第一章
眠れる彼らのプレリュード







『今こそ貴様の首を討つ時ぞ! 覚悟召されよ──!!』
『来たか、真田信繁。……皆の者、かかれッ!』
 燃えるような赤い陣羽織を着た鎧武者が、馬上で意気揚々と十文字槍を振るう。風を切った刃先が老齢の男の首元に迫ると、それを側近であろう若い男が切り返す。鎧武者の身体が弾かれたところで馬がいななく。尻に矢を受け、馬が倒れるのに合わせて飛び降りた彼は、そのまま足技で雑兵を薙ぎ払う。雑兵が地面に倒れたところで、鎧武者の周りには大勢の兵士たちが集まり、刀を構える。
 一つの挙動が引き金になる静かな緊迫感の中、鎧武者は兵士たちの向こうにいる、ただ一人の標的だけを見据えた。縁起の良い大黒天を模した、歯朶具足をまとう──かの徳川家康である。
『ふ……、数で護ろうが、……狙うは貴様の命のみぞ!』
 右手に十文字槍を。そして空いた左手は、陣羽織の中の右腰に向けられる。それを見るや家康はさっと顔を青ざめさせた。
『まさかっ……』
『想像通りッ!!』
 床几から立ち上がった家康に、男は右腰から引き抜いたもの──馬上筒を見せつける。
一斉に襲い掛かる雑兵たちを槍で捌き、踊るような華麗さに合わせて火花が舞う。もう弾を撃つ準備は整ったのだ!
『馬鹿な、種子島がこんな土壇場で撃てるわけがッ……!』
『撃てるさ、この馬上宿許筒ならばなッ!』
 不敵に笑った男の手で、銃口が家康に向かい真っ直ぐに向けられる。引き金に人差し指を掛け、男は
──

