漣の記憶、
暁の空







 ばらばらに崩れ落ちた、それはもはや銃ではない。ただの鉄屑、木屑、がらくた。──銃としての機能が失われたのは誰が見ても一目瞭然である。銃として修理不可能になり、使えなくなってしまった銃の貴銃士は死んでしまう。ただの屑の塊になってしまった"彼"も、また。
「……ユキムラ……ッ、」
 声を震わせたヒデタダが強く地面に拳を叩きつける。ばらばらのユキムラを抱いて、イエヤスはもはやその場から動くことが出来ずにいた。
 イエヤスとヒデタダの近くには、ユキムラ以外にも死んでしまった貴銃士たちの残骸が残されている。ホール。キセル。ケイン。カトラリー。──南戦線で今やレジスタンスが圧倒的に不利な状況なのは明らかだ。他の戦線からの連絡も一向に来ない。自分たちがまだ存在しているのだからマスターこそ無事であろうが、他の戦線で戦う貴銃士たちもきっと、ここと変わらぬ状況に追い込まれているのだろう。
 現代銃の貴銃士たちは、イエヤスとヒデタダに暫しの時間を与えた。仲間の殆どが破壊されるというあまりの無惨さに僅かながら与えられた慈悲なのか、自らが負けるということを身をもって知らしめるための拷問なのか。そんな判別もつかない。今は死んでしまった仲間たちの残骸を見つめて、冷たい風に髪を揺らされるだけ。
「……あんまりボーっとしたままだと、撃っちゃうわよ? アタシ時間はあげたけど、いつまでも気長に待ってあげるほど優しくないの」
「……すまない、彼らにかける言葉を探していたのだ。この時間をくれたこと、感謝しよう」
「あらそう? じゃあさっさとお別れしたらどうかしら? まぁ、アナタもすぐ同じ場所に行かせてあげるけど」
「……そうだな」
 イエヤスはユキムラを抱えたまま、静かに立ち上がった。ヒデタダも後に続こうとしたが、先程脇腹に食らった弾丸が思ったよりも堪えているらしい。どうにも上手く立ち上がれなくて、その場に座り込んでしまった。
 イエヤスはそれぞれ散らばった残骸に近づくと、静かに目を閉じて、ぽつりと、周りに聞こえないような小声で何かを呟き、また次の残骸へと歩き出す。静かに淡々と行われるそれは、こんな戦場の真っ只中でありながら、神聖な儀式めいてそこにあった。誰一人動かない灰色の世界でただひとり、彼の縹色の羽織だけが揺らいでいる。
 最後にカトラリーの残骸へのささやかな弔いが済むと、イエヤスはヒデタダの元へ帰ってくる。ユキムラの残骸はまだ彼の腕の中にあった。
「……その銃には、しないのですか?」
 その場にいた誰もが思ったであろう小さな疑問を、現代銃の貴銃士のひとりが口にする。イエヤスは微かに微笑む。
「彼にするのは弔いではないな」
「……大御所様……?」
 イエヤスはユキムラの残骸を見つめる。抱いているのがもし赤子なら、聖なる母を思わせるように。その瞳はとても優しく慈しむようで、殺されてしまった仲間を抱えて浮かべる表情ではないと分かりつつも、彼はきっとこの場で一番、美しかった。彼の薄くて形の良い唇がゆるく開かれるのに、誰もが思わず魅入っていた。
「──ユキムラ。君と果たせなかった約束があるな。君と、あの夏の決着をつけること。今世での君とは果たせなかった。──だから、来世で会おう。会いに来てくれ。俺も会いに行こう。そして、いつか君と約束を果たせるように」
 そう言うと、イエヤスはその場にしゃがみこむ。ユキムラの残骸を静かに地面に置いて、なおも微笑んだまま、何気なく語りかけるように、その言葉は紡がれた。
「……だが、今ここで果たせる約束があるな」
 ゆらりと立ち上がったイエヤスは、自らの本体を手にすると、静かに弾を込め始めた。それを見て止まっていた世界帝軍は一斉に銃を構えるが、現代銃の貴銃士のひとりが、引き金を引くのは制止する。ヒデタダも自分の本体を支えにして力なく立ち上がり、イエヤスと背を合わせるようにして、弾を込めた。
 イエヤスの考えていることは想像がつく。この弾を撃った瞬間、自分とイエヤスは死ぬのだろう。現代銃を構えた者達が、ざっと見ただけでは数え切れないほど。それに囲まれているのだから、蜂の巣にされるのは間違いない。それでいい。もはや殺され方などに意味はない。
「……ヒデタダ」
「何でしょうか、大御所様」
 背から聞こえる声は、最期だって、相変わらずの甘く穏やかに響く声。
「君も。また、来世で会おう」
「無論です。……大御所様の右腕は、私にしか務まりませぬからな!」
 火縄のジリジリと焼け焦げる音。言葉を交わさずとも、きっと引き金は同じ時に。イエヤスとヒデタダの表情は、死の間際にして尚、気高かった。
「……ひとつ聞いても良いかしら。今ここで果たせる約束って、なぁに?」
 その揶揄うような声色の問いかけに、イエヤスは応える。
「──武士として死ぬことだ」
 イエヤスとヒデタダが引き金を引いた、まさしくその瞬間に、飛来した無数の弾丸が彼ら二人を貫いた。灰色の世界。燻る硝煙。彼らの血の赤はひどく鮮明で、彼らの本体も、無惨に砕けてばらばらになっていく。
 殺され方に意味はない。ただ、最期に引き金を引くことだけに、意味があった。

