第二章
記憶と歴史の
ラプソディ







 少しずつ霧が晴れていくのに合わせて、ユキムラの頭もゆっくりと眠りから目覚めていく。信繁がここまで率いてきた軍隊が足を止めたころには、この状況のことも少し理解ができた。
(たぶん俺は、また夢を見てて……でも今回の夢は、家康の本陣に突撃する瞬間じゃない。俺は信繁様の貴銃士として存在してることになってる。信繁様の左手に、薔薇の傷があった。そんなのあり得ねーから、夢だと思うんだけど……)
 信繁の体に回した右手の指先が、微かに疼く。
(……イエヤスに巻いてもらった絆創膏がある。夢だったら、普通こんなのねーよな……?)
 指先だけに残る現実の跡が、ユキムラを余計混乱させた。
 馬の足取りが遅くなる。ユキムラは周囲を見渡して、それから信繁を見上げた。
「信繁様、ここは何処ですか……?」
「誉田村の辺りだ。もう戦は始まっておる。まずは戦況を把握せねばな」
(誉田村……? っつーことは、えっと)
「あの六文銭は……ッもしや真田信繁様の軍でしょうかッ!?」
「!」
 ユキムラが考えを巡らせていると、一人の兵士が信繁の馬に駆け寄ってきた。
 片腕を抑える彼の後ろには、傷だらけでまさに戦場から逃げてきたという風貌の兵士が幾人か居る。すぐには全容が把握できないものの、彼らのように逃げてきた兵士は数多く居るようだ。そんな彼らに、信繁は馬を降りて応対する。
「ああ、まさしく私が真田源次郎信繁である。──遅れてすまぬ、よくぞ耐えてくれた。少し休め」
「ッ真田様……、申し訳ありません……ッ」
「そなたたちが悪いのではない。今はただ、そなたらの傷の回復を祈る。死ぬな。生きてまた顔を見せておくれ」
 信繁の言葉を聞いて、涙ぐむ者もいた。傷だらけの兵士たちは、お互いに肩を支え合いながら、信繁が率いてきた軍の後ろへと逃げていく。その人の流れに流されるように、信繁はくるりと振り向いて自軍に向き合うと、静かに口を開いた。
「ここに陣を張る。傷兵と、手当をする者は残っておれ。──戦える者は武器を持てッ! 敵の旗印、倒して見せよ!!」
 信繁が十文字槍を空高く掲げる。それに応える声が大坂の大地をびりびり震わせた。
(……なつかしい、俺の知ってる、戦場だ……)
 ユキムラも一度馬を降りる。行軍から慌ただしく戦闘体制に入る喧騒の中で、兵士の一人から信繁は簡潔に戦況を聞き出していた。
「そうか、後藤が……。分かった。ありがとう、そなたも傷を癒せ。……ふむ」
「信繁様」
「ああ、ユキムラ。……後藤に薄田たちが討死した。毛利殿もまだ到着したばかりのようで……霧のせいとはいえ、作戦は破綻しておる。厳しい戦いになるだろう」
「あ……、」
(後藤に薄田っつーのは……後藤又兵衛とかのこと言ってんだよな? その人たちが討死した、誉田村近くの戦い……)
 ユキムラの中にある、大坂の陣の出来事を洗い出してみる。聞き覚えのある名と地名なのは間違いない。少しして、脳内でパチリとピースがはまった。
(分かった! これ、道明寺での戦いだ……!) 
 道明寺の戦いは、大坂夏の陣で起きた戦いの内のひとつである。信繁は、十文字槍とかつてのユキムラを携えて、これに参戦していた。ユキムラの記憶に間違いがなければ、このまま行くと徳川幕府方である伊達軍と交戦することになるだろう。
(道明寺じゃ、五月六日に戦ってて……)
忘れもしない大坂の陣の日時を思い出し──ユキムラはハッとしてあることに気づく。
今日は道明寺の戦い、五月六日。そして──
(信繁様の命日は五月七日……! 明日じゃねぇかッ!)
「それでだな……、……ユキムラ? 聞いておるのか」
「の、ッ、信繁様……、」
「ん? どうした? 顔色が悪い」
(このままじゃ信繁様が明日死んじまう……! 何とかしねーとっ、どうすれば……ッ!?)
