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ぜんぶ梅雨のせい


たとえば今朝は、肩口で揃えられた癖っ毛の髪がいつもよりうねうねで、爆発したみたいになってて落ち込んだ。玄関を出たら思っていたより激しい雨足で、学校に行くのが嫌になった。足元は濡れるし、お気に入りの傘が少し軋んでいるし、そういえば今日はお弁当持ってくるの忘れてるし。

1日の始まりがこんなだと、先が思いやられるというものだ。


「今日はとくにすげーな」


後ろから笑う声が聞こえてきて、ジロリと振り返った。「よう」と片手を上げて話しかけてきたクラスメイトは、いつ見てもさらさらな茶髪を少しだけ揺らして、廊下を歩く私の隣に並ぶ。


「自分が美しいからって人を笑うのはどうなの、藤真」
「愛のこもった笑いだろ。名字の芸術的な髪型見て朝から元気出たわ」
「女の子に失礼だと思わない?」
「女の子には言わないって」
「…………あっそう」
「あれ?怒った?」


怒る気力もないわ、と吐き捨ててさっさと自分の席を目指す。ドサリと鞄を置くと、隣の席の長谷川が何か言いたげにこちらを見ていた。


「おはよう。なに?」
「いや……機嫌悪そうだなと」
「君のとこのキャプテンにいじめられてんの」
「それ、は……すまん」
「おいおい、いじめって何だよ。人聞き悪い」


ハア、と肩をすくめる隣の男に物申したい。女子の見た目に口を出すなんて失礼を通り越して万死に値する。今にも手を出してしまいそうな私とまったく悪びれない藤真を見て気まずそうな長谷川が大きく溜息を吐いた。いつも通りのやり取りに溜息つきたいのは私の方だ。

入学以来こうして私に絡んでくる面倒な藤真が、翔陽一人気があるだなんて。今も彼に熱い視線を送る女性とを横目に見ながら、世も末だと心の中で呟いた。





「……嘘でしょ」


じめじめと鬱陶しい湿度に滅入りながらも、全ての授業を終えた。後は家に帰るだけだというのに、私は昇降口で突っ立ったまま空っぽの傘立てを見下ろしていた。あるはずのものが、そこに無かった。


「どうした名字」


今朝と同じように私の後ろから声がかかり、確かめなくても分かる人物をゆっくりと振り返った。「帰らねえの?」と純粋に首を傾げながら、少し離れた場所に設置された傘立てから緑の傘を手に取る藤真。


「もしかして……傘、無いのか?」


そこに、もう一人の大きな影が現れた。
私の現状を見事に言い当てたのは、藤真ではなく、見上げるほど背の高い花形だった。


「あー……うん、そうみたい。何でか分かんないけどね」


以前に花形とも同じクラスだったことがあり、突然の登場にも驚くことは無かった。今日は部活が無いのか、二人一緒に帰るところだったらしい。相変わらず仲が良いんだな、なんて考えながら、もう一度傘立てを見下ろした。
お気に入りの傘だったのにとか、そういえば今朝すでに軋んでいたな、とか。誰だか知らないがその辺のビニール傘ならともかく、きちんとイニシャルまで表記していた自分の私物を持っていくとは許せない。いっそ途中で骨組みから壊れてびしょ濡れになってしまえ、と心の中で中指を突き立てたところで、花形に呼ばれているのに気が付いた。


「えっと、ごめん……なんて?」
「だから……俺の傘で良ければ使うか?教室に戻れば折りたたみ「あっ、おい花形!」……なんだよ藤真」
「……?」


ぼうっとする私の前で、藤真が花形の背中を思い切り叩いた。バン、とかなり大きい音がしたから結構痛いんじゃないだろうか。案の定、顔を顰めた花形は藤真に不機嫌そうに視線を向けている。藤真の突然の行動が理解できない花形と私。彼が何を言い出すのかと黙っていると、「あー」やら「そのだな」やらハッキリしない言葉で何かを考える素振りをし、やっと考えが纏まった様子で私の方を見た。


「……なんなの?」
「名字は、俺の傘使え。つか、一本しか無いから入れてやるよ」
「え……」


梅雨も吹き飛ばしてしまいそうなほど爽やかな笑顔を浮かべた藤真。その突然の申し出に、本来なら私は感謝をすべきなんだろうけど。素直に喜べないのは、普段の藤真からの扱いが引っ掛かるからだろうか。


