甘やかな腕の中でおやすみ
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(あかん……このままやとホンマにまずい)
誕生日まで半年を切った今、私はこの上なく焦っていた。
『……名前聞いてるん?あんたもええ歳なんやから、そろそろ結婚とか考えなあかんで』
「わ、分かってるってば」
『ほんなら相手は?』
「……ちゃんとおるよ。また家連れてくから」
じゃあ切るで、と早口に言って受話器を置く。母親の電話というのは無理やりにでも終わらせないと、とかくいつまでも続いてしまうものだ。
ハァ、と深い深いため息を吐き出した。
「私やって……結婚したいと思ってる、けどさぁ」
29歳という年齢は自分だけでなく周囲の人間をも焦らせてしまうらしい。すでに結婚している友達は沢山いるし、子供がいるって話もよく聞くけれど。
人にはそれぞれペースというものがあるし、結婚だけが女の幸せなわけじゃない。誰かに急かされて決めるような軽いものでも無いんだから。
それでも、やっぱり三十路を迎える前に結婚したいと思ってしまうのは、私も周りに流されているからなのか。
「……潮時なんかもしれへんなぁ」
ピンポーン
自分の呟きに、その通り!と答えが返ってきたのかと思うくらいにタイミングの良いチャイム。
午後の十時を過ぎようかというこんな夜に部屋をたずねてきたのは、私がお付き合いしている、恋人の土屋 淳くんだった。
「淳くん……お疲れさま」
「……近くで友達と飲んどってん。急に来てごめん」
そう言ってするりと私の腰を引き寄せると、淳くんは背を屈めて額にキスをした。いつもの彼らしくない大胆なスキンシップに目を丸める。かなりお酒の匂いがした。
「……けっこう酔ってる?」
「ん……名前、泊めて」
「いいよ。なあ、離して……中入ろ」
「もうちょいええやん」
ぎゅう、と今度は肩口に顔を埋めた淳くん。身長差があるから疲れそうだけど、お構い無しに抱きしめられる。だんだんと恥ずかしくなってきて、軽く胸を押し返した。
こんな風に甘える彼は本当に珍しい。年下なのに普段はしっかりしていて、どちらかと言うと私をからかう事の方が多いから。
「名前の家来んの……久しぶりや」
「最近どっちも忙しかったから、なあ」
「せやね……」
顔色は普段通りなのに、かなり酔いが回ってるのか、くすくす笑いながら私を見つめてくる。
なんだこの可愛い男の子は。破顔した淳くんなんて本当に貴重だ。写真撮りたい。
「……飲みすぎ!」
きっと明日になれば記憶も残って無いんだろうと考えながら、前に置いていった彼の着替えとタオルを持たせて浴室へ押し込んだ。
淳くんと付き合ってもうすぐ4年になる。私はいつの間にか29歳になって、彼は24歳になった。そう、出会った頃、淳くんはまだハタチだったんだ。
「……私から言ってもええんかな」
引き出しの奥に仕舞っている深緑の小さな箱を思い出す。それは何ヶ月か前に買った、私の気持ちの証。婚約指輪だ。
普通なら、逆だろうって言われると思う。女は彼からの指輪と言葉を待つものだって。でも、結婚したいという想いが強いのは絶対に私の方。だから、自分から言ってしまおうと思った。何もしないまま過ごすよりは行動しようと意気込む。
そして、無理なら別れてもらおう。私は潔く身を引く。彼はまだまだ将来有望だし、他にも引く手数多なんだから。だから今が動くときだ。私が、勇気を出さないと。
「名前、お風呂ありがと……寝てもええ?」
「うん。おやすみ、淳くん」
「おやすみ……」
眠たそうにのそのそとベッドに入ると、私のスペースを空けて目を閉じる。ただでさえ平均よりも大きな淳くんと普通のシングルベッドに二人で寝るのは窮屈なのに、いつも彼は器用に体を丸めて丁度いい体勢を見つけていた。
私も隣に横になって、タオルで拭いただけの淳くんの髪に指を通す。
(綺麗な寝顔やなぁ……)
気持ちよさそうに眠る顔を眺めながら、次のお休み、レストランを予約しようと心に決めた。プロポーズ決行だ。きっと緊張して上手くなんて出来ないだろうなと考えながら、彼の腕の中でゆっくりと眠りに落ちた。