諸手を挙げてようこそ
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「入部届け、出したよ」
突然廊下で呼び止められた俺と木暮は名字の言葉に一瞬動きを止め、そして二人揃って目を見開いた。
「安西先生とキャプテンにはもう言ってきたの。今日からよろしくね」
「ほ、本当か名字……!」
先に声をあげたのは木暮だった。驚いた後、満面の笑みで名字の手を握りしめた。ブンブンと振られるそれに嫌な顔もせず、むしろ照れるように微笑んだ彼女は、次に俺を見た。
俺がハッとして咳払いをすると、木暮の手を離した名字が「ちゃんと考えて決めたよ」と耳によく通る声で言った。
「……名字、ありがとな」
口から自然と出てきたのは彼女への感謝の気持ちだった。満足気に口角を上げた名字の姿は、出会った頃とはだいぶ印象が違っていた。
「やるからには私も変わろうと思う」
自然と俺の教室に集まった三人で弁当を囲んでいた。初めこそチラチラと視線を向けていたクラスメート達も、もうこの姿には見慣れたらしい。
口の中で噛んでいた卵焼きを飲み込んで、名字の続きを促した。
「まずは呼び方から」
「えっと……なんの?」
「お互いの」
「呼び捨てにする、とかか?」
こくん、と小さく頷いた名字に俺と木暮は顔を見合わせた。木暮も俺も頭の上にハテナが浮かんでいる。
「……剛憲、公延」
いきなり呼ばれたのは名字じゃなくて、俺たちの下の名前だった。家族以外にはあまり呼ばれることのないそれが名字の口から聞こえてきて、なんともくすぐったい心地がする。
「お、おう」
「……なんか照れるな、これ」
「二人も名前って呼んでよ。その方が、嬉しい」
普通を装っているように見えても実は名字も照れているようで、黒髪から覗く両耳がいつもより赤くなっていた。
その姿に俺は心臓がギュ、と収縮したような気がして首を傾げた。
「名前」
抵抗もなく流れるように紡いだ言葉は、思っていたよりもしっくりと耳に馴染んだ。俺に続いて彼女の名を呼んだ木暮も、その口元を緩めている。
先日名字……名前が西川を殴って以来、俺の代のバスケ部員は木暮と二人になっていた。安西先生や先輩からは何も聞いていないが、西川たちは顔を出さなくなったから……そういうことだろう。
しかし今日から名前が加わる。不思議な高揚感に、俺はそのあと食べた弁当の味をイマイチ覚えていない。