夏の日和と人ごころ | ナノ
昔と覚悟とジャージ
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あれは、半年くらい前……俺がまだ2年の時のことだ。

その日は雨が降っていて、授業をサボろうとしてた俺は屋上が使えなくて苛立っていた。そんな俺を見兼ねて徳男が「三っちゃん、保健室はどーだ?」と提案してきたから、たまにはソレもいいかと思い保健室へ足を向けた。


「……誰もいねえのか」


好都合なことに、掲示板には先生不在の貼り紙がされていた。何かあれば誰かを呼ぶように、と書かれた紙に向かって「適当かよ」と呟きながら、これ幸いと設置されている大きめのソファに体を投げ出した。



授業の鐘が鳴りしばらく、いつの間にか眠っていた俺はガラガラ、とドアが開く音で目を覚ました。保健医が戻ったのかと思い体を起こすと、部屋に少し入った所でひとりの女が立ち尽くしている。


「…………」
「…………」


バッチリと目が合った俺たちは少しの間お互いに見つめ合っていたが、眉をひそめた女が足を引きずるようにしてドアの外まで行き「……保健室であってる、よね」と小さく呟いたのが分かった。しかし直ぐに掲示板を見つけ、その貼り紙を見ると困ったような顔をしてから軽くため息を吐いた。


「おい、どうかしたのか」


こちらに背を向け保健室を出て行こうとする女……名字に声を掛けたのは、本当にただの気まぐれだった。ただ、その足を引きずるような歩き方が気になっただけだ。

まさか呼び止められるとは思ってなかったという様子の名字は俺を振り返って、困惑の表情をしていた。俺が黙ったまま返事を待っていると、ぼそりと耳障りのいい声が聞こえてくる。


「体育で……その、ちょっと捻挫を……」


なるほど、捻挫。だからひょこひょこ歩いてんのかと納得して、俺はソファから腰を上げた。


「……見せてみろよ」
「……、……え?」


名字に近づいてそう言うと、目を見開いた顔で見上げられる。

今まで、俺と名字に接点なんて無いに等しかった。前に一度屋上で話したことがあったが……それだけだ。徳男や他の奴らがよく騒いでるせいで名前は覚えていたが、コイツは俺の事は知らないだろう。とにかく、名字の印象は「無愛想な美人」ってところだった。まあ、俺がいうのもなんだけど。


「どうせ誰もいねーぜ。それよりほっとくと腫れてくるぞ。捻挫ナメんな」


サボりに来たのになんで他人の怪我の手当てなんかやろうとしてんだと自分でも不思議に思う。それでも、靴下を脱いだ名字の足を見ると、赤く色づき腫れているのが分かった。先生不在の今、俺が手当てしないとこの捻挫はますます酷くなる。

室内を見回して手当てに必要な道具を用意している間、名字には氷を入れたバケツで足を冷やしておくように言ってあった。素直に従う彼女は、氷水の冷たさに必死に耐えていた。そうそう結構つらいんだよなと、昔自分が同じように捻挫した時のことを思い出した。


「……上手、ですね」


名字の視線が真っ直ぐに俺の手元へ注がれていた。ぐるぐると彼女の足にテーピングを巻きながら「まあな」と短く答える。時折、へえ、だとか、ほお、だとか聞こえてくる感心の声に、内心気を良くしながら素早く作業を進めた。


「何かスポーツ、してる?」
「……さあな」
「じゃないとこんなの出来ないでしょう」


手当てを終えてソファに座りなおした俺に、名字の質問が飛んでくる。てっきり直ぐに出て行くもんだと思っていた俺は、ちら、と名字を横目に見て少しぶっきらぼうに返事をした。クラスの女子にだってもう少しマシな受け答えをしてるのに、なんでこうなるのか分からない。


「……よく喋るんだな。もっと愛想のない女かと思ってたぜ」
「君こそ。こんなに優しいとは、思わなかった」


……優しい!?


