へそで茶を沸かす
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ー 佐伯 視点 ー
「え……名前さんがそんなこと言ってたんですか?」
「理由を聞いてもはぐらかされちゃってねえ。おじさん心配だよ」
学校帰りにそのままバイト先のジムに来ると、上野さんの口から予想外なことを聞いた。
いつものダンディな笑顔じゃないと思っていたら、名前さんのことが気になって心配しているようだった。
「ジム辞めるかもなんて……私何も聞いてないですよ!」
「……サエちゃんも知らないかぁ」
あとは仙道くんなら知ってるかもしれないね、と眉を下げる上野さん。
確かに、仙道くんと名前さんは仲がいい。いつもさり気なく周りの女の子と一線を引いてる仙道くんが自分から近付いているのは、少なくとも私の知る限りでは名前さんだけだったから。
でも、いくらなんでも私には相談してくれてもいいのに!と考えを巡らせているうちに、ひとつ思い当たる出来事を思い出した。
「あ……もしかして……」
廊下の先を猫背で歩く大男を見つけて、大声で呼び止める。
「仙道くん!」
上野さんと話をしてからすぐにでも彼に聞きたい事があったのに、シフトの都合で顔を合わせたのは数日ぶりだった。
今日会えたのだって、別の子とシフトを無理やり代わってもらったからだ。普段はよく会うのにこんな時にかぎってタイミング悪いんだから!と誰にともなく怒りを感じた。
「あれ、佐伯さん、今日一緒でした?」
のんきというかマイペースというか、あまり物事に動じないのがこの後輩で。バスケをしてるって聞いたけど、こんなヘラヘラしてて体育会の中やっていけてるのかと少し心配になる。まあ態度はどうあれ実力は申し分ないらしいから、要らぬ心配か。これでも仙道くんはバスケの世界で有名らしいし。
……と、そんなことよりも。
「あのさ、最近名前さんと会った?」
私の口から出た名前さんの名前に一瞬仙道くんの表情が変わったのを私は見逃さなかった。これは何かあったな、と確信に近いものをもって彼を問い詰める。
「何かあったんでしょ?」
「いや……名前さんとは、しばらく話せてないから」
「……本当に?」
「うん」
「じゃあ最後に会ったとき様子が変だったりしなかった?」
そう聞くと、何か思うところがあったのか首の後ろに手をやって、さらにグッと眉間にしわを寄せて私を見下ろした。「……そういや俺、」と話し始めた仙道くんに耳を傾ける。
「なんか避けられてるかも、しれなくて」
「え……なんで?」
「……気のせいかとも思うんすけど。最後に話した時も素っ気なかったというか、目も合わせてくんなかったし」
それを聞いて、なんとなく、名前さんの行動の理由が分かった気がした。やっぱり私の予感は外れてない。
あの嫌がらせのせいだ。仙道くんのことを好きな子たちが名前さんを目の敵にしているから、変な噂をされたりワザとぶつかられたりして。それで参っちゃってるんだ、と納得した。
「名前さんが、ジム辞めるかもしれないって言ってたんだって」
「え……辞める……?」
「上野さんが聞いたらしいの。仙道くんはさ、名前さんが一部の会員の子たちからよく思われてないの知ってるよね」
名前さんが辞めるかもと聞いて目を丸めた仙道くんに、追い討ちをかけるように続けた。
一部の会員の子たち、というのは、最近言動が少し問題になってる大学生の女の子たちのことだ。それは仙道くんも分かっている筈で、もちろん彼女たちが自分を好いていることにも気付いている。そして、彼が名前さんを特別扱いするのを快く思っていないことも。
今の会話だけで、名前さんが今どういう状況なのかを察した仙道くんは決して馬鹿じゃなかった。つまりそういうことだと目で訴えた私の前で、やらかした、とでも言うように額を押さえる。
「あとね、階段で怪我しそうになったのを会員の山川さんが助けてくれたの知ってる?」
私は腕を組んで壁にもたれ掛かった。山川さんと聞いてすぐに反応した仙道くん。
「……あの二人、付き合ってるって噂があるんだよ」
「付き合っ……え、ウソォ!」
「まあ、誤解らしいけどね。名前さんも山川さんも否定してたもん」
「…………」
難しい顔をした仙道くんに山川さんの方は満更でもなさそうだったけど、と言い放つ。
「とにかく!仙道くんがこのまま放っとくんだったら、私が口出すからねっ?こんな風に嫌な思いして名前さんにジム辞めてほしくないし」
「俺が何とかします」
「……出来るの?」
こくん、と頷いた仙道くんの真剣な様子に、これかなら任せられるかな、と口元を緩めた私。
だいたい名前さんにベタ惚れのくせに、あんなミーハーな女の子たちに言い寄られて好き勝手させるなんてちょっと甘いんじゃないの?山川さんに負けても知らないよ、と内心で毒突く。
「ていうか好きならさっさと告白すればいいのに!それをもたもたと曖昧な態度取ってるからあの性格ブスたちが調子にのるんでしょ、これだからイケメンは……」
(とにかく、頑張ってね。名前さんを悲しませるなんて私が許さないんだから!)
「佐伯、さん」
「……あ、心の声と口に出すやつ逆になっちゃった」
「……そりゃないっすよ」
「あははは。ゴメン」