ハンカチ王子
私は自分では認めたくないけどドジなところがあるらしくて、それを迷惑がられる事も少なくは無かった。
だからなのか・・・
「これ使うといいよ」
「えっ・・・?」
わざわざ濡らした紺のハンカチを私に渡して、去って行った男の子。「部活で急いでるからごめんね」そう言って向けた彼の背中を、駅のホームで転けていた事も忘れてぼうっと見続けていた。
・・・優しくしてもらった、ただそれだけのことで私は簡単に恋に落ちたみたい。
その日以来、きちんと洗濯してアイロンもしたそのハンカチを大事に鞄にしまって、私はその男の子を探していた。あの駅で待ってみたり、他学年の教室を何度も覗いて回った。制服から湘北の生徒なのは間違いなくて、それと何かの部活に所属していることは分かってたけど、それでも見つからなかった。
「荷物がおっきかったから、運動部だとは思うんだけど・・・」
「またハンカチ王子?もういいじゃん何ヶ月前の出来事よ。相手も忘れてるって」
私が『ハンカチ王子』(と友人は呼んでいる)を探している事は、周りの子たちは皆知っていて。転けた時にできた膝の傷が綺麗になくなった今でも、まだその人を見つけようとしてる私にちょっと呆れ気味だった。
「だいたいさ、もっと他にないの?顔の特徴とか。こう・・・丸顔とか、濃いとか」
「・・・優しい顔だった」
「というと、薄い顔?」
「そういうわけじゃない、んだけど」
私もあの時ちゃんと顔を見てなかったから、ハッキリと答えることができなかった。これじゃあ見つからないのも仕方が無いかもしれない。
「お手上げね」
「うう・・・」
(でも、お礼、言いたいなあ・・・)
帰り道を一人、のっそり歩く。近頃では私の頭の中には常に彼がいて、授業も身が入らなくて困っていた。
「はぁー・・・」
社会に揉まれるサラリーマンよりも重いため息がでる。
(いい加減、諦めるべきなのかなぁ)
角を曲がってようやく駅が見えた時。
「う、わっ!」
すぐ隣を通った車に驚いて、ついでに鈍臭さも発動して私は見事に膝から転けた。せっかく治っていたところをまた擦りむいて、余計に辛くて。
すぐには立ち上がれなかった私。この時間、他に通行人がいなくて良かったと思った。
「また転けちゃったの?」
すっと差し出されたハンカチは私が持っているものと同じ紺色。
「立てる?手を貸そうか」
「だ、大丈夫です!」
驚きながらもサッと立ち上がった。膝の痛みなんてもうすっかり忘れてしまっている。記憶の中と違って眼鏡をかけていたけど、その人は、私がずっと探していた人だった。
(あの人、だ・・・!)
「あの、これ、前に貸して貰ったんですけど・・・」
「ああ、駅前の時の。こんなに綺麗にしてくれてたんだね」
「その・・・今回も、あの時もありがとうございました」
「たいしたことじゃないよ」
それより怪我はいいの?って気遣ってくれる彼を私は夢見心地で眺めていた。
「眼鏡・・・かけてたんですね」
「え?ああ、そうなんだ。あの日は朝に眼鏡を踏んじゃってね・・・実はあんまりちゃんと見えて無かったんだ」
「そう、ですか」
それで彼を見つけられなかった訳が分かった気がした。眼鏡をかけてるとは思わないからきっと見過ごしてたんだ。
(あれ・・・でも、見えてなかったのに"また転けたの"って、)
「どうして、駅前で転んでたのが私だって分かったんですか?」
「・・・実はね、名字さんが俺のこと探してたの知ってたんだ」
「えっ!?」
ごめんね、と笑って頭の後ろに手をやる彼。
ってことは私の事を避けていたということだろうか。そう思うと途端に目の前がぼやけてきて、泣き顔を見られたくない私は下を向く。
「誤解しないで欲しいんだけど、さ」
私は俯いたまま次の言葉を待った。
「避けてたんじゃなくて、君が俺の教室に探しに来てくれるのが楽しみになってて・・・」
「えっ?」
「ハンカチを受け取ったらそれきりになっちゃうだろ?」
少し照れたようにそう言う彼を私は呆然として見ていた。
(・・・つまり、どういうことですか?)
「前から可愛いなあと思ってたんだ、ちょっとドジなところも含めてね。だから、前から君のことは知ってたよ」
「う、そ・・・」
「いきなりこんなこと言ったら、困るかなとは思ったんだけどね」
信じられないと思った。好きになった人が、それよりもっと前から私のことを見てくれていたなんて。
「わた、し・・・名字名前です。あなたの名前、教えてくれません、か」
「3年の木暮公延です。よろしくね、名字さん」
嬉しくてやっぱり涙が溢れ出した私の目元に優しくハンカチをあててくれる木暮さんは、まさしく私のハンカチ王子だった。