あなたの隣の白日夢
高校を卒業してそれぞれ進路は違っていたけれど。数年経った今でも同じ顔ぶれで会う事は多かった。今度の週末は久しぶりに洋平の家で集まろうと言い出したのは、誰だったか。
当時の私たちは、花道とバスケ部を中心にそこそこ青春を楽しんでいた。けれどひとつだけ、私の中には今もなお燻っている気持ちがあった。
「んん……」
ぼやける視界の片隅、時計の針はとっくに真夜中を指していた。部屋の明かりもテレビも付けっぱなし。ぬくぬくと温かい炬燵の中で誰かの足にぶつかると、少しだけ意識が戻ってきた。
なんだか気持ち悪い。それもそうだ。散々飲んで食べて、意識を飛ばすくらい酔っ払ってるんだから。ガサリと耳元で音がして顔を上げると、洋平が散らかったゴミを袋に片付けているところだった。
実際のところ彼の顔をしっかり見た訳じゃないけれど、桜木軍団のなかで自主的に片付けをするような男は、水戸 洋平の他にいない。酔いの冷めない鈍い思考でもそれくらいは分かった。
「起こしたか?」
「……洋平」
他のメンバーはいびきをかいて寝ていて。お世辞にも広いとは言えない居間で、珍しく二人きり。いつもより近い彼との距離に自然と鼓動が加速する。
「名前、動けるなら向こうのベッドで寝ろよ」
そう言ってまとめ終わったゴミを部屋の片隅に置く洋平。すぐに離れてしまった彼に寂しさを感じて視線を送ると、それに気付いた彼は仕方なさそうに笑って私のすぐ隣に戻った。
のそりと体を起こした私の横に座って、そっと手を伸ばしてくる。ぐちゃぐちゃになってるだろう私の前髪を軽く押さえつけて、流れるように耳にかけた。男と雑魚寝しないでちゃんとベッドで寝ろとか、こうして優しく触れたりだとか。昔から私のことを女の子扱いしてくれるのは、桜木軍団の中で洋平だけだった。
だから、そんな彼に想いを寄せることは私にとってごく自然なことで。高校の頃からかれこれ五年も片想いを続けている私。
「どうした?気分でも悪いのか?」
目の前にいる洋平が私だけを見てくれている。そう思うと心の底から満たされる心地がした。夢を見ているみたいだとも思った。
「…………好き」
ああ……洋平が、好き。大好き。優しい目も、耳に馴染む心地良い声も。少し冷やりとした指先も。好きなところを挙げだしたらキリがない。
「ずっと好きなの」
あれもこれもなんて多くは望まないから。ただひとり、洋平に選んでもらえたら。友達じゃなくて、もっと特別な存在として……隣に並んでいられたら。どれだけ幸せなんだろうと想像する。
「おい……名前?」
「……ん、……」
見つめていた彼の姿がひどく揺れる。抗えないほど瞼が重たくなって、ついにはそのまま閉じてしまった。ぽわぽわとした気分に沈む中、そういえば私は酔っていたんだと思い出す。まだまだ洋平と話したいのに。せっかくの二人きりなのに。
もうほとんど思考が停止して、深い眠りにつく直前。
「……この酔っ払いめ」
無防備な私の額に、何かが優しく触れた。
「…………あ、れ?」
再び目覚めると景色が変わっていた。というより単純に場所が変わっていた。ここは雑魚寝していた炬燵じゃなくて、隣の部屋のベッドの中だ。いつの間に移動したんだっけ?と考えてもすぐには何も思い出せなかった。
ズキズキ鳴り響く頭痛と胸焼け。紛う方なき二日酔い。うんうん唸りながら朧げな記憶を手繰り寄せていると、部屋のドアがカチャリと開く。
「あ……」
「名前、起きてたのか」
「よ、洋平……」
その顔を見た瞬間、物凄い速さで昨夜の記憶が甦ってくる。サァ、と血の気が引く。
そうだ……私、やらかしたんだ。
夢見心地だったあの状況で、自分が何を口走っていたのかは、しっかりと覚えていた。覚えているからタチが悪い。いっそのこと忘れていれば気まずく感じることも無かったのに。
「相当飲んでたからさ、様子見にきた。水飲むか?」
「うん……あの、でも、それより」
「ん?」
あんな風に告白されてどう思ったのか気になる。
「えっと、昨日はごめんね。私、なにか変なこと言ってなかった……?」
でもそれ以上に洋平から返事を聞くのが怖くて、私はわざととぼけてみた。視線をそらして、恐る恐る聞いてみたけど、彼はいつもと変わらない様子で。こっちは口から心臓が飛び出そうなほど緊張しているというのに、洋平はほんの少しだけ間を置いてから、事もなげに答えた。
「……いや?酔って寝てただけ」
「そ……それなら、いいんだけど」
「あんまり飲み過ぎるなよ」
「…………」
ぽん、と頭に乗せられた手。
強く握りしめていた手の力が抜ける。
そもそも望みがあった訳じゃない。答えを聞くのは怖かったけれど、それすら叶わなかった。無かった事にされてしまった。自分勝手な告白で洋平振り回して、挙句に気を遣わせて。
私……馬鹿だ。
「洋平たちの前では……つい飲んじゃうけど、他では気をつけてるんだよ?」
「……へえ?」
ツンと鼻が痛い。勝手に酔っ払って、勝手に傷付いてるだけなのに。
熱くなった目頭に気付かれないように、平気なフリをして笑った。この部屋まで運ばせてしまったことを謝って、それからさっさと立ち上がる。
「……もう大丈夫なのか?」
「うん。洗面所だけ借りて、帰ろうかな」
顔を洗って、この気持ちと一緒に流してしまえばいい。そうして昨日のことは忘れて、これからも友達として側にいられればいい。最初から何も変わらない。高校の時も、今も。
「じゃあ……またな、名前」
爆睡中のメンバーを起こすことなく、静かに玄関を出た。早朝の静まり返ったアパート。わざわざ外まで見送りに来てくれた洋平が、朝日に照らされて眩しく見えた。まだ夢の中にいるみたいだ。
「洋平、ありがとう……またね」
背を向けてひとり歩きだすと、僅かに彼の声が聞こえた。振り返って首を傾げてもただ微笑みが返ってくるだけだったので、今度こそアパートを後にした。
どこか機嫌が良さそうにも見えたけれど、洋平は私の背中に何を言ったのだろう。
「……今度は素面で、な」
私の足音に反応した小鳥が二羽、仲良さそうに連れだって飛んでいった。