ペディキュア
「何やってんの、名前」
「ペディキュアー」
自分の部屋でせっせとペディキュアをしていると、ノックも無しにお隣に住む健司君が入ってきた。
「ふーん。ペディキュアってなに?」
幼馴染の彼は何かにつけてよく私の家に遊びに来る。お互いそれなりに大きくなっても、それは昔から変わらなくて。もちろん付き合ってるだとか、そういうのでもない。
ただ、それは別に構わないのだけど、ひとつだけ言わせて欲しい。
いくら仲が良いとはいえ百歩譲って勝手に部屋に入ったとしても、そのまま人のベッドに陣取るとはどういうことか。女の子の部屋だというのに。
(・・・ま、言ったところで聞きゃしないんだろうけど)
「足に塗るのはペディキュアっていうの。手はマニキュア」
「え、やってみたい」
彼の放った言葉にぽかんと口を開けて惚けていた私に「いいだろ?」と続けた健司君。
ここで補足させてもらうと、彼は私のひとつ年下だったりする。高校3年の男の子で、私はピチピチの女子大生。
年上にその言葉遣いは何だ、と長年言い続けているのだがそれが改善される気配は今の所ほとんど無い。
生意気だとは思うけど正直なところ、もう諦めていた。
「俺ぜったい上手い」
「じゃあやる?」
「おう。やってやる」
嬉しそうにニヤリと笑って私からペディキュアを受け取った健司君は、それをまじまじと眺めてから地べたに片足を立てて座った。
塗りやすいように私がベットに乗って三角座りをすると、まだ色の付いていない右足をそっと手に取った。
「・・・な?上手いだろ」
健司君の顔を見下ろしながら、相変わらず綺麗な顔だなとか、まつ毛が私より長いなとか、色白いなとか。
そういうことばかり考えていた私は、一瞬反応に遅れた。
もう一度「な?」と聞いてきた彼に頷きつつ自分の足元を見やれば、確かに私がやるより何倍も上手に塗られた爪たち。
「こっち、落とすから、もっかいやって」
そう言って自分で塗っていた方のペディキュアを除光液で拭う。
彼が昔からなんでも器用にこなしてしまうのは知っていたけどそれがこんな分野にまで通用されては、もう健司君に出来ないことなんて無いんじゃないかと少し嫉妬した。
「いいけど名前は俺に何してくれんの」
「・・・タダじゃないの?」
「そういうこと」
「えー?」
「考えとけよ」
まったく何様だと言いたいくらいに生意気で自信家。 それでも外面だけは良くって、学校じゃ女の子にモテモテ。友達だって多い。
去年まで私も翔陽に通っていたから知ってるんだけど、当時は幼馴染というだけで随分やっかまれたりしたから、それはもう大変だった。
関係を聞かれる度に、弟のようなものだと必死になって説明していた気がする。今じゃそれも懐かしい思い出にすぎないけれど。
「やっぱおれ上手い」
「ありがと、健司君」
「・・・で?」
華やかになったつま先をうっとりと眺めていたら、健司君が立ち上がってそれから私の隣に腰掛けた。
と思ったら、今度は隣から伸びてきた手に頬を摘まれた。みよん、と。
「む」
「報酬決めた?」
「えー・・・あ、ほら。私からの愛」
・・・なんてね、と続けたかった言葉が私の口から発せられることは無かった。
「しょーがねーな。それで手打ってやる」
「・・・っ!」
影が近づいたと思った時には、すぐにその距離がゼロになっていて。
掠めるように触れた唇がニッと笑ったのを見て、ようやく彼にキスされたんだと気がつく。
「これで我慢してやる」
「・・・は?」
そう言い残して、彼がするりとドアまで歩いて行った。
「ちょっ、と!こら健司君!待ちなさいっ」
私の反論なんてどこ吹く風で、たいそう満足気な様子の健司君。
最後にもう一度こちらを振り返った。
「じゃ。俺、朝練で朝早いから」
「だ、だから何なのよ!?」
ガチャリと閉まったドアを数秒睨みつけていた私は、このふわついた気持ちをどうすればいいんだと、盛大なため息を吐き出した。
健司君は幼馴染で、年下の男の子で。ただそれだけだったのに。
「からかわないでよ・・・」
彼の真意がまるで分からなくて悔しい。
けど、確かに熱を帯びた自分の唇は誤魔化しようが無いなあと、憎たらしいほど綺麗なペディキュアをじっと見つめた。
(・・・ファーストキスだぞ、ばか)