 ユキムラの様子に信繁は体調を悪くしたのかと思ったようで、額に手を当てたり首筋で脈を測ったりしてくる。やがてはユキムラの気持ちを落ち着かせるためにか、ゆっくりと頭を撫でられた。手袋越しに、血が通ってあたたかい指が、ユキムラの肌に触れている。信繁は、生きているのだ。
 ──信繁に取り落とされてしまった時の感覚を思い出した。このあたたかい手が、ぬくもりが、自分から離れてしまったあの感覚。それは、信繁の敗北と死を意味していた。
 信繁の手が頭から離れて、ぬくもりが離れて、血の気が引いた。
 死の運命を知らないかつての主君は、何も知らずにユキムラに微笑みかける。
「珍しいな、そなたが戦の前にこうなるなど。誰より多く戦で勝つといつも意気込んでいたではないか」
「……!」
 何気ない信繁の言葉が、閃光となってユキムラの脳内で爆ぜた。
(──それだ! 俺がここで武功を上げれば……大坂の陣の展開を変えられれば! 信繁様が、生きられるかもしれないんじゃねえか……!?)
(夢、夢かもしれねぇけど……ッ、生きてる主君を、信繁様を!見捨てる真似は出来ねぇッ!)
「の、信繁様ッ! 俺、頑張ります! 信繁様のお役に立ちますからっ!」
「そうだな、存分に頑張れ! だが、命は無駄にするな。貴銃士は再召銃できるとはいえ、死ぬのはいかん。それは肝に命じるように」
「はいっ」
「……さて、ユキムラ。お前には二つ選択がある。
 ひとつ、私の護衛としてここにただ立っていること。ふたつ、鉄砲隊とともに前線へ出て武功を立てること。さぁ、どちらがよい?」
「ふたつ目ですッ!」
「ははは! それでこそ私の貴銃士だな! 私も前線へ行こう! 護衛も出来るな? ユキムラ!」
「勿論です、信繁様ッ!」
「よし、では行くぞ──!」
 紅の陣羽織が風に強くはためく。信繁とともに、ユキムラは鉄砲隊のもとへ──戦の最前線へと駆け出した。

◇◇◇

「ふぅ……、敵もせっかちなものよ。戦の作法などまるで無いかのようだ」
「信繁様、怪我はないですかっ!?」
「ああ、まぁ少しは傷も負ったが、このくらい平気だ。ありがとう。お前も傷を負ったのだから、少し休め」
 汗を手の甲で拭い、信繁が荒れた呼吸を整える。
 ユキムラの記憶通り、真田軍は伊達軍と交戦になった。乱戦状態になってしばらく、信繁とユキムラは一度前線から身を引き、戦場から離れた木陰で息をついたところであった。
「……しかし厄介だな。こちらが優勢ではあるが、もう乱戦状態というに、敵の大将がなかなかお目見えにならん」
「伊達政宗……ですよね」
「ああ。あの三日月が見えぬ。奥に居るのだろうとは思うが……このままでは首を狙うのは難しい。軍を押し込むのが精一杯というところか」
 信繁は眉をひそめて、深く溜息をつく。
(……確か信繁様の言う通り、伊達政宗を討てねーまま、俺たち撤退しちまったんだよな)
 もう随分と昔のことだが、この戦いのこともよく覚えている。信繁たちの奮戦によって、やがてこの戦いは徳川軍との睨み合いの状態までもつれ込む。しかし夕刻ごろになって、戦う前に撤退命令を出されてしまうのだ。
(敵が目の前にいるのに、戦えなかったのは悔しかった。でも大将が殺せなきゃ合戦は終わらないし、夜は戦わねーから、時間を考えてもしょうがなかった。だけど……、早く大将さえ討つことができればいいんだよな? もしここで、夜が来る前に、大将を……伊達政宗を討てたら……大坂の陣の展開は変わるんじゃねえか……!?)
「……信繁様! ひとつ俺に提案があるんですけどッ」
 ぐっと前のめりになったユキムラに信繁は面食らいつつ、「何だ? 言ってみろ」と先を促す。
「俺は馬上筒です。なら、俺が馬であっち側の陣に突っ込んで、伊達政宗を撃ちます! そしたら俺たち、勝てますよねッ!?」
「……、確かに私たちの勝利にはなるが、それはお前が危険に晒されることになるぞ。銃に戻って破壊されてもおかしくない」
「承知の上です……ッ!」
(だって……、信繁様だって、このままじゃ明日同じことして死んじまう! 俺が変えないと……この戦いの流れを、少しでも!)
