あい、くるしい
( 11/11 )
ー 土屋視点 ー
「淳くん……私と、結婚、してくれませんか」
少し震える声で、指輪を持つ手も震わせて、名前がどんなに頑張ってプロポーズをしてくれていたか、頭のどこかでは分かっている筈だった。思えばレストランにいるときから少し様子がおかしかったし、ずっと緊張しながら彼女がタイミングを見計らっていたのだと気付くと、自分の鈍感さには心底呆れる思いだった。
「……ごめん、名前。それはちょっと……」
僕だって、本当はプロポーズを受けたかったに決まっている。
彼女と付き合ってもうすぐ4年。少し年上の彼女の年齢を考えれば、そろそろだとは思っていた。当たり前のように、確信するように、僕の未来には彼女がいる予定で、彼女と別れるなんてさらさらそんな気はなかった。
いつか名前と結婚したい。揺らぐことのないその気持ちとは裏腹に、否定にも聞こえる言葉を呟いてしまったのは……つまりは自分が情けなかったからだ。いつも背伸びして、大人の名前に釣り合うように振舞ったりして。
だからこそ、プロポーズくらいはかっこつけたかった。まさか彼女から言わせてしまうなんて。こんなに情けないことがあるかと、軽くショックを受けたのが本音だ。
(……ほんま、ありえへん……)
今となってはただの言い訳にすぎないけれど。僕もプロポーズをしようと思って、ベタだけどいつ指のサイズを測ろうかなんて考えていた。今日、名前がレストランを予約してくれてると言うから、その後一緒に夜を過ごした時にでもと。これから指輪を用意しようと思ってたなんて……何の言い訳にもならないのに。
そういう意味で「それはちょっと、待ってほしい」と言おうとしていた。けど、僕がそこまで言う前に笑った名前。痛そうな、傷ついた顔で、それでも笑っていた。
「今まで……ありがとう」
(ありがとうって、なに?……もう終わりってことなん?)
ただ茫然と立ち尽くしていた僕。
本当にかっこ悪い。今までの人生史上一番かっこ悪い。彼女の泣き顔を久しぶりに見た。あまり見たくはない。名前には笑ってて欲しいのに。
「…………バイバイ」
今更ながら罪悪感と焦燥感がせり上がってくる。しかし時すでに遅し、彼女が走って行った方には人影ひとつ無い。
すぐに追いかければ絶対に追いついた筈なのに、僕の足は一歩も動こうとはしなかった。
「土屋さーん、グラスどうぞ」
「ああ……どうも」
上司の結婚を祝して絶対参加だという飲み会があった。名前とのことが解決しないままで気分も晴れないし、本音ではあまり乗り気ではなかった。しかし祝いの席だと言われれば参加しないわけにはいかない。
そうして隅の席で気付かれない程度にひとりで飲んでいたら、しつこく話しかけてくる新人の女の子。社内の女の子の中で一番可愛いと噂されるこの子がどうして僕を気に入ったのかは知らないが、とにかくその分かりやすいアピールには正直ほとほと困っていた。彼女がいると言っても諦めてくれない。
「最近元気ないですよね。彼女さんと喧嘩でもしたんじゃないですかっ?」
冗談めいたそれを聞いて、グラスを持つ手に力が入った。表面上は貼り付けた笑顔で躱しても、心の中では不愉快な気持ちが広がっていく。自分はこんなにも短気な人間だっただろうか。
あれは喧嘩じゃない。けど、あの日以来会ってないし、名前の中ではもう僕は過去の男なのかもしれない。
酒もまわり、あからさまに体に触れてくるその女の子に嫌気がさして席を立った。騒ぐ座敷をあとにして少し離れた店内で一人壁に寄りかかる。けれど、すぐに追いかけてきた女の子。腕を絡められ苛立つ気持ちもあったが、無理やり振り払うことは出来ずもうそのままにしておいた。
(……今の人、名前と似とったなぁ)
店の通路の先、ふと顔を上げたときに見えた女の人の後ろ姿が、僕の頭の中を占めている人と重なって見えた。
「なんか、飲み過ぎたかもしれないです……」
「ほんなら座敷で休んだらどうです」
あくまで手を差し伸べず少し突き放すようにそう言うと、今度こそ彼女は手を離して、いまだ盛り上がる座敷の方へと歩いていった。僕の腕にしな垂れ掛かってきていた割に、それが随分ハッキリとした足取りで、思わず笑ってしまった。
しかしすぐにその笑みも消える。名前なら……例え酔いが回ったとしても、あんな風にはしない。というより出来ないと思う。
一人でじっとしていると、考えてしまうのはやはり名前のことだった。とにかくまずは指輪を用意しよう。それから傷つけてしまったことを謝って、自分の気持ちを伝えたい。たとえ許してもらえなくても何度だって言いたい。
名前のことが好きだと。
03と05の土屋視点