言葉だった。軽く頭を下げてそれだけ言い終えると、イエヤスは射撃準備を始めてしまう。聞きたいことも聞いてほしいこともあるのに、まるで声を発することが許されないような空気に呑まれて、俺もイエヤスのように淡々と準備を始めるしかなかった。
 火縄に火をつける前にイエヤスが銃を構えたので、俺も慌ててそれに合わせようとする。
(……よく分かんねーけど……お互いに貴銃士がいるときは、貴銃士同士一体一で決闘するとか、そんな感じなのか?)
 一騎討ちと言うならまだ分かるけれど、それは刀同士の話であって、火縄銃同士で決闘なんて聞いたことがない。作法なんて当然知らない。俺が今大坂の陣の最中に立っていることからそうだけれど、この世界はなんだかおかしい。
 けれどそんなくだらない思考は、銃を構えた瞬間に霧散した。
 それは、俺が初めて目にする──「敵」のイエヤス。
俺を見つめる黒い瞳に、優しいあいつの姿はない。その目からただひとつ痛いほど感じるのは、向けられた銃口のように真っ直ぐな、殺意だけだ。
「……どうした? ユキムラ」
「っ……、ぅ……、」
 初めにあったのは動揺だった。俺の銃を持つ手が震えて照準がズレた。敵の身体に照準を合わせる、そんな銃士として当然の動きがどうしても出来ないまま、俺は立ち竦む。
こんなイエヤスを俺は知らない。
 ──いいや、きっと世界帝軍にならいつも見せている一面だろう。イエヤスの気が変われば俺にだって向ける表情で、むしろ俺はこのイエヤスの姿を求めている。俺はいずれこんなイエヤスと決着をつけようとしているのだ。
 そのはずなのにどうしてか、脳裏にいつもの優しいイエヤスの微笑みが浮かんで消えてくれなかった。
「貴銃士同士の決闘が、この夏の陣で叶うとは。双方が絶対高貴に至った時が合図だ。外すでないぞ、イエヤス」
「心得ております、家康様」
「ユキムラ。肩の力を抜け。ただ一発、あやつに弾丸を食らわせてやれば終わるのだ」
「……っ、は、い……っ」
 信繁様は優しい声で語りかけてくれるけれど、俺はどうにも冷静になれなかった。絶対高貴になって、その力で今込めた弾丸を一発だけ使って決闘を行う、作法はおおよそ理解した。ここは大坂の陣だから、戦う相手はイエヤスなのも理解できる。
 なのにどうしても、どうしても。今此処にある状況を、納得したいと思えないのだ。
 俺はしばらく動けなかった。イエヤスの身体を黄金色の光が包むのを、ただじっと見つめたまま。
 陽が傾いてゆく。夜の帳が、落ちてくる。
 俺の異変に気づいたのか、肩に手を置き、信繁様は耳元にそっと唇を寄せてきた。
「……お前の役目を忘れたか? ならばもう一度言ってやろうか」
「あ、ぅ、……っあ、」
 がくがくと手が震えた。大好きな信繁様の声が、ぐっと低い音と冷たい温度になって、ひどく怖かった。その先の言葉を聞きたくなくて耳を塞ぎたいのに、いつの間にか俺の手の上に信繁様の指先が触れていて、銃を離すことを許してはくれない。
「良いかユキムラ」
「あ、ッう、やめ、……やめて、ください、っ」
「二度はない。よぉく聞くのだぞ?」
「やめ、っやめて、のぶしげさまっ、」
「さぁ」
「やめっ……!」
「貴銃士イエヤスを、殺せ」
「……ッ……!」
 太陽が、静かに山陰に隠れていった。
 ──イエヤスはまさに目の前にいる。引き金を引けば、どれほど射撃が下手であろうが身体のどこかを掠るくらいはできるだろう。それでもその言葉を再び聞いた途端に、俺は心臓が嫌に跳ねて、指先に血が通わなくなったかのような感覚がした。足がすくんだ。怖くなった。一歩後ずさって、ゆるく首を横に振る。
「信繁、様、……俺、……俺は、」
「どうした? あの二人──特に貴銃士イエヤスを倒すことは、お前のきっての願いではないか。なぜ断る必要がある?」
「……だって、……ッ」
 そうだ。分かってる。何も躊躇う必要はない。
 最近は一時休戦していただけで。今までだって散々イエヤスに罠を仕掛けて、ヒデタダに怒られて、あの日の決着をつけようと何度も挑んでいた。
(それは今だって、この状況だって変わらないはずだろ?)
 なのにどうして、こんなに俺の手は震えているのだろう。
 どうしてアイツらのことを思うと立ち竦んで動けなくなってしまうのだろう。
 どうして目の前の敵対者を『違う』と思ってしまうのだろう。
 ──どうしてあの二人のぬくもりを、思い出してしまうのだろう。
 そんな俺の姿を見て、信繁様はしばらく険しい顔をしていた。けれどふとやわらかに微笑んで、俺の手に重ねていた手を離す。その感覚で、俺はあることに気づいて振り向く。
「……躊躇いがあるのなら。そなたの中であの者たちは、もう敵対している者ではなく──心から、仲間だと思っておるのではないか?」
「へ……っ」
俺が何か言う前に、信繁様は俺の頭に左手を伸ばしてわしゃわしゃと髪を乱す。上目で見た彼の表情は、笑っているのにどこか寂しかった。

第五章

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