まさかこの俺に「優しい」なんて言ってくる女がいるなんて思いもしない。驚いて一瞬体が固まった。

名字を廊下で見かけると、いつでもクールで物静かな雰囲気があった。けれど、いま俺の近くにいるこの女は、そのイメージよりも気さくに、ずっと親しげに俺と話をしていて。こんな状況になっている事を教えたら徳男が怒りそうだと頭の片隅で考える。


「優しいって……ど、どこがだ」


平静を装ってそう聞けば、椅子に座ったままの名字は「……よく言うよ」と、手当てした足を俺に見せるように少し持ち上げた。たしかに、今日に限っては俺はいい事をしたのかもしれないと唾を飲み込む。なんだか急に恥ずかしい思いが込み上げてきて、彼女から視線を逸らした。


というか、いつの間にかタメ口になってる?いや、同じ学年だから問題はねーか。


「名前、教えてくれないの?」
「ああん?……別に誰でもいいだろ」
「……そう。……今さらだけど、ここで何してたの」
「ただのサボりだ」


なんで俺、こんなに名字と会話してるんだ。手当ては終わったんだから、もう付き合ってやる義理なんて無いのに。


「……それより名字、その足で無理すんじゃねえぞ」
「……!……そうだね、気をつけます」
「悪化しても知らねーからな」
「ははは、うん」
「べ、べつにどうなろうと俺は知ったこっちゃねえけど」


気のせいか、名字がほんの少し目を見開いたのが分かった。変なこと言ったか?と気になりながらも俺は続ける。


「……テーピングくらい覚えとけよ。マネージャーなら」
「うん、いま練習中」
「そうかよ」
「ねえ、私がマネって知ってたんだ?名前も、知ってるみたいだし」
「あ……う、噂で聞いたんだよ」
「ふうん?」
「……ちっ。じゃあ、俺はもう行くからな」
「ありがとう。テーピングくん」
「……はあ?」
「名前教えてくれないから」


フン、と背を向けて保健室をあとにする俺。誰がテーピングくんだ。変な名前をつけるんじゃねえ、と内心で文句を言いながら、俺の口元は薄っすらと微笑んでいた。

名字と話したのはこれが2回目で。不思議なことにそれ以降は話すことも、廊下ですれ違うことすら無かった。






「……名字」
「どうかした?」
「ちょっと突き指した」


予選まで残り一週間を切った。ギクシャクしていた部員たちとは少しずつ会話出来るようになり、練習にもようやく慣れてきた。
木暮や彩子が上手いこと立ち回ってくれたお陰で部の雰囲気が悪くなることはなくて、もちろん赤木や他の奴らのお陰でもあるが、もう一人、名字の存在も大きかった。


「そう、分かった、冷やしてテーピングしよう」
「ん」


『みんなに、とくに剛憲と公延にちゃんと謝って』

俺が起こした騒動の後。部に戻るときに名字が言ったことだった。一人一人に頭を下げた俺は、最後に名字に向かい合った。けれど、その時にはもう微笑みを浮かべた彼女がいて「私には謝らなくていい」と言った。そのかわり死ぬほどバスケ部に貢献すること、と指を突き立てた名字の姿を俺は絶対に忘れないと思う。

そうして俺を許してくれた名字に、俺はどうしようもなく惹かれた。


「……おお、ちゃんと出来てる」
「練習したからね」


冷やした指を手に取り、素早く手当てした名字に感嘆する。


「無理に曲げないこと、って言わなくても分かってるか…………テーピングくん?」


その懐かしい呼び名にどうしようもなく頬が緩むのが分かった。


「……三井 寿だ。ちゃんと覚えとけ」
「うん。あ、そうだ、三井」
「ん?」
「注文してたやつが届いたよ」
「……それ……」


じゃん。と言って名字が俺に渡したのは、ビニールで包まれた湘北のジャージと揃いのTシャツだった。手にして、本当にバスケ部に戻ったんだと改めて実感する。


「間に合って良かったね」
「……おう」


絶対に、日本一になってやる。俺を迎え入れてくれた仲間のために。そして……俺を見上げて笑う、名字のために。

心の中で意気込んで、手の中のジャージを強く握った。


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