「──ッ……!」
 そこで目が覚めた。喉の奥がヒュ、と鳴った。
 心臓が激しく音を立てて、指先が微かに震えていた。恐怖心ではない。戦う時の、血が滾るような感覚に似ている。
「……夢、……」
 ベッドから身体を起こして、軽く頭を振った。夢の中の銃声とともに目覚めたかのような感覚に、汗が滲む。まただ、と思った。
「……またこの夢だ、……大坂の陣のときの、夢……」
 ひとつため息をついてから、ユキムラは部屋の中を見渡した。窓から気持ちの良い朝日が射し込んでいる。ユキムラの使うベッドの向かい側の壁際には、イエヤスとヒデタダの使う二段ベッドが置いてあるが、二人の姿は既になかった。風に乗ってか、厨房の賑やかな様子が微かにここまで聞こえてくる。
(……二人はもう起きてんのかな。朝メシはまだだろうけど……俺も起きねーと)
 夢のせいか、少し疲れたように重い身体をベッドから引きずり出して、ユキムラは部屋を出た。
 一先ず井戸水で顔を洗おうと基地の中庭に出ると、イエヤスが最近朝食前の日課としている薪割りの真っ最中であった。
「ユキムラ、おはよう。今日もいい朝だな」
 ユキムラに気づくと、イエヤスは薪割りの手を止めて声を掛けてくる。どうやらイエヤス一人だけのようで、周りには誰もいなかった。
「おはよ。……ヒデタダは?」
「朝餉の準備に勤しんでいるよ。今日はおじやを作ると言っていたなぁ」
「そっか……」
「あいつに何か用事でも?」
「いや、そうじゃねーんだけど……なんでもねー」
 イエヤスから目を逸らして、ユキムラは井戸から水を汲み上げると、冷たい朝の水を顔に叩きつけた。三回叩きつけた後で、ぽつぽつと水が滴って揺れる井戸底に映る自分と視線が合う。大坂の陣の夢を見たせいだろうか。やはり少し、疲れているように見えた。
「……ユキムラ、手ぬぐいはあるか?」
「……あ。やべ、持ってねー」
「なら、俺のを使うといい。まだ使っていないから」
「お、ありがと」
 イエヤスが青い手ぬぐいを手渡してくれたので、それで顔を拭いたユキムラは、顔を上げた先にもうひとつ薪割りの道具があることに気づいた。イエヤスに手ぬぐいを返すと、彼の隣に並んで薪割りの準備をする。「手伝ってくれるのか」とイエヤスが嬉しそうに声を上げた。
「……二人でやった方がはえーだろ」
「ふふ、そうだな。ありがとう、ユキムラ」
 感謝の言葉とイエヤスの優しい視線に少しくすぐったいものを覚えながら、ユキムラは一つ目の薪に斧を振り下ろす。
 ──イエヤスと一緒にいるのは嫌いではない。ヒデタダも同じだ。
 他の貴銃士たちやレジスタンスの者たちと同じように、二人はユキムラにも優しい。元々そうだったのだろうが、一時休戦の約束をしてからは一層彼らの優しさを身に染みて感じるようになった。
 例えば、ユキムラは正直なところ戦以外のことになると頭が良いとは言えない。分からないことも難しく思うことも多いのだが、そのたび二人はユキムラにも理解できるように噛み砕いて丁寧にものを教えてくれる。最近教えて貰ったのは、イエヤスが時々作っているハーブティーの名前と効果だった。
 一緒にいるときに食べ物を分けてくれることも増えた。以前なら「飯で手懐けようとしている」と疑いも出来たことだが、それは違う。ユキムラは美味しそうに、幸せそうに食べるから。ふたりはユキムラを喜ばせたくて、いつも美味しいものをお裾分けしてくれるのだ。
 そもそも、一緒にいる時間自体が増えたと思う。使う部屋は同じで、作戦も一緒に組まされるのは前々からあったことだ。けれどそうではない時間、プライベートな時間になんとなく、二人のそばに居たいと思う。
それに理由を付けるのは難しいけれど、そんなユキムラの気持ちを汲んでくれるかのように、イエヤスとヒデタダは言ってくれる。こっちにおいで、と。ユキムラが二人を突っぱねたりしなければ、あの日のことを考えないでいれば、イエヤスとヒデタダは「いいやつ」で居てくれる。
けれど忘れるなと言うかのように、大坂の陣の夢は不定期に訪れた。
(……たとえいいやつでも、イエヤスもヒデタダも、信繁様の仇なことは変わらない)
 それを思うと、二人の優しさに甘えたがる自分がつまずいたように立ち止まる。今はレジスタンスの仲間とはいえ、そう簡単に全てを無かったことにはできないのだ。過去がずっと尾を引くくらいなら、たとえ好感を持っていようとも──イエヤスとヒデタダとはどこか一線を引いた距離感のままでいた方が、双方幸せなのではないかと思う。
「──いてっ!?」
 ぼんやりとしたまま薪に触れた瞬間、指に鋭い痛みが走った。慌てて右手の人差し指を見ると、軍手の糸の隙間に木の繊維が刺さってしまっている。
「どうした?ユキムラ」
「あ……、木のささくれが刺さっちまって」
「大丈夫か? 見せてくれ」
 イエヤスに素直に右手を差し出すと、そっと繊維を引き抜いてから軍手を外される。それなりに深く刺さったようで、指先からは少し出血があった。
「ああ、血が出てしまっているな。部屋に絆創膏があったから、薪割りはやめにして、君の治療をせねば」
「い、いーよ、このくらい。舐めときゃ治るだろ」
「いいや、きちんと処置しないで悪化しては困る。少し待っていてくれ、片付けをするから」
 そう言うとイエヤスはユキムラが手伝う間もなく一人で薪割りの片付けを済ませ、「行こうか」と自分たちの部屋に向かう。その背中をユキムラは慌てて追いかける。
 部屋に向かう途中、ユキムラの視界の端で、チラチラと白いものが瞬いた。
(……なんだ? 蝶か?)
 視線を向けてみたが、何もない。……ユキムラ自身が思っているよりも、体調は芳しくないようだった。

