お姫さまごっこ
「ただいまー」
午前練習が終わって、俺は珍しくまっすぐ家に帰ってきた。いつもだったら花形たちと昼飯でも食いに行くところだけど、あいにくと今日は寄り道をするなと母親から口を酸っぱくして言われていた。
「健ちゃんっ おかえりぃ!」
靴を脱ぎ家に上がってすぐ、居間の方からばたばたと走ってきたのは俺の腰にも満たない身長の小さな女の子だった。
ぼすん、と俺の右足に抱きついたその子の頭を撫でて、相変わらずの様子に頬を緩ませる俺。
「おう、名前。元気にしてた?」
「うん!名前ね、健ちゃんに会えるのすっごくたのしみにしてたんだよっ」
「ん、俺もー」
俺を見上げてにへら、と笑う名前の頭を撫でてやる。俺の顔もきっと、ゆるゆるにふやけてるに違いない。
今年で5歳かそこらになるんだっけか?と考えをめぐらせながら、名前の母親である姉貴がいる居間に向かった。つまるところ、名前は俺の姪っ子にあたる存在だった。
「じゃあ健司、留守番頼んだわよ?」
「夕方には帰るから良い子にしててね、名前」
「「は〜〜い」」
久しぶりに実家に帰ったから母娘で買い物に行きたい、そう言い出した姉貴に俺は名前の子守を任された。
きっと初めからそのつもりで俺を早く帰らせたんだろうし、名前を心底可愛がってる俺はとくに断る理由も無かったから、二つ返事でオーケーした。
玄関を出て行く二人に「言ってらっしゃい」と笑顔で手を振って送り出すと、俺の手を引いた名前が覗き込むようにしてこちらを見上げていた。
「ねえ健ちゃん?」
「どした?」
「名前、お姫さまごっこしたいなぁ」
「・・・なんだそれ?」
なんでも、『お姫さまごっこ』なるものが幼稚園で流行っているらしく、名前がその内容を得意げに説明してくれた。何かいろいろルールがあるみたいだけど、とりあえずお姫さまの言うことが絶対。周りは王子か召使いか犬のどれかを演じるらしい。
(・・・犬役、要るか?最近の子どもは変わってんな)
まあ、要するにオママゴトってことだよな。
「ほんとはね、名前がお姫さましたいんだけどぉ・・・きょうは健ちゃんがしてもいいよ?」
「って、オイオイちょっと待て!!俺がお姫さまじゃおかしいだろ!?」
思わず大きな声が出た。これはあれか、こんな幼い子にまで女顔に見られてるってことなのかと少し落ち込む。実は、中性的なこの顔がちょっとコンプレックスでもあったから。
(まあ、得することもあるんだけど)
「えー おかしくないとおもうよぉ。健ちゃん似合うよ、お姫さま」
期待のこもった眼差しで、こてんと首を傾げる名前。その仕草に内心ではグッときていても、ここは年上の威厳でポーカーフェイスを崩さなかった。でも、やっぱり少しへこむ。
「なんで?どう考えても俺は王子デショ?」
少しムキになり始めた俺の中で、名前がプリンセスをするとして自分が王子をしなくて誰がするんだというよく分からない独占欲がふつふつと浮かんでくる。
そんな俺の胸中を知ってかしらでか、ニコッと微笑んだ名前がさらに心を抉る一言をくれた。
「あ、だめだよ!お姫さましないなら健ちゃんはメシツカイしてね!」
「えっ・・・」
一瞬にして頭の中が真っ白になるなんて、初めての経験だ。加えて、鈍器で頭を殴られたみたいな衝撃。
「俺が・・・召使い・・・」
「だってぇ〜〜名前の王子さまは、ようちえんにいるから」
「っ・・・!!」
信じられないという気持ちで後ずさった俺。本当、信じたくない。何で俺が王子じゃダメなんだよ。
名前の一番はずっと俺だったはずなのに?という疑問が頭の中をぐるぐる漂う。
「・・・だ、誰だよそいつ」
辛うじて動いた口が、おおよそ幼稚園児を相手にしているとは思えないような凄みをきかせた声を発した。心の中の自分が、落ち着けよと何度も呟いている。
「あのね、名前の王子さまはぁ」
「(・・・ゴク)」
ああ、なんて可愛い顔をして頬を染めてんだよ。・・・頼むから。まだこの先しばらくは、名前に選ばれる王子たちが『お姫さまごっこ』の範囲内だけでありますように。まだまだこの子は、俺だけの愛らしい姪っ子だ。
「んふふ!おとなりの組のぉ、タロウ先生なのっ」
名前の口から唱えられた王子の名前が、ひどく耳に残る。今度、名前を幼稚園に迎えにいくことがあったらその先生とやらを絶対に睨んでやるからなと、子供じみた考えを巡らす俺だった。
(いつだって、俺の姫は名前だけなのに!)
小さな子供相手のオママゴトでこんなに動揺するなんてお前らしくないぞと、今ここにいない誰かに言われているような気がした。