 地に倒れた彼らの身体は、黄金色の光に包まれて消えた。あとに残されるのは銃とも呼べぬ屑の塊のみ。
「──さぁ、これでここはおしまいね。あの人のところへ行きましょ。どうせ他も、アタシたちの援軍なんて要らないでしょうしね」
「え、エフ様! この、 古銃たちは……どうすれば……」
 踵を返した貴銃士に、世界帝軍の一人が慌てて声をかける。ガスマスクの彼は少しだけ残骸に目をくれると、
「さぁ? 煮るなり焼くなり好きにすればいいんじゃないかしら。生きてたら地下牢に入れたけど、それはもう銃じゃなくて、ただの要らない屑でしょう? お掃除してくれるなら頼んだわ」と、くすくす笑った。
「……わ、……わかり、ました……」
 世界帝軍のひとりは、もう興味を無くしたかのように城へと戻る特別幹部たちや仲間たちから外れて、散らばった銃に向かい合う。離れ離れになっている銃たちの、かけらもなるべく拾い集めて、全員分、抱きかかえる。ずっしりと重たいそれはきっと、彼らが貴銃士だったときよりはずっと軽い。けれど、つい先程まで彼らは生きていた。そんな命の重みのように感じた。
 彼はよたよたと歩き出し、やがて城の近くにある海のほとりへ辿り着く。ガスマスクを外して見た今日の海は、ひどく濁った灰色に見えた。
(──俺は、世界帝軍に入っていたけれど……本当はレジスタンスになって、世界帝に抗いたかった。でも、俺は弱いから、裏切ることも出来なくて。こんな世界を終わらせてくれる誰かが来てくれるのを、ずっと待ってた)
(ずっと、待って、待って、待ち続けて。やっと彼らが来てくれたのに。……俺は彼らに、銃口を向けた)
(そして、あの赤い彼を、殺してしまった)
 彼が撃ち殺した貴銃士は、燃えるような赤の羽織を着た、まだ若い少年にも見える男だった。ユキムラ、と呼ばれていた。
 彼が放った弾丸は、ユキムラの腹、鳩尾あたりを撃ち抜いたのだと思う。それが切っ掛けとなって、膝をついたユキムラは格好の的となってしまったのだ。本体も撃ち抜かれて破損し、だんだんとヒビが入って裂けていった。確か他の者に足の関節も撃たれていたはずだ。致命傷にならないところばかり撃ち抜かれて、ユキムラの羽織と同じような鮮やかな赤の血溜まりが広がっていた光景が、脳裏に焼き付いて離れない。
 それでもユキムラは、彼の撃った弾のせいでだらだらと湧き水のように溢れる血を片手で抑えながら、自らの血で染まった破壊寸前の銃を、最期まで手放さなかった。
 いっそ急所を撃たれて即死していた方が楽だっただろう。あれほど撃たれてもまだ死ねないまま、常人ならもがき苦しんでもおかしくはない痛みと苦しみがあっただろう。それでもユキムラは、戦っていた。
 そしてユキムラが最後に銃口を向けたのもまた、彼だった。血を吐き、泥と苦痛で汚れた顔でなお真っ直ぐに見つめられて、息が止まって。引き金を引いたのはおそらく同時だったと思う。思わず目を瞑って、次に目を開いた時、ユキムラは仰向けで倒れていた。ユキムラの放った弾は帽子を少し掠っただけだったが、彼の放った弾は、ユキムラの眉間を真っ直ぐに撃ち抜いたようだった。
(……謝って、許されるようなことじゃない。俺がもし、もう少しだけ勇気があって、レジスタンスになれていたら。違う未来も有り得たのかもしれないのに)
(だからせめて弔わせてほしい。そして、祈らせて欲しい)
 彼は、銃の残骸たちをそっと海に放った。灰色の世界に彼らは沈んでいく。けれどこの灰色の海の先には、ここではない彼らの故郷があるはず。
(あのままあそこに置いていたら、きっともっと無惨にされることだろう。だからせめてあなたたちが、あなたたちの故郷に、かけらでも、辿り着けますように)
『──来世で会おう』
 そう、ユキムラの仲間だった一人が言っていたことを思い出す。だから彼も、祈った。
(どうか彼らが、やがていつか、どこかで。幸せに生きることが、出来ますように)
 そして。
「……ごめんなさい」
 味方になれなかった者の小さな懺悔が、漣に溶けて消えていった。