「よし、これで大丈夫だろう。痛くはないか?」
 絆創膏が剥がれないよう軽く何度か撫でてから、イエヤスが尋ねる。消毒液をかけ絆創膏を貼り、丁寧に処置された指先を見つめて、ユキムラは少し唇を尖らせた。
「平気だけど……、ほんとに大袈裟だって。指切ったくらい大した傷じゃねーんだし、貴銃士が丈夫なのはお前も知ってるだろ」
「そうだが、放っておくわけにもいかないし、君とて傷を悪化させてマスターの手を煩わせるのは嫌だろう?」
「そ、そう言われちゃ返す言葉もねーけど……なんか最近過保護じゃねーかっ? おまえもヒデタダも!」
「過保護?」
 ユキムラの言葉がまるでピンと来ていないらしい。イエヤスは小首を傾げた。なんだかむずむずした感覚がして、ユキムラは首をさすりながら続ける。
「気遣ってくれんのは嬉しいけどさ……。この前だって、俺がちょっと転んだだけですげー心配してきたり、ちょーっと咳しただけで風邪だなんだって布団出してきたりさ! 今までそんなこと無かっただろ!」
「過保護か……。……ふふ、そうかもしれんな」
「認めんのかっ!?」
「ああ。ヒデタダは分からんが、少なくとも俺は……君と仲間として親しくできるのが、嬉しいのだ。嬉しくて、君にあれこれ尽くしてしまいたくなる」
「はっ……?」
「なんと言えばいいか……はしゃいでいると言えばいいのかな。今まで君は俺を敵対視していたが、今はそうでもないだろう。君と仲良くなれたなぁと思うと」
「ばっ……、別に、お前たちまだ俺の敵だぞっ! 一時休戦ってだけだからなっ!?」
「正確にはそうなるが……大坂の陣のことは一度置いておいて、君と仲間として居たかったのは確かだし。それが仮にも叶ったのなら、喜ぶのも当然だろう?」
 イエヤスは顔を綻ばせて、すらすらと面映ゆい言葉を紡ぐ。聞いているユキムラの方が耳まで熱くなって、イエヤスに向けていた視線を床に逸らすとひとつ大きく呼吸をした。
「……っじ、じゃあ今日はそれで納得しておいてやる……」
「ふふ」
 イエヤスのあたたかい目がこちらに向けられているのを首筋に感じる。
(イエヤスのこういうとこ、恥ずかしいし、好きじゃねーけど)
 気恥ずかしくて嫌なはずなのに、ユキムラの頬は思わず、緩んでしまう。
(……でもやっぱり、うれしい、かもな)
「……ん? 誰か来たかな」
 イエヤスの声につられてユキムラが顔を上げ、部屋のドアを見たのと同時に、ドアノブが回される。扉が開いたその先には、割烹着を腕にかけたヒデタダが立っていた。
「大御所様、ユキムラ。ここにいらしたのですね。朝餉の準備が出来ましたよ」
「おお、ありがとう、ヒデタダ。ユキムラ、さっそくいただこうか」
 イエヤスが座っていたベッドから立ち上がり、ヒデタダの方へ向かう。それを追うように立ち上がり、ユキムラは慌てて声を上げた。
「ちょ……、ちょっと待て!」
「どうしたのです?」
 ヒデタダが不思議そうな視線を向けてきて、ユキムラはつい、勢いで彼らに声をかけてしまったことに気づく。すぐに言葉が出てこなくて、ためらいがちにユキムラは続けた。
「あ……、あの、さ。朝メシ食ってからでいいから、今日お前ら何もねーだろ? ちょっと……話してーことがあるんだ」
「……? わかった。食べ終わったらまた部屋に戻ってこようか」
「ええ」
「ん、……ありがとな」
 ユキムラの頼みに、二人はすんなりと了承してくれる。ただそれだけのことが、何故かどうしようもなく、嬉しいと思った。