 信繁は少しの間思考を巡らせていたようだったが、眉間の皺を解くと大きく頷いた。
「わかった、その提案を呑もう。やってみろ、──三日月を撃ち落とすのだ!」
「はいッ!! 信繁様は、他の人と一緒に安全なとこにいてください! 俺がぜってーに、いい報告持って帰りますからっ!」
「ああ! 待っておるぞ、ユキムラ!」
 信繁が指笛を鳴らすと、あの栗毛の馬が何処からか駆け寄ってくる。その馬に飛び乗って、ユキムラはまさしく鉄砲の弾のごとく、戦場を一直線に駆けていった。

「……、」
 残された信繁はそんなユキムラの遠ざかる背を眺める。
 大将首だと言うのに、信繁の周りには不自然なほど人は居ない。まるで戦の喧騒から切り離されたように、ひとり立ち尽くす。
 左手の甲に浮かぶ薔薇の傷をそっと撫でて、信繁は自分にしか聞こえないような声で、小さく呟いた。
「ユキムラ……、おまえなら気づいてくれると、……私は信じているよ……」

「──ッ絶対高貴!」
 ユキムラの放った弾が次々と兵を倒してゆく。通常発射に時間のかかる火縄銃を抱え単騎で本陣へ向かうユキムラは敵兵の格好の的であったが、絶対高貴をもつ貴銃士たる彼の前ではそれは障壁にもならない。血と汗と刃の行き交う戦場の道をこじ開けるように、ただ真っ直ぐにユキムラは駆ける。
 血のひとしずく、刀の刃紋、銃の引き金。戦場で飛び交うものの全てが見えているかのような感覚のなかで、ユキムラは乱戦を抜けた先にいるはずの敵大将を探す。
 視界の端に一瞬、竹に雀の家紋が見えて、ユキムラは手綱を引いた。
(──あれが本陣か! 伊達政宗……三日月が目印のやつを撃てばいい!)
 ユキムラは真っ先にそこを目指して馬を走らせた。遠目から見ても目立つ三日月の前立の兜を被った男が床几に座っている。こちらに向かってくるユキムラの姿を見つけたらしく、彼が立ち上がると周りの護衛兵たちが彼の盾となって立ちはだかった。
(間違いない、アイツが伊達政宗だ! あいつさえ撃てばッ)
 ぐんと距離が近づいて、はっきりと敵将の顔が見えるようになる。絶対高貴を使えばここからでも十分弾は届く。
「行くぜッ、絶対──」
「──絶対高貴!」
「ッ!?」
 何処からか聞こえた声につられて、一瞬ユキムラは引き金を引くのを躊躇った。周囲を見渡そうとしてすぐ、一発の銃弾がユキムラの太腿を撃った。
「いて……ッ!?」
 馬から落ちそうになるところを、しがみつくようになんとか耐えた。そんなユキムラを嘲笑うような声が、戦場に明朗に響き渡る。
「ふ……、貴銃士たるもの、一瞬の油断も禁物ですぞ!」
「その声……っ、──ヒデタダかッ!?」
「政宗殿! 敵が貴銃士であるならば、この私が!」
「ああ。家康に良い報告を持って帰るぞ」
 見慣れた顔であるヒデタダが、何故か伊達政宗の陣に構えている。意味の分からない状況のまま、ユキムラとヒデタダは対峙した。
「貴銃士ユキムラ。噂には聞いておりましたが……、なるほど、馬上筒ですか」
「ま……、待てよヒデタダッ! なんでお前がこんなとこに居るんだよ!? お前、ヒデタダだろ!?」
「……私が秀忠様の陣にいるとでも伝わっていたのですかな。残念ですが、そなたの持つ情報は間違っているうえ──そう馴れ馴れしい態度を取られる理由もありませんッ!」
「ッ……!」
 再び弾丸を撃ち込まれそうになり、ユキムラは慌てて馬の手綱を引いてそれをかわす。撃たれた太腿から血が湧き出る感触がして顔を歪めた。痛みに歯を食いしばりながら、ユキムラは必死に声を上げる。
「どうしちまったんだよ、ヒデタダッ……! 俺たちッ……俺たち仲間だろっ!?」
「仲間? はっ、いつ私とそなたが仲間であったと言うのです!? 忌々しき真田の銃め! 上田で秀忠様が受けた屈辱を、私が忘れるとお思いですかッ!!」
「ヒデタダッ……!」
「──ヒデタダ、よい」
 ふと、二人を静観していた伊達政宗が声を上げる。持っていた軍扇を、ヒデタダの銃を抑えつけるように構えた。
「政宗殿ッ」
「あちらがあんな様子では、今彼を討ったところで、かえってこちらが汚名を被るだろう」