────


 イエヤスとヒデタダには所謂前世の記憶がある。世界帝の圧政下にあった時代、レジスタンスの貴銃士として生き、──イレーネ城での戦いで壊れてしまった記憶。
 イレーネ城の戦いはもう100年以上昔の話になる。あれからしばらくは世界帝の圧政が続いたが、貴銃士達の遺志を引き継いだレジスタンスによって世界帝政権は崩壊し、やがて世界連合が設立された。それから約70年の時が過ぎて、今やイレーネ城の戦いは教科書の中の話である。今二人が暮らす現代は、争いとは無縁の穏やかな世界だ。
「ヒデタダ、帰ったぞ」
 小さなアパートの一室が、今の二人の住まいである。蝶番が少し錆びた玄関の扉を開くと、部屋の奥からぱたぱたとエプロン姿のヒデタダが駆けてきた。
「おかえりなさいませ、大御所様! 夕食の準備は済んでおりますぞ。ああ、それとも先に湯浴みに致しますか?」
「そうだな、先に夕飯にしようか。今日は何を作ったんだ?」
「天ぷらうどんにいたしました! ……ところで大御所様、その袋は一体?」
「ああ、目に付いたから買ってきたんだ。栗きんとんなんだが」
「栗きんとん? ……あぁ、なるほど。それなら、あとでお茶に致しましょう」
 イエヤスの持つ袋の中身を知ると、ヒデタダは表情に哀しさを滲ませて、それを隠そうとしてか、わざとらしいほど明るい声で「ささ、天ぷらが冷めてしまいますゆえ」とリビングに戻っていく。あえて口にはしないのだろうが、ヒデタダは分かりやすい。
 栗きんとんは、レジスタンス時代、ユキムラがホームシックになった時に開いた茶会で彼に出した茶請けである。それからすっかり好物になったようで、「またお前らの作った栗きんとんが食べたい」と時々せがまれていたものだ。だからイエヤスも駅前で売っているのを見つけた時、つい吸い込まれるようにそこに向かってしまった。
 しかし、この時代に生まれ落ちてから一度も、彼らしき人物に出会ったことはない。
(……どこにいるのだろうか。ユキムラ……)
 夕食を終えて、栗きんとんを茶請けにお茶の時間にすると、自然と話題も彼のことになった。
「ユキムラはどこに居るのでしょうね……。私と大御所様は兄弟として生まれることが出来ましたし、他の火縄銃の方達とは出会えているのに、ユキムラだけ……」
「……あいつのことだから、もしかしたら人ではないんじゃないか。ほら、例えば柴犬とか」
「あ、有り得そうなのが怖いですな……」
「まぁ、会えないということはないだろう。あれだけ俺を追いかけ回していたからな。きっと会える。……約束も交わしたんだ。それを果たさずにいる男ではないさ」
「ふふ、確かに、ユキムラはそういう者ですからな」
「……そうだ、ヒデタダ。話が少し変わるんだが、明日は休みだろう、出かけないか? 桜が綺麗なところを見つけたんだ」
「ぜ、ぜひっ! このヒデタダ、身に余る光栄にございますっ!」
「はは、いつも大袈裟だな、ヒデタダは」
 明日の天気予報は晴れ。麗らかな春の日になるだろう。もしかしたら、そこで彼に会えるかもしれない。そんな淡い期待を込めて、イエヤスは明日の予定を脳内で組み立てていた。