 朝食を終えたあと、三人はユキムラを真ん中にして、ユキムラのベッドの縁に並んで座った。
「それで、話というのは?」
 早速イエヤスが話を切り出す。ユキムラは汗の滲む手を膝の上で強く握り締める。
(なんか、勢いで頼んじまったけど。……大坂の陣の夢のこと……こいつらには、話した方がいいかもしれねーよな)
 少し間を置いたあと、ユキムラはおずおずと口を開いた。
「……、あの、お前らも、夢とか、見るか……?」
「眠る時に見る方のですか?人の身な以上、時々は見ますぞ。それがどうかしたのです?」
「なんかその、……俺さ、最近夢見が悪いっつーか、変な夢を見るんだ」
「変な夢?」
「……大坂の陣の……。信繁様が、家康の本陣に突っ込む時の夢、なんだ」
「それは……。……俺も家康様の夢を見たりはする。だが、わざわざ変な夢と称するなら、ただそれだけではないのだな」
「ああ。……普通の夢ってさ、風とか匂いとか感じねーだろ。でも大坂の陣の夢は違くてさ。……俺が本当にそこに立ってるみてーに感じるんだ。やっぱ夢だから、信繁様たちのことは見てるだけなんだけど……。風の音とか、草の匂いとか、血の匂いとか、ほんとにその場にいるみたいで……。それとさ、見るたびちょっとずつやってることが変わるんだよ。今日は信繁様が槍持ってたけど、槍を持ってなかったり、突撃の仕方が違ったり」
「少しずつ変化……。変わらないのは、真田信繁が大御所様の本陣に突撃する場面であることだけなのです?」
「あっ、もう一個ある!」
「何だ?」
「いっつも、家康を撃てないままなんだ」
 イエヤスとヒデタダが、はっと息を飲むのがわかった。
「信繁様が狙いを外したり、俺を落としたり、引き金引く前に目が覚めちまったりしてさ。いつも、信繁様が勝てない夢で……」
 ユキムラは膝の上の汗ばんだ手を開く。目覚めた時の微かな手の震えを思い出す。
「……なんで、そんな夢見るんだろーって……」
 ユキムラの右隣に座るヒデタダが、そんなユキムラを見つめて少し眉根を寄せた。
「……やはりそなたはまだ、夢にまで見るほど、大坂の陣に固執しているのですね……」
「へ……?」
 イエヤスはヒデタダを制止するように少し身を乗り出し、ややあってから、視線を逸らして座り直す。普段あまり見せない戸惑いの感情を、珍しく表情に出しながら。イエヤスは少しずつ言葉を探り当てつつ、ユキムラに説き聞かせるように話し始めた。
「……ユキムラ。夢というのは、内なる自分からの伝言でもあるという。大坂の陣の夢をそう何度も見るということは、まだ君が心のどこかで、当時のことを気がかりに思っているということではないかな」
「……」
「俺たちは、世界帝を倒すまでは協力すると、その後で正々堂々と勝負をすると、約束しただろう。俺たちは徳川家康と真田信繁ではなくて、貴銃士同士の、仲間なのだ」
「……、何が、言いたいんだよ……?」
「過去は変わらないし、無かったことにはできないが……今の君にとって、大坂の陣と信繁公にこだわり過ぎては、きっと枷になる。だから……」
「──ッまさか信繁様のこと、忘れろって言うのかっ!?」
「! ユキムラ……ッ、」
「分かったぞ、おまえの言いたいことッ!
 俺が大坂の陣の夢を見るのは、俺が信繁様に……あの日の決着にいつまでもこだわり続けるせいで! だからいい加減信繁様のこと忘れちまえば見なくなるって……そう言いてーんだろッ!?」
「ユキムラ、そういうことでは」
「出来るわけねーだろッ!俺は信繁様の銃なんだぞ!? おまえと勝負したいのだって、俺が真田の銃だから! 大坂の陣のことがあったからだッ! 毎日鍛錬して、強くなってッ、いつかお前と勝負したくて! お前が俺と勝負するって、約束してくれたのは……ッ、」
「ユキムラ、」
「──ッお前らに相談してみようと思った俺がバカだった! 出てけっ! やっぱりお前らと協力なんて……っ、仲間なんて、なれねぇんだっ!!」
「ユキムラ! 少しは話を聞きなさいッ!」
「ヒデタダ、今はやめてやろう。……すまない、ユキムラ。俺たちはどこかへ行っているから」
「帰ってくんなっ! 早く出てけッ……!」
 ユキムラは枕を乱暴に掴んで、立ち上がったイエヤスとヒデタダに投げつけようと構えるように、身を守るように胸に抱く。視界が滲んで、そのまま枕に顔を埋めた。
 ドアノブが回されて、二人の足音が遠ざかって聞こえなくなるまで、ユキムラは顔を埋めたまま俯き続けた。

