ピー・エヌ | ナノ
寝耳に水
( 22/32 )


「あ、あの店なんかいいかも……」


遠目に見えた洒落たカフェでちょっと遅めのお昼ごはんにしよう、と決めてさっそくお店に入る。期待を裏切らない落ち着いた内装の店内は、休日をゆっくり過ごすのにうってつけの場所だった。いいお店見つけちゃったな!と喜び、私は口元を緩めた。

今日は会社の創立記念日でお休みだったので、私は一人で街をぶらぶらしていた。平日にこんなにゆっくり出来ることもあんまりないから、なんだか新鮮で楽しかった。




カランカラン、


「いらっしゃいませ」


お客さんがドアを開く音と、それを店員さんが迎える声とが聞こえた。

食後のコーヒーを飲みながら、ここへ来る途中に買った小説を読んでいた私は、顔を上げることなくページを捲る。

少し前に話題になっていたそれは大学生の男女を中心とした恋愛小説で、普段ならあまり読まないジャンルなんだけど……と思いながらも、手を伸ばしてしまった理由は単純明快。ここのところ、ジムへ行く度に仙道くんを意識していて。まるで初めて人を好きになったかのように彼の一挙手一投足に反応してしまう私は、完全に浮かれているのだ。


「ご注文はお決まりでしょうか」
「あー……なんにする?」
「彰くんと同じのでいいよ」


好きな人の声は、たとえどこにいても私を惹きつける。

そう書かれた小説の一文を指でなぞりながら、「今ならわかるかも……」なんて呟いてみる。頭の中で仙道くんの声を思い出しながら小さく笑った。つい先日もジムで会ったばかりだから鮮明に思い出せる。彼の声は優しくて、いつも落ち着いてて、それでいて……


「じゃあアイスコーヒー2つ、お願いします」


そうそう。あんな感じのちょっと低めの……ん?
というか、なんだかさっきの声、仙道くんとすごく似てるかも。いやむしろ、あれはまさしく仙道くんの声な気が……する、んですけど。まさかね。

妙に耳に馴染む声が気になって、斜め後ろの席をチラッと盗み見た。


「……あ、」


私に背中を向けて座っている男の人は、間違いなく仙道くんその人だった。平均よりはるかに大きな体格に、あのツンとした髪型。私の鼓動がドクドクと速まっているのがなによりの証拠だ。

彼の正面にいる女の子はとても華奢で可愛らしく、世間一般的に見ても絶対にモテる側の人間で。話してる内容全部は聞こえないけれど、雰囲気から二人の仲が割と近しい間柄だということは分かった。年も近そうだ。

それに聞き違いじゃなければ、さっき彼女は仙道くんのことを「彰くん」と呼んでいた。彰、アキラ、あきら……それって仙道くんの名前だよね?


「…………」


ずずず、とカップに残ったコーヒーを飲み干して、とりあえず深呼吸をした。

恋愛小説なんかを読んで浮かれていた気分が、一気に下降する。そしてもう一度、後ろを振り返った。仙道くんの顔が見える訳じゃないけど、なんだか楽しそうに会話してるし。何も知らない人が見たら、やっぱりあの二人は、恋人同士……なのかな。


「もー、彰くんってば」
「ハハ」


あ、あの首の後ろに片手を置く癖、やっぱり仙道くんだ……

自分でも気付かないうちに、彼の癖まで覚えてしまっている。ちょっと前まで年下に興味ないとか言ってたのに。


「……、帰ろう……」


そういえば、前に付き合ってる人はいないって言ってたのにな、と以前の彼の言葉を思い出す。あ、でも気になる人はいるって言ってたか……まあ、あれから彼女が出来たともかぎらないもんね。

見た目も話し方も、とても可愛い女の子。あんな可愛い彼女がいるなら私の入る隙なんて1ミリだってないよね。なんか……なんか、どうしよう、結構ショックだ。

脈ありなんてやっぱり勘違いだよサエちゃん、と心の中で泣き言を言いながら、仙道くんにバレないようにさっさとお会計をして店を出た。ああ、せっかくの休日がとんだ一日になってしまった。






前の彼に振られたのが悔しくて、必死にダイエットをした。確かにまだぽっちゃりではあるけれど、私なりに頑張ったと自信を持つようになってた。そんな風に思えるのは、サエちゃんだったり上野さんだったり、もちろん仙道くんのおかげだ。そして、やっと次の恋を見つけられたというのに。


「……もう失恋だなんて」


ロビーのソファーに座って俯き、はぁ、と深い溜め息を吐き出す。

会うと辛くなるからジムはしばらく休もうかなと思ったけれど、そうして前みたいに上野さんや仙道くんに心配させてはいけないと考え直して、勇気を出してジムに来ていた私。それなのに、あの休みの日以来どういうわけか仙道くんと会うことがなかった。

会ってもどういう顔をしたらいいのか分からない。会うのがちょっとこわい。でも、やっぱり会いたい。


「名前さん?」


そんな複雑な私の胸中を知ってか知らでか、いつの間にか、ソファーに座る私の目の前にしゃがんで顔を覗き込んでいた仙道くん。ほとんど同じ高さの視線に、一瞬何が起きているのか理解できなくて、返事をしないまま時間だけが過ぎる。


「なに名前さん、どうかした?」
「…………」
「黙って見つめられると……」


緊張するんだけどな、と眉を下げて困った顔を見てようやく我にかえった私。目を見開いて、慌てて背を仰け反らせた。


「!あ、ごめん……その、えっと……」
「……?」


なんでもないの。そう言って誤魔化す私を不思議そうに見てから、いつものにこにこ顔に戻った仙道くん。

彼を目の前にすると、心臓が忙しくなる。この音が仙道くんに聞こえやしないかと、別の意味でもドキドキした。ああ、もう、どうしよう。やっぱり好きだ。



「……ちょっと、いいかな」


仙道くんへの気持ちを燻らせながら、どんな会話をしたらいいのかと考えを巡らせていると、私の隣に誰かの気配が近付いた。


「あ……山川、さん」


振り向くと、いつもに比べてどことなく硬い表情の山川さんが立っていて。仙道くんはスタッフとしてすぐに「お疲れさまです」と声を掛けていた。


「名字さんに話があって」
「……私に?」
「なら、俺はこれで」


なんともいえない雰囲気に、気を利かせようとした仙道くんだったけれど、山川さんがそれを止めた。居てくれて構いません、と笑った顔からは何を考えてるのかさっぱり分からなかった。


「どうか……されたんですか?」
「俺、名字さんが好きなんです」


山川さんの突然の告白に、私は軽く目眩を覚え、頭の中が真っ白になった。


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