SHORT | ナノ
恋に落ちる


「こんな遅くまで何してたんだぁ?んん?」
「・・・」
「無視すんのか〜?」


電車でトラブルなんてまあよく聞く話だけど、実際に自分が当事者になるとこんなに怖くて面倒くさいものかと、未だに泥酔したおじさんに話しかけられたまま私は半泣きになっていた。

年明けに試験を控えた、高校三年の冬。塾の帰り、いつもだったらもう少し早い電車に乗っていたのに。先生に質問したり友人と話したりしていたらこんな時間になってしまった。
師走の終わりということもあって、週末に向けて羽目を外しこんなになるまで酔っ払う輩がいるから、夜の電車の、とくに金曜日のそれは嫌いだった。


「なあ、お嬢ちゃん!」
「・・・やめて、ください」


やっと絞り出た小さな声で抵抗しても、その酔っ払いは聞いてくれない。助けを求めて周りに視線をやっても、誰も目を合わそうとはしなかった。
近くの女の子が「可哀想じゃん」と小声で言ったのが聞こえたけれど、すぐに彼女の恋人らしき男の子が「助けたらこっちが絡まれるだろ」と呟いたのが耳に入って、泣きたい気持ちが更に増した。
世間は思ったよりも、冷たい。


「最近の若いもんはァ・・・うっく」


それからもブツブツ耳元で何かを言われるのを黙って堪える。車両を移るにも立ち上がるにも、何故か足が震えてまるで力が入らなかった。
焦りで頭はパニックに陥っていたけど、その反面、心の中のどこか冷静な部分で所詮みんな他人には冷たいんだなと、何もしてくれない周囲に落胆していた。


そんな時、待ち望んでいた車内アナウンスが流れた。どうやらもうすぐ次の駅に着くようだった。たった一駅の数分間がこれほど辛かったことは無い。

(絶対に降り、よう・・・)


サッと降りてこの人から逃げようと思った。そしてすぐに誰かに助けを求めたい。
ドアが開いた瞬間、勇気を出して立ち上がる。


「どこ行く気だよ〜っ!」
「・・・っ」


私が一歩を踏み出す前に制服の裾を引っ張られて、少しよろける。その事態に流石に周りの人たちも驚いていた様子だったけど、それでも助けようと動く人はいない。
その内、我関せずと降りていった人の次に、今度は乗車する人たちがドアをくぐり抜けてきた。


「は、離して・・・」


制服を掴まれたままおどおどする私に、ニヤリと気持ち悪い笑みを向ける酔っ払いの男。

もうどうにもならないんだと早く解放されることだけを願っていたら、無情にもドアが閉まり、電車がまた動き出してしまった。
混み合った車内で至近距離にいるその男から気味の悪い視線を感じ、私はそれを避けるように強く目を瞑る。


「手を離してもらえますか」


不意に、頭の上から声が聞こえた。
私がその声に反応する前に、グイッと力強く腕を引かれ目の前に大きな背中が広がった。


「大人なら、節度ある振る舞いをしてほしいものです」
「な・・・なんだっ!お前には関係・・・おいっ!!」


その大きな男の人は酔っ払いを窘めると、私の手を引いたまま早々と車両を移動してくれた。ズンズンと進む私たちの進行方向では不思議と人が避けていて、あっという間にさっきまでいた所と随分離れた車両まで着いた。

来た道を振り返りながら「追って来ないみたいだな」と呟いてこちらに向き直ったその人は、先ほどの厳しい雰囲気は無く、とても優しい声色でもう大丈夫だと言って、繋いでいた手をほどいて私の頭の上にぽんと乗せた。
あの恐怖から解放されたんだと理解した途端、引っ込んでいた涙が少し溢れ出して、思わずうつむいてしまう。

(お礼・・・言わなくちゃ)


「・・・あ、あの」
「少し落ち着いたか?」
「助けていただいて、本当に、ありがとうございます・・・」
「怖かっただろうな。ちょっと強引かとも思ったんだが・・・気付いたら体が動いてた」


本当ならどこかの駅員にあの酔っ払いを突き出すべきだとは思うが・・・と続けるその人に、私は大袈裟なほど首を振る。出来ることならさっきの人とは二度と関わりたく無いし、早く忘れてしまいたい。それに、これ以上この人に迷惑は掛けられないと思った。

素直に思っている事を伝えると男の人は「分かった」とだけ言って、持っていた荷物を肩にかけ直した。そこでようやく、その人が着ている制服が、自分の学校の近くにある海南大附属高校のものだと気が付いた。

(こんなに大人っぽくて、高校生・・・なんだ)


ジッと顔を見ていると、困ったように彼が頬を掻いた。俺の顔に何か?と聞かれて、慌てて視線を窓の外へ向ける。


「ご、ごめんなさいっ」
「いや・・・構わないが」


私のその失礼な行いにも特に怒る様子はなく、むしろ当たり障りの無い話題を振ってくれた。紳士的な彼の様子に私はすっかり安心して、次第に打ち解けていった。彼の名前が牧 紳一くんだということや、同い年だということもその時に知れた。



「家まで送るよ」


最寄りの駅に着いて最後にもう一度お礼を言おうとした時、彼・・・牧くんはそう言って私よりも先に電車を降りた。
「嫌じゃ無かったら送らせてくれ。心配なんだ」とまで言われてしまえば、それを断るための理由を見つけるなんて、私には出来なかった。



「じゃあな。また変なのに絡まれないよう、気をつけるんだぞ」


玄関の前で、向かい合った牧くんが言った。


「うん。あの、牧くん・・・送ってくれてありがとう」
「俺がそうしたかっただけだ。でも、名字の助けになれて良かった」


駅から家までの夜道は、あんなに気持ち悪い出来事の後だったのに、もうそのことを忘れかけてさえいた。
それが、気さくに接してくれる牧くんのお陰だというのは十分に感じていた。


「またな、名字」
「うん・・・」


(助けてくれたのが牧くんで・・・すごく、嬉しかった)


心に思う気持ちを言葉に出来ないまま、背を向けた牧くんを見つめる。次第に遠ざかっていき、角を曲がって見えなくなったところで、私は落胆とは異なる熱いため息をついた。
吐いた息は、うちの前にある外灯に白く照らされる。そしてすぐに消えたそれをちょっと寂しく思いながら、玄関に手を伸ばした。


(勇気を出して、連絡先くらい聞けば良かった・・・かも)


牧くんについて知っているのは、名前と年齢と学校。それと・・・優しさ。
知り合ったばかりの人だし、そのきっかけは少し辛いものだけれど。


「また会いたいな・・・」


こんなに惹かれてしまうのは、きっと。
私が牧くんに恋してしまったからだ。





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