 やがてしんと静まり返ってしまった室内で、ユキムラは力なく枕を元に戻すと、 そのままベッドに潜り込んで、布団を頭まで被った。
(……あいつらなら、みんなより俺を分かってると思ってた。俺が信繁様をどう思ってるのかくらい、分かってくれてると思ってた。ちがうんだ、あいつらは敵だから。分かってくれてなかった。協力なんて、仲間になんてなれねーんだ。何があっても結局は、大坂の陣のことがあるから……)
 鼻の奥がツンと痛む。溢れた涙が、音もなくシーツに染みて広がっていく。
(約束してくれたのは、……その場しのぎに、過ぎなかったのかな……)
 ──初めてイエヤスとハンドシェイクをして、約束をした日。その日から、ユキムラの夢は“いつかイエヤスと正々堂々大坂の陣の勝負をする”ことになった。
(ちょっと残念だった。勝負が後回しになっちまって)
(だけど、残念な気持ちだけじゃなくて……)
(新しい夢が出来て、嬉しかったし……勝負から逃げられるだけじゃない、ああ約束してくれたから。あいつらが、……徳川が。真田の銃の俺を、俺が俺で居ることを、認めてくれた気がしてた、のに……)
 涙を拭うこともしないで、ただひたすら、固く目を瞑っていた。どうかこのまま夜になって、明けなければいいとさえ思った。

◇◇◇

「……ん……、」
 ゆるりと瞼を開く。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。ピントの合わない視界の先に、自分の赤い戦装束が見える。
(あれ、いつの間に着替えたんだろ……、つか、ちゃんとベッドで寝てたはずなんだけど……)
 ユキムラはどこかに座り込んで眠っていたようだった。頭を上げると少し首筋が痛んだので手を添える。目の前の景色を見やり、しばらくして、ユキムラは思わず「えっ」と声を上げた。
「おお、目覚めたか、ユキムラ。ちょうど良かった、そろそろ行くぞ」
「へ、あ、え」
「……寝ぼけておるのか? はは、陣に着く頃には目を覚ましておけ。さ、馬に乗ろう」
 薄い霧に包まれた林のなか、ひときわ目立つ赤い鎧。大きな鹿の角飾りの着いた兜を被り、六つの銭を背負うその人。──ユキムラの記憶の中で、思い当たるのはたった一人だ。
「の、……信繁、様っ……!?」
「? なんだ、置いていきなどせぬよ。ははっ、まったく何の夢を見たのだ?」
朗らかに笑うその人──信繁に合わせて、周りに居た兵士たちもくすくすと笑みをこぼす。
大きな栗毛の馬に乗り上げた信繁は、ユキムラの方を向いて軽く顎を引く。馬の鞍は本来一人分しか乗れないはずだが、二人乗れるようにスペースが空いている。後ろに乗れということらしい。
 状況が飲み込めないまま、ユキムラが馬に乗り上げる。バランスが上手く取れず、思わず信繁の身体に抱きつくような姿勢になると、それに合わせてゆっくりと馬が歩き出した。
「少し急ごう。皆の者、無理は禁物だが、遅れはとるでないぞ。ユキムラはしっかり掴まっておれ」
「は、はいっ……」
 抱きつく腕に少し力を込めて、ユキムラは返事をする。
(ど、……どういうことだ? 夢……だよな?)
(今まで見てるだけだったのに……声掛けられて、なんで信繁様の後ろに乗ってんだ……?)
 寝起きゆえに上手く回らない頭でぐるぐると考えてみたが、そのうち鈍い頭痛が邪魔をしてきたので考えるのを止めた。霧の中でわずかに見えるのは、レジスタンス基地周辺の景色ではない。
(これ……大坂の景色だ。いつも夢で見るし、俺の記憶にもある……)
 そして、目の前の人。ゆるく頭を上げると、記憶の中の彼と寸分も違わない姿がそこにある。数百年も前に死んでしまったはずの、真田信繁その人が、ユキムラの名を呼んでくれた。
(……なんか、また変な夢だ。今度はすごく、都合のいい大坂の陣の夢……)
 冷たい鎧の上から体温は分からない。だが間違いなく、──信繁がユキムラの目の前で、生きている。
(よく分かんねーけど……、いい夢かもな)
 大きく揺れる馬上で振り落とされないように、信繁の体にぴったりと抱きついて、ユキムラは鼻を寄せる。
 鎧の鉄臭さに混じって、懐かしい信繁の匂いがした。


第二章


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