 政宗の言葉に、ヒデタダはしばらくユキムラを睨みつけていたが──はっと我に返ったような顔をして、銃を下ろした。
「……、……そうですな」
 ますます訳が分からず立ち尽くすユキムラに、呆れたようにヒデタダがため息をついた。
「……その涙を拭いなさい。武士が情けのうございます」
「へ……、」
 頬に手を当てると、雫が指先を濡らした。気づかないうちに、泣いていたようだ。
「……ここは退け。相手は俺ではないだろうが、いずれまた、貴様は徳川の前に立ちはだかるだろうからな」
「……っ、退けって言われて、退くわけねえだろッ!」
「ユキムラ!」
「! 信繁様……!」
 敵から奪ってきたのか、別の馬に乗って信繁が駆けてくる。ユキムラが振り向くなり、信繁は叫ぶ。
「良い! 全軍撤退するッ! 戻るのだ!」
「ッそんな……!」
 信繁に言われてしまえば、ユキムラは何も返せなくなる。最後にヒデタダを見つめて──ユキムラは彼に背を向け、再び馬を走らせる。戦場は潮が引くように終焉を迎えようとしていた。
(おかしい……、この戦いはもう少し、夕方くらいまで続いてたはずなのに)
「信繁様、もしかして俺のせいでっ」
「今は何も考えるな! ──お前が生きているだけ良かった!」
 信繁は振り向かない。たとえ敵前逃亡という、情けない撤退の時でさえ、真っ直ぐに前を向き続ける。
(……情けねえッ、俺、武士失格だ……っ)
 また涙がこみ上げて、乱暴にそれを拭った。何も変えられなかった。何も、できなかった。
 間違いなく、真田信繁の、豊臣軍の敗北だった。

 大坂城内は、ユキムラらをはじめ豊臣方の軍勢が数多く詰め寄り、互いに肩を寄せ合っていた。今の大坂城は丸裸の状態で、防御力は皆無に等しい。徳川方が突撃してくるのも城に火を放つのもあまりに容易なこの場所で、いつ命が奪われるのか分からない恐怖は、きっと見た目よりもずっと重く彼らにのしかかっている。兵だけではなく、近くの農民や女子供まで、差し迫る死の気配に怯え震えていた。
 そんな大坂城内の僅かな灯りのもと、信繁がユキムラの手当てをしていた。ユキムラの負った傷を一つずつ、貴銃士のマスターが持つ治癒の力で治してゆく。メディックのマスター以外にこうされるのは初めてで、少しだけ緊張した。
「ごめんなさい、信繁様……。傷治すのも楽じゃねーのに」
「なに、戦場で傷を負わないわけなかろう。このくらい平気さ」
 そうは言うものの、ヒデタダに撃たれた太腿の傷を治す代償に薔薇の傷は首筋まで蔦を伸ばし、戦場で負った傷も重なって信繁は脂汗を浮かべていた。
 信繁がこうして自分の手当てをしてくれているのに、ユキムラができることは、何もない。それが歯痒くて、ユキムラは唇を噛む。
 今日の戦いでもそうだった。ユキムラは目の前にいる主君に貢献できるような何かを果たせていない。それどころかユキムラが身を尽くそうと思えば思うほど、信繁を苦しめているようにさえ見えた。
「……ユキムラ、これはどうしたのだ?」
「へ?」
 問いかけられて、ユキムラは俯いていた顔を上げた。信繁はユキムラのつけていた黒手袋を外し、指に巻かれたままの絆創膏を物珍しそうに見つめている。
(今朝イエヤスにしてもらったやつ……。そっか、大坂の陣のときに絆創膏なんてねーもんな)
「えっと……ちょっと血が出たから、手当です。絆創膏っていうやつで」
「ほう。ここらで見るようなものではないが……。誰かにもらったのか?」
 そう尋ねられて、ユキムラは返答に迷う。
 これはイエヤスに処置してもらったものだ。けれど、ヒデタダが居たのだからイエヤスも徳川方のどこかに居るのだろう。迂闊にその名前を出すのは少しはばかられる。
 言葉を詰まらせたユキムラを見て、信繁は更に尋ねた。
「……もしや、徳川の者であったのか?」
「あっ……、ぁ、……、……はい……」
「そうか」
 怒られる、と思った。
 信繁相手に嘘をつくのも嫌だった。けれど大坂の陣の真っ只中と言うのに、徳川方の者に施しを受けたなら裏切りと思われても致し方ない。頬のひとつでも打たれるのを覚悟して、ぎゅっと目を瞑る。
──けれどいつまで経っても、想像する痛みは襲ってこなかった。