「おい、そんなことしなくても教室に「あー!」……さっきから、どうした?」


花形が何か言おうとしたのをまたしても遮った藤真。本当に仲が良いんだなこの二人。一体私は何を見せられているんだろう。


「教室に!そうだった、忘れ物したんだよな花形」
「はあ……?」
「悪いけど俺は名字を送らなきゃなんねえから、先に行くぞ?」
「……そういうことか」
「そういうことだ」

いやにご機嫌な藤真と疲労感の漂う花形のやり取りを眺めている私には、まったく意味が分からなかった。なんだか二人だけで話を進めてしまっているが、つまり藤真が私を傘に入れて送り届けてくれる、ということらしい。それだけのことで、どうして花形が困ってるように見えるんだろう。


「ねえ、別にいいよ。走って帰るし」


背中を向けてコソコソと話す二人に声をかけると、バッと藤真が振り向いた。


「いいわけねーだろ?!入れてやるっつってんだから、大人しく俺と帰ればいいんだよ。風邪でも引いたらどうすんだ」
「……それなら私、花形に入れてもらいたい」
「な、っ……!」


相変わらず上から目線の藤真にイラッとして私がそう言えば、目の前の彼は驚いた顔をして固まっていた。いつもの口喧嘩みたいに何か言われると思っていたのでその予想外の反応に困っていると、隣でクスクスと肩を震わす花形に気が付いた。こんなに笑う彼を見たのは初めてかもしれない。


「……私、変なこといった?」
「いいや。もっと言ってやってくれ」


「何を」と聞く前に、我にかえった藤真が私の手を取った。

それを振り解く間もなく、引きずられるようにして歩き出した彼に着いていく。途中でクルッと花形の方を向いて「覚えてろよ」と三流の悪役のような捨て台詞を放った藤真。そうしてすぐに私の肩が濡れていることに気が付き、手を離して傘をしっかりと持ち直した。花形が追ってくる様子は無い。


「で、結局なんなの?」
「何って?」
「花形を置いてきてまで、私を送ろうとする理由は」
「そ、そんなもん……俺の親切心100%、だろ」
「……納得いかない」
「名字が気にすることじゃねーよ」
「ふうん?」


それから少し沈黙が続く。ざあざあと雨足は強くなるばかりで、傘にぶつかる雨音だけが私の耳に聞こえていた。


「……もっと寄らないと濡れるぞ」
「あ、うん」
「…………なあ」
「ん?」


そういえばこんなに長い時間、二人でいることなんて今まで無かった。だからなのか、会話もポツリポツリとしか続かなくて、なんだか違和感を感じる。いつもみたいに揶揄ってこない藤真なんていっそ不気味だ。それになんか、ずっとソワソワしてるみたいだし。


「……やっぱ、花形の方が良かったか?」


ボソッと呟かれたそれはあまりに小さな声で、危うく聞き逃すところだった。え、まさか気にしてたの?と隣を仰ぎ見れば、遠慮がちに視線を合わせた藤真。本当に、いつもと様子が違いすぎる。


「あんなの、冗談だって」


私がそういうと、あからさまに嬉しそうな顔をした。


「……ほんとか?」
「うん。送ってくれるっていうなら、正直どっちでもありがたいし……」
「どっちでも……ま、まあ、そうだよな」


そして今度は、少し残念そうにしている。私の返事で忙しそうに表情を変える藤真を見ていると、悪戯心が湧いてきた。


「なに?藤真の方がいいって言って欲しかった?」
「なっ……な、な、べ、べつに俺は……ッ」
「…………」


それこそ冗談で言ったつもりだったのに、今の藤真の反応をみれば誰だってその好意に気付くはずだ。まさかとは思うけど。私に……好意、ねえ?


「藤真って……案外不器用なんだ」
「ど、どういうことだよ」


今までの私たちの関係からは想像もできなかったことだけど。隣の藤真はこんな様子だし、よく見たら私と反対側の彼の肩はびしょ濡れだし。一つの傘で一緒に帰りたいと思って貰えるくらいには、好かれている、らしい。

それに気が付くと、私の中でも気持ちが変化するのが分かった。明日からは……もう少し素直に、接してみてもいいかもしれない。


「相合い傘ありがとね」
「っ……お、おう」


とりあえずは。
私の勘違いだったら恥ずかしいから、花形にでも確認してみようか。

鬱陶しい湿度も、降り止まない雨も大嫌いだったけれど。でもまあ、梅雨ってのも、全部が全部悪いわけじゃないみたいだ。


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