 翌日。「昼頃には人が多いだろうから」と、イエヤスとヒデタダが桜の綺麗な公園に訪れたのは夕暮れ時のことだった。予想通り、人もまばらになってきたこの時間ならゆっくりと桜を楽しむことが出来る。
「近場にこんな場所があったとは……。色んな種類の桜が咲いていますな。ちょうど見頃で、どこを見ても美しい……」
「そうだろう。もう少しすればライトアップもされるらしい。ベンチもいくつかあるし、一杯やるのもいいかも……しれ……」
「……大御所様?」
 公園を見渡していたイエヤスの視線が、とある一点で止まる。彼の視線を追うと、その先には桜の木の下に置かれた古い木造のベンチ。小学校中学年くらいの男の子が、ランドセルを置いてぼうっとしているのが見えた。
「……あれは……」
 ところどころ跳ねた癖のある栗色の髪。赤いTシャツ。赤いランドセル。自分たちと同じ色をした、黒い瞳。
 確かめ合う前に、二人は同時に駆け出していた。目にした途端に確信したことはただひとつ。
 ユキムラだ、と。
「……?」
 突然駆け寄ってきた見知らぬ男性二人に、少年は大きな目をぱちぱちと瞬かせて、首を傾げた。
「ユキムラ……。ユキムラ、だろうか」
 前髪だけぱっつんに切り揃えた特徴的な髪。子供ではあるが、顔立ちには貴銃士だったころの面影もある。何よりも、この時代に生まれ落ちてからずっと探し求めていた人が今目の前にいるのだと、魂の奥底が理解していた。……けれど少し、瞳の奥が虚ろに濁っている。
「……俺、ユキムラだけど。なんで俺の名前知ってんだ? てか、おまえたち誰なんだよ?」
「……、まさか……記憶が、ないのですか……」
「きおく? なんのことだ? 初めて会ったよな?」
 冗談で言っているようには思えなかった。全く想定していなかったわけではないが、記憶がない、という落胆に自然と視線は下に落ちて、……イエヤスはふとユキムラの脚に目を留めた。
「……ユキムラ、その痣は一体……?」
「……ッ! 見んなっ! こっ、転んだだけだ……!」
 指摘した途端、ユキムラは態度を一変させて、脚を手で隠そうとする。長い靴下で覆い隠していたつもりなのだろう。膝に傷があるなら転んだことにも納得できるが、ところどころ、転んでつけたにしてはおかしい場所に青い痣がある。例えば──そう、誰かに蹴り飛ばされたような場所に。
「ユキムラ、そなたまさか……っ」
「ちがうっ! ちがうんだ、……っほんとに転んだだけだっ! ちがう、……ちがう、んだよお……っ」
 涙交じりな声で俯いたユキムラに、イエヤスは屈んで視線を合わせた。泣き出してしまいそうなユキムラの顔の、その下。首筋にはうっすらと大人の指の跡がある。それを見て確信した。同時に奥底から沸騰するような怒りも。
「……家に帰りたくなくて、ここにいたのだな……?」
「……っ」
 なんとか気持ちを抑えつけて絞り出したイエヤスの言葉に、ユキムラは首を横に振る。
「……きょう、父さんが……女の人連れてくるから。帰りたくても帰れなくて……だから、今日はここで過ごすんだ」
「こ……、子供一人で、外で夜を明かそうと思っていたのですか!?」
「ひとりじゃないっ! 近くにな、いっぱいおじさんとかおばさんがいるところがあるんだ。その人たちも帰るとこが……家がないんだって。だから、帰れない日はそこに行くんだ。みんな俺に優しくしてくれるから、ひとりじゃねーんだぞ!」
「っ……!」
 ユキムラの語る現状に、イエヤスとヒデタダは言葉を失う。そしてヒデタダも屈んで視線を合わせると、……ユキムラの身体をそっと、抱きしめた。
「……大御所様……」
「……君の言いたいことは分かるぞ、ヒデタダ」
 突然抱きしめられてきょとんとした顔のユキムラに、イエヤスは微笑みかける。ヒデタダを抱き締め返すわけでもなく、行き場のないユキムラの右手をそっと握って。
「ユキムラ。──俺たちは、君に会いに来たんだ」
「俺に、会いに来た……?」
「ああ。……俺たちの家に、帰ろう。ユキムラ」
 その言葉に、ユキムラの瞳に光が戻る。
 客観的に見れば、この状況は子供を見知らぬ男二人が連れ去ろうとする犯罪行為にしか映らない。しかしながら、イエヤスとヒデタダにとっては前世から探し求めていた人とようやく再会を果たせた瞬間であり、ユキムラにとっては、二人は突如現れた、辛い日常から連れ出してくれる希望そのもののように映ったのだ。
「……夕メシ……食えるのか?」
「ああ」
「風呂は入れる……?」
「もちろん」
「ふとんは……?」
「あるさ。ぜんぶ、ぜんぶ。ユキムラが望むなら、なんだって」
「……っ」
 ユキムラは、空いた左手でヒデタダを抱きしめる。イエヤスの手を右手で握り返す。ヒデタダの身体が、イエヤスの手が、血が通って、あたたかい。
 見知らぬ人だった。けれど、どこか懐かしい。
(この人たちと、会ったことがある気がする。この人たちに、ずっと会いてーって……思ってたような気がする)
 木々の間から差す橙色の光が、三人を照らす。もうすぐ夜が来る。けれど、昼と夜の狭間の太陽は、朝焼けの光にもよく似ていた。

 あの日、別れの言葉さえ交わせなかったユキムラと。生まれ変わって、新たな鎖に縛られている幼いユキムラと。もう一度あの頃のように、共に生きるために。イエヤスとヒデタダの新たな戦いが、始まろうとしていた。

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