SHORT | ナノ
ななしの気持ち


(入れた……!入れちゃった!)


「バレンタインなんかなんとも思わへん!」と散々強がっていた私が、どういうわけか好きな人の机にチョコを忍ばせるという、なんとも乙女全開の行動に出てしまった。

私の好きな人は、この学校ですごく人気があった。なんたってインターハイに出場するような強豪バスケ部のキャプテンで、エースで、おまけに顔も悪くない。背はもちろん高いし、成績だって上から数えた方がはやい、らしい。

そんなひと通りのモテポイントをがっちり押さえた人がいたら、そりゃみんな好きになる。現に私がそうだし。初めはクラスメイトになれたというだけで嬉しかったけれど。距離が近付くと、彼ともっと仲良くなりたいという気持ちが大きくなった。でも、彼……土屋 淳にとって、きっと私はただの友達の中の一人でしかなくて。告白する勇気なんて私にはなかった。

だから、せめてこんな日くらい、チョコだけでも渡してみようかなって。ちょっとだけ自分に素直になって行動してみた、のだが。すでに後悔しかけているのが本音だった。一緒に添えたメッセージカードには「土屋くんへ」という一言を書くのが精一杯で、とても自分の名前を書くことは出来なかった。こんな名無しのチョコ、思えば少し気持ち悪くないだろうか。今更言っても仕方ないことなんだけど。


(土屋くん……朝練終わったかなぁ)


朝、誰よりも早く登校して土屋くんの机にチョコを忍ばせてから、頃合いを見て教室に戻った。いたる所で浮き足立つ声が聞こえてくる。好きな人に渡しただの、女の子からいくつ貰っただの。例えどんな会話が飛び交おうが、今の私の頭の中には何も響かない。ただ一点、朝練を終えて現れるであろう土屋くんに意識が集中していた。


「おはよう」


教室に入るなり、近くのクラスメイトに挨拶をした土屋くん。彼の登場に私は一瞬どきりと肩を揺らし、次いで視界に入った紙袋の大きさに目を丸くした。


「いくらモテるからって貰いすぎとちゃうか?」
「土屋くんすごーい」


彼の元へ駆け寄った数人がその両手に提げられているチョコを覗き込み、感嘆していた。当の本人は「別にすごいことあらへんよ」と苦笑し、自分の席へと腰掛けた。


「……あ、」
「うわー!机ん中にも入ってるん!?」
「俺にも分けてやー」
「……こっちの紙袋のやったら好きなだけあげるわ」


教室にはたくさんの話し声が響いているというのに、なぜか土屋くんたちの話し声だけが鮮明に聞こえて来た。いや、まあ、わりと近い席だからってのもあるけれど。

土屋くんの言葉に、ひとりの男子が冗談半分で紙袋を物色し出して、それを周囲の女子が「やめーや」「かっこ悪いでぇ」と言いながらクスクスと笑う。確かにあの量を食べきるのは大変そうだし、捨てられてしまうよりかは、誰かの胃袋に入ったほうが嬉しいのかもしれない。……もしかしたら、私のチョコも誰かの手に渡るのかな。そう思うと、少し寂しい反面、どこかホッとする自分もいた。


(土屋くん……私のチョコ、手に持ってくれとる……!)


本当にそれだけでもういいと思えた。満足だ。あとは煮るなり焼くなり、それこそ他の人の手に渡ってしまっても構わない。さあ、どうぞよしなに!くらいの気持ちで、バレないようにさりげなく見守る中、私が忍ばせたシンプルな包装のチョコをジッと見つめる土屋くん。あれ、もしかして何か可笑しなところでもあっただろうかと不安になったところで、「土屋くん!」と別の女の子が彼の名を呼んだ。必然と彼の顔も上がり、呼ばれた方を振り向く。彼女はそう、たしか学年の中でも1、2を争うほどの人気者だったはずだ。言うなれば女版土屋くん、みたいな。


「めっちゃ多いなぁ、チョコ」
「……なんや用?」
「うちも作ってきてん。土屋くんに貰ってほしくて!」


にっこりと微笑んだ美人の眩しさったらない。こんなの、8割くらいの男子はきっと瞬殺だ。だけどそこは土屋くん。彼女にも負けないサラッとした微笑みを浮かべていた。


「義理やったら貰うで」


それはつまり、本命なら受け取らないということ。彼のその言葉に胸がちくりとなった。私のチョコは、差出人こそ不明だけど……間違いなく下心を練りこんだ正真正銘の本命だ。なんだか居心地が悪くなってきた。


「本命は好きな子のしか受け取らんって決めてんねん」
「……うちの本命チョコは、受け取ってくれへんってこと?」


こてんと首を傾げる彼女に、周囲は「おお」と盛り上がっていた。ほとんど告白のようなものだ。あそこまで潔いといっそ清々しいというか、それに比べて自分の小ささときたら、と気持ちがどんどん沈み込む。唯一の救いは、それでも土屋くんが彼女のチョコを受け取らなかったことだ。


「……ごめんやで」
「んー、まあ、しゃーないよね。これ、たったいま義理に変わったんやけど……貰ってくれる?」
「……そういうことなら。おおきに」
「なあ、ほんならさ、この紙袋全部義理ってこと?」
「うん」
「じゃあ……その手のやつは?」


土屋くんの手にある包みを指差す女の子。まさかと思い視線をやると、そこにはまだ私のチョコがあった。


(……なんで?)


