懐かしいひと
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「名字?」
それは学校からの帰り道だった。通りかかった雑貨屋で買い物をしてからバス停に向かって歩いていると、ふと後ろから声をかけられた。どこかで聞いたことのあるその声に振り返る。まず目についたのは太陽の光に透ける色素の薄いサラサラの髪。
次に特徴的な細めの目を捉えた。
「あ、土屋君だ」
名前を呼ぶと、片手をあげてこちらまで近づいてきた。スラリと高い身長に、自分とは違う他校の制服。
大きなバッグにバッシュケースを持っているから、たぶん練習の帰りじゃないだろうか。
「久しぶりやな」
「うん・・・あれ、また背伸びた?」
「名字は縮んだんとちゃうか?」
「そんなことないよ!」
彼は私の頭のすぐ上で手をひらひらとして「ほら、僕の肩くらいしかないもん」なんて言った。少しカチンときた私はイタズラ心でそのままバス停の方に足を向けたんだけど。
「待って」
名字、と慌てた土屋君がもう一度私を呼びとめた。申し訳なさそうな顔をして、私の腕を掴んでいる。
「堪忍や。冗談やって、ごめんな?」
「まあ、いいよ」
「はあ・・・僕に冷たいんは相変わらずやね」
「えっ、そんな風に思ってたの!?」
目をすっと細めて上品に笑う土屋君が少し拗ねたような声音で話すものだから、今度は私が慌てる番になった。
「っていうか冷たくなんてしたこと・・・」
ばっと彼の方を見上げると、そんなこちらの様子をみてくつくつ笑っていて。ようやく、自分がまたからかわれていたことに気が付いた。
土屋君てこんなイジワルな人だったかな。
「くく、相変わらずおもろいなあ。やっぱ見てて飽きひんわ」
「・・・土屋君はいじわる度が上がったね」
「名字にだけ、な」
「・・・?」
私に対してだけいじわる度が上がるって、どういう意味なんだろ?考える私の頭に軽く手が置かれて土屋君が顔を覗きこんでくる。
急なことに私は驚いて、慌てて彼を見上げた。
「え、なに?」
「あー・・・いや、何でもない。あんま深く考えんでいいで?」
「・・・そう?」
「そうそう」
(よくわからないけど、まあいっか)
(中学ん時から・・・変わらへんよなあ、名字は)
それからしばらく昔話に花を咲かせていたけど、ふと時計に目をやると、随分時間がたっていることに気づく。バスがもうすぐ来るはずだ。
「あ、私そろそろ帰らないと」
「そっか。引きとめてごめんな」
「ううん・・・久しぶりに会えてよかったよ」
私がそう言うと彼は一瞬呆けた顔をして、それからすごく綺麗に笑ってみせた。「僕も」って小さく言ったのが聞こえたから「じゃあもう行くね」と言って手を振った。
2年生の時に神奈川から大阪の中学に転校して、クラスで最初に仲良くなったのが土屋君だった。気さくで友達も多くて、最初こそおどおどしていた私も彼のおかげでいつの間にか周りに馴染めていた。
そして、一時ではあるが彼に恋をしていたこともある。
(土屋君に彼女が出来たのを知って、打ち明けられずに終わったんだけど)
そのどれもが今では良い思い出になっていた。だから今日は声をかけてもらえてとても嬉しかった。
「なあ、名字」
「・・・ん?」
少し離れた所からまた呼びとめられ、もう一度彼の方を振り返った。眩しいものでも見るようにすっと目を細めると、ぎりぎり聞こえるかくらいの声で口を開いた。
「また、連絡してもええかな」
彼にしては珍しく俯き加減で話していたのが気になったけど、答えは決まってる。
「もちろん。私の連絡先、前と特に変わってないから」
そう言って今度こそ私はバスに乗り込んだ。窓際に座ると、土屋君の方を見てみる。彼はさっきと同じようにとても綺麗に微笑んで手を振っていた。私も笑って、同じように手を振り返した。
「あんなに綺麗なんだもん、妬けちゃうよね」
私が乗ったバスが見えなくなった後も彼がそこに立ったままだったなんて。昔の淡い恋心を思い出しながらバスに揺られてた私は、知らなかった。