SHORT | ナノ
呪文は優しく唱えるものだ


「信じられないっ、ありえない!!」
「…………」


突然の大声は確かに聞こえていたが、またかと思うだけで何も反応せずにいると、叫んだ張本人が拳を握りしめて詰め寄ってきた。
「透もそう思うでしょ?!」と、そうは言われても、話の概要も聞かずに分かれというのはいくら幼馴染でも無理がある。


「……とりあえず、座らないか?」


俺の部屋のドアを乱暴に開けて、冒頭の荒れっぷりを見せている名前に、とりあえずソファへ腰掛けるように勧めた。勉強机で参考書を読んでいた俺は一旦それを閉じ、丸椅子を回転させて名前の方へ向き直る。


「それで?今日はデートだったんだろ?」
「うん……経済学部の林君……いや、林と!」
「……その林って奴と何かあったんだな」
「ろくでもない奴だったのっ」


手近なクッションをぎゅう、と抱えながら、フン、と鼻息荒く話す名前(ちなみにこのクッションは自分用にと彼女が勝手に俺の部屋に置いているものだ)。

名前は嬉しいことがあったり嫌なことがあったり、とにかく何かがあればすぐに俺のところまでやってきて、その殆どを赤裸々に語る。
幼い頃から変わらず続くこのやり取りのおかげで、名前の家族を含めた身内の中で俺はすっかり彼女のお守り役を任されていた。

これでも名前は俺のひとつ年上なのだが、とてもそうは見えない。よく言えば純粋、しかし俺に言わせればとてもわがままで自由な子供だ。まあ、だからと言って放って置けない存在というのが厄介なところで。


「もう彼氏なんていらないーっ!!」
「……それは前にも聞いた」


名前はすぐに暴走しがちで子供っぽいところはあるが、器量がよく明るい性格で、困ったことに言い寄る男は少なくなかった。そして、同じ大学の男にデートに誘われたから出かける、と女の子らしく楽しそうに報告してきたのが一昨日のこと。

俺が、幼い頃からずっと自分に惚れていることなんて全く気付かずに、恋愛相談なんてしてくるぐらいだ。精々弟くらいにしか思われていないことも知っているので、今までは何もせずに静観していた。
こうやって自分のところに来てくれるうちは余裕もあった。が、ここらで捕まえておかないと、そろそろ不味いかという気持ちも無いわけではなかった。

話は戻るが、とにかく彼女は今回の初デートに大変ご立腹らしい。そのあまりの怒り様によっぽど気に入らない事でもあったのかと察するが、長年見守ってきた俺に言わせれば、大抵の場合は名前の理想が高すぎるだけの話だ。

それを口にする事は無いが(そのあと暴れるのは目に見えている)、とにかく「何があった?」と聞いてやらないことには彼女の怒りはいつまで経っても治らないだろう。


「最低でしょっ!?」


散々愚痴ったあとは珍しくシュンとして悲しそうな顔をした名前。どれだけ酷い奴だったのかを名前の口から聞いて、俺は拳を強く握り締めていた。彼女が怒るのも当然だ。

初めてのデートで強引にキスされてそのうえ危うくホテルに連れ込まれるところだった……だと?


「はぁ……なんで私には普通の彼氏が出来ないんだろう」
「…………」


ようやく落ち着いた彼女は、胸元のクッションを抱き直して、ソファにゴロンと転がった。それと比例して、頭に血が上った俺はスッと立ち上がる。


「……連絡先、」
「透?」


いつもは話を聞いて宥めるだけの俺の様子がおかしいことに気付いた名前が、そろりと俺を見上げる。


「その馬鹿の連絡先、教えてくれ。ちょっと殴ってくる」
「えっ、……えっ!?そんな事しなくていいよッ」
「何故?名前を傷付けたんだぜ、当然のことだろう」
「いいから……ここにいてよお願い!!」


ガシッと腹に抱きつかれて、少し我を取り戻した俺。

百歩譲って、男に下心があるのは理解してやる。俺だってそうだから。けどその相手が名前となると話は別だ。今回の話を聞いた以上、そのクソ野郎をぶん殴らないことには気が治らない。
そんな物騒なことを考えていた俺の耳に、微かに笑い声が聞こえてきた。この部屋にいるのは俺たち二人だけなので、必然的に笑っているのは名前ということになる。


「名前……?」


顔を寄せたまま肩を小刻みに震わせる彼女にポカンと突っ立っているしかない俺。状況がよく分からなくて、なんでこの流れで笑ってるんだよ、という声が出てこない。


「ふふ、殴りに行くだって……いつもは優等生なのに。こんな物騒な透、初めて見た」
「……怖がらせたか?」
「ううん……一緒に怒ってくれて嬉しい。でもね、透がやり返す必要なんてないよ」
「でもそれじゃ名前ばっかり辛いじゃないか……」


あはは、ともう一度笑って、してやったりという顔で俺から離れた名前。


「だってね、連れ込まれそうになった時、死ぬほど抵抗して、そのあと人目につかないとこで20発は殴ってやったから」
「…………は?」
「おかげで手は痛くなるし、散々なデートだったし……あーもうほんと、貴重な時間を無駄にした!今思えば私、なんであんなブサイクの誘いに頷いちゃったんだろ」
「…………」


よく見ると確かに彼女の右拳は、何かを殴った後の様に内出血していて、今の言葉が真実であると物語っていた。そういや幼い頃、短い間だが一緒に格闘技を習っていたっけ。ついでに蹴りも入れてやったと話す名前に、今度こそ俺は思考を止めた。


「なんか、透に聞いてもらったらスッキリした!いつもありがとねっ」


にっこりと笑う姿は、何も知らない男が見たら一目で惚れてしまっても可笑しくないほどに可愛い。とても可愛いが、間違いなく言えることがある。


「名前……」
「ん?」
「悪いことは言わないから、俺にしておけ」


子供っぽくてわがままで、理想が高くて、ちょっと力も強い年上の幼馴染。

こんな彼女に付き合えるのは今までもこの先も……たぶん、俺だけだ。



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