「それ、誰からか分からんらしいよ」
「匿名やなんて、いまどき珍しいくらい照れ屋やねんなぁ」
「俺はそういうのグッとくるけどな」
「あんたは可愛い子限定で、やろ」
「まあなー!」


すいませんね照れ屋の奥手の不器用で!とクラスメイトたちの会話に心の中で噛み付いた。


「それが本命か義理かなんて分からんやん?それとも名無しは全部貰ってるん?」
「名前は書いてへんけど……たぶん、誰のか分かる」


(……っ、!)


そこまで聞こえて、私は急激に顔が熱くなったのを自覚した。変な汗もでてきた。本当なのだろうか。土屋くんは、あのチョコが私からだと本当に気付いてるの?だとしたら、どうして分かったんだろう。だめだ。恥ずかしすぎる。クラス中の人間に見られてるような気がしてきた。……実際にはそんなことはまったく無いのだけれど、とにかく、それくらい焦って速くなった鼓動を落ち着かせるために、私は誰にも気取られないようにそっと席を立った。その時、土屋くんが私の背を目で追っていたことなど知らずに。

始業までにはまだ少し時間はある。それまでこの赤く火照った顔だけでもなんとかしなくてはと、トイレの個室でひとり、盛大な溜息を吐き出した。やっぱり、慣れないことはするべきじゃ無い。







「それが本命か義理かなんて分からんやん?それとも名無しは全部貰ってるん?」


告白を躱されたというのに、目の前の女の子は僕の手にあるチョコからなかなか引きさがろうとはしなかった。

今日はバレンタインデー。自分がモテないとは言わない。これまでの経験上、それなりに、チョコを貰うんじゃないかとは思っていた。別にそれを自慢するつもりも無いけれど。でもやっぱり、どれだけ義理チョコや本命チョコを貰おうと、好きな子からのそれが欲しいと思ってしまう。だから、せめて本命チョコだけは一つしか受け取らない。とまあ、これだけ言っておいてその「好きな子」から貰える自信があるわけじゃなかった。今朝、自分の席に着いて机の中を覗くまでは。


「名前は書いてへんけど……たぶん、誰のか分かる」
「っなんで分かるん?そんな宛名しか書いてあらへんのに」
「……内緒」
「匿名ってことは、ほぼ本命やと思うけど……土屋くんは、それが誰からのチョコか分かってて受け取るんや?」
「そうやね。僕は好きな子のチョコは貰いたいから」
「……ふうん……その名無しさんと、うまくいくといいね」


ほんならうち行くわ、と自分のクラスに戻った女の子。それと入れ替わるようにして戻ってきたひとりのクラスメイトとバッチリ視線が合うと、彼女は見るからに慌てて目を泳がせた。そして、赤みが差す頬。

間も無く学校中に予鈴が鳴り響き、僕たちは何事も無かったかのように顔をそらした。



「名字って、綺麗な字書くよなぁ」


その会話をしたのは名字と一緒のクラスになってすぐのことだった。まだお互いに好きだとかの感情は無かったと思う。


「……そう?」
「習字とかやっとったん?」
「とくに習ったりとかは、してへんけど……」
「なおさらすごいわ……しっかり跳ねたり払ったりしとるもん。なぁ、僕の名前も書いてみてくれへん?」
「ええけど……」
「あ、土屋淳やで」
「知っとるよ!」
「ハハ……そら良かった。覚えられて無かったらどないしようかと」


頼み通り、僕が差し出したノートの隅っこに「土屋 淳 くん」と丁寧な字を書いてくれた名字。それからというもの、綺麗だけど少し特徴のあるその字を眺めるたびに、彼女のことを思い浮かべてしまった。字をきっかけに彼女が気になって、いつの間にか好きに変わって。今となっては少しでも気を抜くと、目で追ってしまっている自分がいた。


ーーー 土屋くんへ


チョコに添えられたカード。この「屋」の払いだとか、「ん」の形だとか……僕はその字にしっかりと見覚えがあって。それを指でなぞりながら、緩む口元を隠すこともしない。

まさか名字が僕にチョコをくれるなんて。これを本命だと思っても、きっと自惚れにはならないだろう。足元に置かれた何十個のそれよりも、この手にあるひとつがこんなにも嬉しい。


(あかん……ホワイトデーまで待たれへんわ)


放課後は部活があるから、昼休みになったら彼女を連れ出そう。きっと驚かすだろうけど、少し強引でもどこかへ引っ張って、好きだと伝えよう。照れ屋の名字がくれた気持ちにしっかりと応えたいから。

今日だけは、授業も全部うわの空。その時をまだかまだかと待ち望んでいた僕の耳に、ようやく昼休みを告げる鐘が鳴り響いた。



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