SHORT | ナノ



「俺……部活、辞めようと思う」


放課後の誰もいない教室でぽつりと呟くと、名字は表情を変えずに俺を見つめた。それは見つめるというより、睨んでいるという方が正しいかもしれない。


「へえ。バスケ、辞めちゃうんだ?それで……他にしたい事でもあるの」


一切目を逸らそうとしない彼女に耐えきれなくて、俺の方から視線を外した。そろそろと俯く。

名字は、陵南で一番気心の知れた友人だった。女とはいえ気が強くハキハキとものを言い、その物怖じしない性格は男にも劣らない。となると粗暴な振る舞いを想像してしまうかもしれないが、決してそうじゃなかった。
彼女は同学年の女子とはまた違った独特の雰囲気を持っている。ふとした時に見せる仕草の中に、確かに品位をそなえていた。

そんな名字と俺がなぜ親しくなれたかは自分でも分からないが、ともかく彼女は人気があり、一緒にいることが多い俺を羨む男は少なくなかった。そして俺も……密かに彼女へ想いを寄せていた。


「そんなんじゃない……ただ、辛くなったんだ。監督は俺にだけ厳しいし……先輩たちに陰口叩かれてるのも知ってる」
「……」


なのにどうして俺は今、好いた女に弱音を吐いているんだと自分に呆れる。情けなくて泣きたいほどだ。

夕日の差し込む二人だけの空間が、しばらく沈黙で包まれた。それを破ったのは、名字だった。


「……それで?なんで辞めるって方にいくわけ。私に言ったのは同情して欲しかったから?可哀想だねって慰めると思ったの?」
「っ……!」


違う、とは言えなかった。こんな弱い自分を晒したのは、彼女に救って欲しいと思ったからだ。どんなに逃げたくても許してくれない監督から、解放して欲しかった。そんな思いまでしてバスケをする必要はない、きっぱり辞めてしまえばいいと……名字なら俺にそうと言ってくれると期待していた。


「あんまり失望させないでよ。こんな根性無しと友達になった覚えはない」


同情どころか、俺を切り捨てるように冷たく言い放った名字。一歩二歩と俺に近付き、切れ長の瞳でグッと覗き込まれる。胸ぐらを掴まれたと思うと、彼女との距離は一気に縮んだ。
名字は平均より背が高かったが、それでも俺との差はかなりある。強い力で引っ張られていた俺は、腰を折って不自然な体勢になっていた。しかし彼女はそんなことに構いはしない。


「魚住が辛い思いをしているのは良く知ってる。辞めたくなる気持ちも分かるよ。でもね、今辞めたら……残るのは後悔だけ」


私は、魚住に後悔してほしくない。鼻先が触れるか触れないかくらいの真正面からそんなことを言われ、ただ唖然とする俺。


「三年の夏……インターハイに行けたら」
「行け、たら……?」


至近距離にいる彼女の吐息が、俺の心臓をざわつかせて止まない。


「これ以上に好きにしてくれていいよ?」
「こ、これ以上って……」


段々と熱を帯びる顔にそっと手を添えられ、冷たい唇が押し付けられた。


…………は?


一瞬のそれは夢かと思うほどに、ありえない出来事だ。白昼夢でも見ているのかと自分を疑う。これは無いだろう。

「分かるでしょ」と耳元で囁かれ、背筋にぞわりと何かが走った。名字の言葉は毒のように俺の身体を侵食して、じわじわと脳を犯す。
部活を辞めるなんて選択肢は遥か彼方へ吹き飛び、そんなことよりも、友達の一線を越えてこれからどんな風に彼女と接すればいいのか、今の俺にはこれこそが問題となった。


「負けるな、魚住」


苦しくて、それよりも、愛しい。
彼女は誰よりも俺の本性を理解し、導く術を知っていた。



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