「……はははっ。ユキムラ、いつまで目を閉じておるのだ」
「へっ」
「怒ってなどいないし、叱りもせん。きちんと礼は言ったか?」
「え、……いや、こんな傷、大したものじゃないし……大袈裟だって、むしろ怒っちまって……」
「それはいかんな」
 信繁は、ユキムラの指に巻かれた絆創膏を軽く撫でる。
「この絆創膏とやらは初めて見たが、丁寧に処置をしてくれたことはわかる。指先の小さな傷でさえ、君を想ってこうしてくれたのだろう?」
「……はい」
「よい人に出会えたのだな。あとで会えたら、きちんと礼を言うのだぞ」
「……はい……。あの、信繁様……なんで、怒らないんですか……? 徳川とは敵なのに……」
 ユキムラがすがるような目で信繁に問う。信繁はふっと微笑んで、まるで最初から答えが決まっているように迷いなく答えた。
「戦の最中は、徳川は確かに敵だ。だが戦が終われば、そこにあるのは人と人だけ。敵も味方もないし、恩は恩だ。かの家康ともこうして刃を交えているが、もし戦が終わった暁には、酒のひとつでも交わしてみたいと思っておる。天下を手中に収めるような者だ。きっと旨い酒の肴になる話なんて、星の数ほどあるだろう。
 ……まぁ、お互い明日生きているかも分からんのだがな! はははっ」
 大きく肩を揺らして信繁は笑う。信繁の手が離れた指先を包み込むように握って、ユキムラは俯く。記憶のページをぱらぱらとめくるように、彼らのことを思い出した。
 ──ユキムラの指に絆創膏を貼ってくれたイエヤス。イエヤスとともに、ユキムラの相談を聞いてくれたヒデタダ。この世界でヒデタダに出会った時思わず口走ってしまった、「仲間だろ」という言葉。
 ──ユキムラを撃ち抜き、忌々しいとさえ言い放ったヒデタダ。信繁を忘れた方がいいと言いかけたイエヤス。これから訪れてしまう、信繁の討死という未来。
戦が終われば、敵も味方もないならば。
貴銃士である自分は、信繁の意志を継いだ自分は、大坂の陣を一体いつ終わりにすれば良いのだろう。
「信繁様……なんか、俺、もう何が何だか分かんなくなってきて……。信繁様の言いたいことも、よく、わからないです……」
「大丈夫だ、ユキムラ。きっともう分かっているはずだよ。それにおまえが気づいていないだけで」
「……?」
 ユキムラの頭に信繁の手が伸びて、わしゃわしゃと髪を乱される。大きくてあたたかで、少し骨張った無骨な手。
(この人のためなら、俺はなんだってできる、……つもりだけど)
 大好きな人に頭を撫でられているのに、目の前の人の考えていることがわからない。
「さあ、ユキムラ。君の手当てはあらかた済んだ。あとはどこかで眠って、しっかり休息を取りなさい」
「ありがとうございます……、信繁様、何か俺にできることはありませんか。俺のせいで、傷がそんなになっちまって……」
「うん? ……そうだな、なら君のいつもしている、絶対高貴とやらを見せてはくれないか。この傷の痛みも、治まるような気がする」
「それくらいなら、お安い御用です!」
ユキムラが絶対高貴の淡い光に包まれると、信繁はふわりと、微笑みを浮かべた。
「……あたたかい光だ。ありがとう、ユキムラ。君の光は、本当に優しい……」
気づくと、信繁の手の甲から首まで伸びていたはずの薔薇の傷の蔦が消えていた。「もうよい」と言われて、ユキムラは元の状態に戻る。
「ユキムラ、今日は疲れたろう。私は用があるから、君のそばには居れないが……もう遅い時間だ。早く眠るといい」
「はい。……おやすみなさい、信繁様」
「ああ、おやすみ。ユキムラ」
 信繁は立ち上がり、ユキムラの頭をぽんぽんと撫でた後、暗い城内のどこかへ向かってしまった。ユキムラは、ちょうど背後にあった城の柱にもたれかかって目を閉じる。この城に、もう横になって眠れるような場所はない。
 どっと疲れが押し寄せて、重力が突然大きくなったようだった。眠りにつく前のぼんやりとした頭の中で、微かに、信繁が頭を撫でてくれる感触を知っている気がする、と思った。


第三章

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